T(私)のフリーター時代③ 高永という女性について
真実の愛を知る時があるのならば、真実の恋を知る時もあって然るべきだ。
真実の愛に比べて真実の恋とは、そう探すことに難儀するものではないのではないかと私は考える。
たとえその想いが自分本位のものであっても、どんなところに惹かれていたとしても、心惹かれるのがその人しかいないという想いがあるのならば、それは真実の恋なのではないかと私は思っているからだ。
恥ずかしながら、高校生どころか中学生ですら既に知っていてもおかしくない真実の恋を私が知ることになったのは、フリーターとなってから