T(私)の中学生時代②

部活に行かなくなった中学生のプライベートは、どっと増える。

塾にでも行っていれば話は別なのだろうが、私は行っていなかった。
そもそも勉強は嫌いだったので、勉強をしようという発想もなかった。根本的に、努力が嫌いだったのだろう。
では、私はどのようにしてプライベートを過ごしていたかというと、それは二次元の世界の満喫である。

さて、ここで一つ話を挟ませてもらうと、私には小学生時代から特に仲の良い二人の男友達がいた。
書きながら気づいたが、私の人生に関わる者すべてをアルファベットで表記していくと確実に手詰まりとなるので、ここからは仮名を使わせて頂こうと思う。

一人目は植木(うえき)。勉強こそ得意ではなかったがスポーツが得意で、敵とに活発で社交的な人間だった。目立つことはあまり好まなかったが上記のスペックに加えて爽やかなイケメンだったので地味にモテていた。
二人目は佐賀(さが)。お調子者で人を笑わせるのが大得意で、植木とは家が徒歩数十秒程の距離で俗に言う、幼馴染というやつだった。

私は中学1年の時は二人とはクラスが離れていたのもあってやや交流する機会は減っていたが、二年進級時に佐賀とは同じクラスになった。
なので、すぐに気づいた。佐賀が、以前と比べて無気力な人間となっていることに。
休み時間どころか授業中すら寝続け、誰かと喋るのすら億劫そうにしている。不思議なのは、暗くなった訳でもないらしく必要な時は普通に会話もするし、お調子者であることは変わっておらずクラス内で孤立はしていなかった。ただ、前よりエネルギッシュでなくなっただけ。
何故そうなったのか聞いてみると、佐賀はこう答えた。
「深夜アニメにはまってる。夜更かしとかもよくするようになったから、毎日眠い」
予想外の答えだった。聞けば、植木もまた佐賀の影響でアニメにはまりつつあると言う。
それが切っ掛けで私は深夜アニメとやらを見始めることにした。
結果として私は、二次元の世界にのめり込んでいった。
アニメだけでなく、ゲーム、漫画、ライトノベル、全てが私の心を癒してくれていった。
そんな私に、佐賀達はチャットルームなるものも紹介してくれた。
これは世代的にピンと来る人と来ない人がいるかもしれないが、要はネット上の人達で語り合える空間である。
某匿名掲示板と違うのは、その空間に何人いるか、何というHN(ハンドルネーム)の人がいるかということが明確にわかることだろうか。
主な住民は中高生で、話題も合い、彼らと語らう時間はとても楽しかった。
それが良くなかった。

次第に私にとっての現実はPCの向こう側となっていき、学校での時間は退屈なものとなっていった。毎日のように夜遅くまで二次元やチャットの世界に入り浸り、学校では隙あらば寝続ける毎日。
土日も友達と遊ぶことなど殆ど無くなっていった。
それでも一応学校に行っていたのは、何故だったのだろう。辛いことも、うちのめされることも何もなかったからだろうか。
多分それは、人間関係には特に困っていなかったというのが大きかったのだと思う。少なくとも、中学二年生までは。

中学三年生になってしばらくして、私は不登校になった。
理由は、人間関係の一言に尽きる。
三年生となった初日、私は言葉を失った。
仲の良いと言える友達が、誰もいない。仲良くなりたいと思える人間も、誰もいない。
そんな環境で日々を過ごす内に、私の心はぽっきりと折れてしまった。
「学校に行きたくない」
いじめられた訳でもなんでもない。ただただ、楽しくなかった。居場所を感じなかった。だから、思いっきり二次元に逃げた。
これでも学校に行かない日々を全く後ろめたくなくなった訳ではない。
少しづつ学校に行く気力を取り戻せるよう、保健室登校という形で学校に通ったり、思い出作りの名目で修学旅行には行ったり、私の足の速さをクラスメイトが期待しているとかで体育祭には出たりした。
それでも、行く意義を見出せなかった。学校の全てがつまらなく感じた。
唯一すがっていた私の俊足も、怠惰に過ごし続けた代償として劣化していた。日々努力し続けていた陸上部を始めとした運動部との徒競走では完敗を喫し、生まれて初めて最下位を取ってしまった。
それから私は自信を失って、今後は保健室登校を除けば二度と学校に行かなくなった。
そうして私に訪れる第二の事件、それは友人の喪失である。

私は無二の親友と思っていた植木と佐賀に嫌われ、その口から嫌いと告げられて、見放されたのだ。昔は、何故、どうして、酷い、裏切り、むかつく、許さない、〇してやる、などと恨んだものだが……当然と言えば当然。
部活をサボり、勉強もせず、二次元にはまり、学校に行かず、逃避の毎日。
植木と佐賀も二次元にはまっていたが、彼らは私とは違い、学校には毎日通っていた。植木は一時期スランプとなって共に部活をさぼっていた時期もあったが、結局は持ち直して再び部活に行くことを選んだ。
彼らから見れば、私はとんだ甘ったれに見えたことだろう。尊敬すべき点など、一つもない。それでも友人をやっていけるほど、私との仲は深いものでもなかったのだろう。
そして彼ら以外で、私は本当の意味で親友と呼べる存在を誰一人も作れてはいなかったから、学校に行かずにい続ける私に差し伸べられる手は一つも無かった。仕方のない話だ。
とにかく、誰からも特別嫌われても好かれてもいなかった私は、孤独のまま中学校を卒業した。

中学時代を経て身を以て学んだのは、本当の友人とは何か、そしてその大切さである。
自分が喜んでいる時、怒っている時、悲しんでいる時、楽しんでいる時、どんな時でも変わらず元来の距離感でいてくれるのが私にとって本当の友人なのだと定義した。
そういった存在がいるかどうかで、人生の幸福度はまるで変わってくるのだと感じたのだ。

よって中学卒業以降、私は友情に飢える日々に続くのであった。
そして、やがて私にとって今でも無二の親友と呼べる存在に出会うことになるのだが、それは私の高校生時代編でまた語ることにしよう。

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