T(私)のフリーター時代①

普通に生きることは難しい。

昔からそう思っていたが、昔も今もその気持ちに変わりはない。
普通に学校を卒業し、普通に会社に勤めて、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供を設けて、普通に家を建てて、普通に天寿を全うする。
それが難しいことであると感じ始めたのは、中学で不登校になり始めてからだっただろうか?

私は努力が嫌いな人間だ。特に、関心を持てないものに対してはなおさら努力ができなかった。
学校の勉強において、それは顕著だった。
努力しなかった理由は、ありがちな理由だ。
こんなもの勉強して将来何の役に立つのだろう?
年相応の浅はかさ故に、私は理解していなかった。勉強とは実用性の為に学ぶものではく。
将来の選択肢を増やす為に学ぶものであるということを。
勉強が出来れば、能力不足が原因で希望の進路を諦めなくて済む可能性はグッと高まる。
勉強という努力が出来れば、この先、何かを学ぶ時に挫折せずに勉強し続けられる耐性と習慣が付く。
勉強で結果を出せれば、それが自信となり生きていく上での誇りとなっていく。

そんな当たり前のことが分からなかった中学生の私は勉強など放ったらかしにしていて、それは高校生となっても変わらなかった。
恋愛や遊びにうつつをぬかした私の学力は、中学卒業時よりも落ちていたといっても過言ではないと思う。
なので、当然進路は限られていた。
就職か、誰でも入れるFランク大学か、専門学校か。
私は、いっちょまえに悩んだ。
就職は正直、選択肢としては無かった。
当時は今ほどネットやらSNSやらで情報があまり集まらない時代だった。なので、高校、それも通信制高校を卒業した自分を取ってくれるまともな会社など存在しない、と決めつけてかかっていたのだ。
Fランク大学も、選択肢としてはなかった。
馬鹿のくせに、私は大学のレベルを気にしていた。
入学もしていないのに学歴コンプを拗らせていて、そんなところに入るのは学費と時間の無駄とすら感じていたのだ。
専門学校は正直、一番悩んだ選択肢だったと思う。
入ってから努力すれば手堅く職にありつけるだろうし、何より大学よりも学費が安い。
興味がある分野がないわけでも無かった。けれど、その興味は揺らがないほどに強いものというわけでもなかった。もし途中で駄目になってしまったとしたら、今度こそ取り返しがつかない。学費をドブに捨てることになる。
中学の時も、高校の時もそうだったが、耐え難いと感じたらすぐにやめてしまうのが私の性質だ。
半端な思いで、半端な道に進む自信の無さと恐怖に苛まれた私は、結果としてフリーターとなった。

理由付は、小説家になる為だった。
私は物語が好きだ。中学生以来、二次元に魅せられて心を震わされていった私が感じたのは、物語で人の心を震わせる側になりたいという想いだった。
そして、物語をもって自分の力を世間に認めさせたいという承認欲求だった。
フリーターの道を選んだのは、その方が時間が自由に取れるからという理由だった……が、今にして思えばそれは逃げの意味も大きかった様に思う。
学校はブラック企業ではない。
学生の身分であれば、自分の努力次第で小説家になる時間は必ず捻出できたはずなのだから。

それでも無職の道を選ばなかったのは、金銭問題と私のささやかな罪悪感からだった。
我が家は私が小学生の頃から片親で、母が身一つで頑張って育ててきてはくれてきたものの現実問題としてお金の余裕は無かった。
それに、母は私の理解者でこそなかったが、私の母であろうと、味方としていようとしてくれる優しくて強い人だった。
苦言を呈したり、理解ができなくとも、私がどんな道を選び続けても決して味方でいることは放棄しなかった。
そんな母の愛に対して、家にお金も収めない穀潰しで居続けるのは躊躇われたのだ。

私は高校卒業後、夢を追う傍らで地元のスーパーで品出しのアルバイトを始めた。志望動機は家が近くて時間が取りやすいというのと、レジではなく品出しなら自分にも出来るという、ここでも自信の無さから来る理由だった。
高校時代、飲食店や惣菜屋やコンビニ等のバイトをやっていてどれも長く続かなかったことから、私は仕事において無能で、単純なことしかできないと諦めきっていたのだ。
スーパーでの仕事は私の予想通り単純で、多少の力仕事はあったが辛くはなかった。
人間関係も悪くは無かった。
なんなら、ちゃっかりスーパーの別部門の子と短期間ではあるが恋愛も出来たりした。
けれど、充実はしていなかった。
追い続けた小説家への道は当然甘くなく、物語を書き上げて賞に応募しても結果が実ることは無かった。
夢追い人といえば聞こえはいいが、世間的な私の評価はフリーターでしかない。フリーターである限り、日常の変化はほとんど無い。
ただひたすらに楽で、怠惰で、小説家になるモチベーションすら薄れていく。
何者にもなれなくなっていく己への無力感と焦燥が、日々募っていった。

そこで私はようやく、小さな一歩を踏み出す勇気が出た。
小説家になるモチベーションを保つために、書店で働いてみようと思ったのだ。
それも、地元ではなくて少し離れたところがいい。
私は地元という狭い世界に長く居続けて、視野が狭くなっていくばかりの日々に勿体無さをも感じていたから。
後にも先にも無いほどにスーパーの品出しバイトは楽な仕事だったので、書店の仕事内容が務まるかという怖さはあった。
それでも私は、台東区のとある書店で働くことを決めた。
決め手は、ご立派なことを宣った手前恥ずかしいのだが、求人サイトに掲載されていたアルバイトインタビュー動画に出てきた美しい女性の存在である。
安定の恋愛脳にして猿である。
ちなみに入社後すぐに知ることとなるが、件の女性は彼氏持ちだった。同時に恋愛に対して多少だらしないという話も聞くこととなるが、プライドも高く有名私立大に通う彼女相手では私には1チャンも無かったことであろう。

さて、それはともかく私は書店で働くことになったわけだが、ここでの経験は私にとってとても得難いものとなって、今なお私の心に鮮明に残り続けている。私の人生を、良い方向に変えてくれた。
本人達は想像だなしていたいだろうが、多くの人が私の人生に強く影響を与えてくれた恩人である。
思い出すべきこと、綴るべきことは山ほどある。
以降、しばらくはその書店で出会った人達について懐かしみながら書いていこうかと思う。

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