T(私)のフリーター時代③ 池山という男性について

フリーターとして夢を追う人は珍しくはない。

私は東京で働くまでは小さな地元の中でしか生きてこなかった人間だから、そんな当たり前のことを忘れていた。
それを教えてくれたのは、書店の先輩である池山(いけやま)さんという男性だった。
池山さんは自分をフリーターと自虐していたが、フリーターらしからぬ人だった。
ジャンル問わず知識量は多く、その知識を無知な人間に伝える能力も高かった。
また、語学力に関しては目を見張るものがあり、決して少なくはない外国人客に対して、常に臆することなく英語で対応している姿が印象的だった。

私は私に無いものを持っている人に惹かれる。
つまりは大体の人間をリスペクトしがちな習性なのだが、その例に漏れず、私はもっと彼のことを知りたいと思って距離を縮めに行った。
彼はユニークな人物ではあったが、同時にパーソナルスペースは狭い人物でもあったのでプライベートな話は中々仕事の中ではしてくれなかったからだ。
私と池山さんは正直、趣味や気がそこまで合う方ではなかった。
なので、いつも話が弾むという訳でもなかった。
それでも、馬鹿のように慕ってくる後輩に対して悪い気はしないくらいの感情はあったのだと思う。
なので、バイトの隙間時間やプライベートのサシ飲みなどで、断片的にではあるが池山さんは私に自分のことについて教えてくれた。

親は銀行員であるということ。
高校は偏差値40あるかも怪しい馬鹿高に通っていたということ。
昔からミュージシャンになる夢を追っているということ。
一時期、喉を壊して夢をあきらめかけたこと。
夢を追う追わない以前の前に、両親に堕落を咎められて最低限の学力を示せと言われたということ。
その条件に対して、私立大の中でも最上位の大学に一般入試で入学するという条件以上の結果を叩き出して親の理解を得たということ。
結局、横道でしかないと感じたことで大学は中退したということ。
そして今尚、夢を追っているということ。

話の時系列はわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。
私は池山さんに対して抱いていた尊敬の念が増すと同時に、どうしようもない現実というものを思い知らされた気がした。
これ程までの人でも、未だ夢には届いていない。正確には、ようやくそろそろ届きそう、といったところだったが。
池山さんがいつから本気になり始めたかはわからない。
それでも、どう短く見積もってもその時間は5年は下らない。
なら、私は? 私はがむしゃらに小説を書いては応募しては落選してを繰り返しているだけ。池山さん程頭が良い訳でもない。
私はどうなる? 5年どころか、10年、いや、一生掛かっても無理かもしれない。
夢をあきらめかけ始めたのは、この頃かもしれない。
こんな私に、今から進める道は何が残されている?という自問自答が続く日もあった。

そんな、ある日のことだった。バイト先だったか、プライベートだったのかは忘れた。ある日、池山さんにこう聞かれたことがある。

「T君はさ、大学には興味ないの?」

ただの雑談程度に振られた話だったと思う。なので、私も軽い気持ちで本音の一部を吐露した。

「昔は行く意味なんてわからなかったけど、最近はちょっと興味が出てきてます」

夢を諦めつつあるという理由に加えて、書店で働くバイト仲間達の影響もあった。私の働く書店では、当然ながら学生も数多く働いていた。
幾名かはこの後に詳しく語ることもあるかもしれないが、とにかく学生陣は個性的で面白く、尊敬出来る面々ばかりだった。
あれ程濃い面子が集まるバイト先は、後にも先にもここだけだった。
とにかく、そんな学生陣達と交流する中で、徐々にではあるが大学というものに興味が出来ていたのだ。
このような人たちともっと交流出来るというのなら、大学というものは行く価値があるかもしれない、と。
けれど、彼ら彼女らはそういう人達というだけあって、学歴的には上位の者が殆どだった。
再三言うが、私は勉強が嫌いだ。自信もない。彼らと同じ場所に、私では辿り着けない。そんな弱音を、初めて池山さんに対して零した。

「でも、無理ですよ。俺の年齢的に、行くなら最低限まともな大学に行かないとと思うけど、俺は勉強が苦手ですし。そういう大学は受ける人たちも多くて合格のボーダーも高いから、合格率も低いでしょ」
「大丈夫だよ。俺も元々、T君と同じで馬鹿高通いだったし。それに、周りは関係ないよ。要はどれだけ自分が点を取れるか取れないかで決まるだけだから、受験なんて。何も五教科も勉強しなくちゃならない国立に行こうって話じゃないしね。っていうか、それだったら俺も無理だ」

そんな弱音に、慰めるでもなく茶化すでもなく、笑って池山さんは彼なりの本音を語ってくれた。
それは本当に当たり前のことなのに、言われるまで気づけなかったことだった。
目に見えない周りと自分を比べる必要なんて、ない。
自分がどれだけ勉強を理解して、どれだけ点を取れたかで合格が決まるのが一般入試の受験というものだ。
受験においても、私は私への自身の無さから周りを気にしてばかりいて、本質が見えていなかった。
池山さんの言葉は、私に少しの自信と希望を持たせてくれた。
周りを気にしないで頑張ればいい。そこにはプレッシャーも何もない。焦る必要もない。
初めて、努力というものに希望を見ることが出来た。
……とはいえ、従来の性格とは中々変わらないもの。
私が大学受験という道に進むには、あと一歩が必要だった。
その一歩をくれたのは、同じく同僚のとある女性である。
私に真実の恋を教えてくれた、今なお尊敬するかつての同僚の一人であるのだが……その話は、また次回にでも。

ともあれ、池山さんは私の道に光を灯してくれた恩人の一人である。
それからも何度もお世話になり、二人で飲むことも少なくなかった。同僚の中では職場外で最も多く交流した"男性"だった。
池山さんは秘密主義者で、自分の将来設計や交友関係については職場を辞める前も後も全く話してくれなかった。
彼が夢を叶えられたのか、叶えられなかったのか、私は知らない。
どちらにしても。彼なら、私にすら道を示せた彼なら、自分の道くらい見失うことなく歩いて生きているのではないかと信じている。


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