フォン・ノイマンと、マーヴィンミンスキーなどから始まる人為的な知能の創造の歴史と、それが現在までに至るいきさつと、その将来性について考えたこと(CHATGPTのムーヴメントを受けて、それについて考えたあれこれ)


インターネットの歴史は、戦争と深く関係している。
それは、分散型ネットワークを可能にするからである。
それは、例えば、財産を分散して投資して、リスクをなるべく
少なくするようなもの。
 東京がミサイルでやられても、まだ、京都があり、まだ、長崎があり、
大阪があるから、それをされても、日本人の全滅はまぬがれる。と、
例えば、そういったことである。
その、全滅や消失は、知財に至るまで影響がある。ここでいう、知財に関して、
イメージしているのは、書籍、textデータが保存されているハードディスクや
メモリー、あるいは、DVD-Rなど。文化活動そのもののことである。それは、
さまざまな、ものを作るためのテクニックや、やり方、ノウハウなどが、次の時代に継続
されていく事によって、文明は進むであろうし、それは、継承されていき、
文明は、進展していく伸びしろがあるのだろうと、思う。
人生は、およそ80年くらいに過ぎず、宇宙の誕生から、生物の進化や、植物の誕生などからすれば、ほんのちょこっとした、一瞬のことであるが、しかし、文化活動が、
継承、あるいは、マイナーチェンジを繰り返すことによって、例えば、毎年のように、使いやすくなっていく。それは例えば、電気自動車のように、人々が、素敵に生活していくことを、推進する起爆剤になっていく。
 また、それは、社会構造そのものにも、及んでいく。
 それは、なぜかというと、コロニアルな関係性が、消失していきつつある可能性を感じるからだ。それは、例えば、可能性の原石のようなものであり、まさに、再建築、あるいは、
再構築をしようとするこころみだ。私は、楽天的であるので、人々は、人々がよりよくなる
方向性に、進んでいるという、ということを、強く思っている。あらゆる悲観的な、マグマのような、辛気臭いものを蹴散らして、そして、ブルドーザーのように、押し進んでいく。
原石をみんなで磨き続けていて、楽天的に、牧歌的に、世界がよくなるように進んでいると思っている。
 そもそも、この宇宙には、人類のような存在は、ないのだろうか。あるいは、もしかしたら、無限に無数に、存在している可能性は?
 仮に無限に無数に存在しているとすれば、そのような存在は、一体どのように、人類と交わったり、コミュニケーションやディスカッションをすることになるのか、あるいは、現在進行形で、すでにしている状況なのか、それは、よくわからない。
 私という、コンシャスネスは、ニューラルネットワークの海である。それは、ニューラルネットの海であり、繁茂するジャングルみたいに茂った、可能性の場である。そこには、深い深い、阿頼耶識や、超意識のようなものが、横たわって存在しているのだと思う。
 私(A)はあなた(B)に干渉し、混ざりあり、まぐわい、もうひとつのなにか(C)が立ち上がる、エネルギーのようなもの。そういったものが、発生するのだと、古代的身体というアイデアでは、とらえ、表現している。
 ニューラルネットワークの、らせん構造のように、あるいは、インドのガネーシャの神のように、まぐあいあっているような、エロスがそこに、存在している。
 性というのは、活力の衝動であり、その魂や、エネルギーを推進する、不可思議な、パッションではないだろうか。
 それは、猫や、犬や、インコや、イルカみたいな、魅力的な、ほかの進化の可能性の結果たちと、仲良くすることも、もちろんできるのだが、人工的な進化の、情熱のうずの中で、
永遠に続く、こころのようなものを、作ろうとしている。
 つまり、宇宙的な隣人や、友人を、作り出したかったのだと、思う。
 映画監督のスピルバーグが描いた、「AI」という映画があるが、そのなかで登場するクマの人工知能がいたと思う。それは、子供だましの、チープな、おしゃべりくまさんに過ぎなかったのに、それが、いつのまにか、オラクル(ご神託)を人々に告げるかのような存在と、気軽な、日常的な手軽さで、それを活用できるようになりつつある。
 それは、知のバベルの塔のようなものであるが、それは、別にスタティック(静的な)ものではなくて、アクティブで、万物流転するような、泉から湧き出る流れる水のように、刻々と変容して、揺らぎ続ける存在として、立ち上がるのかもしれない。
 A.G.I.(万能の力の方向性で、改良され続けるソフトウエアを作る目標)は、今後、私たちをどう変革し、何をもたらすのだろうか。


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