T(私)のフリーター時代② 大西という男性について

貴方は、本当の善人というものを見た事があるだろうか?

私はある。それが、書店で働く大西(おおにし)さんという男性だった。
歳は28。斜視なのか生まれつきなのか、ギョロッとした眼をしているのに邪気の無い笑顔を見せる、愛嬌のある人だった。
私の勤める書店は珍しく深夜帯まで営業している店舗であり、大西さんはその深夜帯をメインに働いているアルバイトの人だった。
私も当初は時給面の関係で深夜帯での勤務をしていたので、次第に話す事が増えていった。

彼は、本当に優しい人だった。普通、人に優しくするのは見返りを求める気持ちや臆病さから来るものが大半で、純粋に誰にでも優しく出来る人というのは限られていると私は思っている。
だが、大西さんは違った。彼は何も求めないのに、何も得をしないのに、男女平等誰に対しても同じように優しく、飾らずに接した。
後に深夜帯が無くなり、大西さんや私は朝番や夜番となって働くことになるのだが、大西さんを悪く言う人は誰一人としていなかった。
誰もが彼を褒め称えて、尊敬していた。それだけ、信頼されていた。

何度か身の上話を聞かせてもらったことがある。
大西さんは元々は九州の生まれで、イラストレーターを目指して上京してきたと言う。
新聞奨学生として働きつつ専門学校に通いながら、夢を追っていた。
一度彼の描いた絵を見せてもらったことがあったが、素人目ではあるが、努力が無ければ到達できない上手いものだった。大西さんらしい、優しいタッチの絵だった。
それでも、現実は甘くはなかったということなのだろう。
その果てが、この書店だ。それでも諦めきれずに夢を追っても叶わず、その果ては非正規雇用の労働者。

私は彼からその話を聞いたその晩、少し泣いた。
あんなにも善良な人なのに。努力をしていたのに。
それでも全ての想いが報われるわけでは無い現実が、憎らしくなった。
同時に、彼の姿は自分の将来とも重なった。
私は彼のように優しい人間では無い。
彼に出会ったことで、彼のような優しく純粋で素直な人間として生きたい、生きようと心がけながら生きたが、結局は根本は変わらなかった。
私は彼よりも善良でもなければ、努力家と言うわけでも無い。このままでは、より最悪の末路を辿るのは明白だと感じた。
思えば、彼の辿ってきた人生が私の将来が変わる一石を投じたのだと今となっては思う。
夢に殉ずる覚悟、その先に後悔しない自信はあるのか?という自問自答が私に絡み付くようになった。

私が22になる少し前、大西さんは書店を辞めていっまった。
九州のお婆ちゃんの容態が芳しくなく、その介護をしたいからという理由だった。
辞める理由すら優しくて、大西さんらしかった。
大西さんのお別れ会は盛大に行われた。
大西さんが辞める前に辞めていった元同僚すら来てくれた。
書店には定休日がない以上、来れない人もいたが、大半が寄せ書きやプレゼントを渡していた。
皆が大西さんとの別れを惜しんでいた。

辞めてからしばらくして、誰も大西さんとは連絡が取れなくなかった。
私が送ったLINEも、数年経った今でさえ既読にすらならない。
あの時は彼を優しい優しいと何の遠慮もなく賞賛のつもりで口にしていたが、あれだけ優しい人は、その分、気苦労が絶えなかったのだと思う。
私たちの何気ない尊敬すら、ひょっとしたら彼にとっては重責に感じることもあったのかもしれない。
とはいえ、理由はどうでもいい。
あの人が自分の優しさに潰されて、命を絶っていないか。
それだけがひたすらに心配で、今でもなお私は大西さん最後に送ったLINEに既読が付かないかを見てしまう時がある。
願わくば、私の心配が全くの杞憂なくらい元気に生きていてほしい。



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