T(私)の小学生時代④

私には、今の私が構成される切っ掛けとなったと言える事件が二つある。

そのどちらも私側に完全に非が無かったか?と問われると微妙なところではあるので、被害者ぶるのもおかしいかもしれない。

一度目の切っ掛けは、一人の転校生だった。うちの小学校は普通の市立小学校でしかないのにやたらと転校生が多かったのだが、ある時、Yという男がやってきた。

この男、私が恋したKとは違う意味で目を引く存在だった。
この男は俗に言う、不良だった。小学生にしては体格がよくて、金髪で、柔道をやっていて、祖父はどこかの会社の社長だとか、前の学校では好みの女に無理やりキスしたとかいう噂があって、何より、気に入らない奴にはすぐに喧嘩を売りたがった。

私の通う小学校では問題児はいても、こういった不良というジャンルの存在はこのYが初めてというくらいには平和だった。
圧倒的な異物感。そんなYに周りは恐怖や嫌悪を覚えながらも、深く関わり合いになりたくないとの思いで、周りは表面上は普通にしながらも実際には距離を取る者が多かった。中には、媚びへつらう者もいなくはなかったが。

とはいえ、Yが転校してきたのは隣のクラス。私とは、いったんは何のかかわりもないはずだったのだが。
なんと転校して早々に、Yは私に接触を試みてきたのだ。

まず私という存在が知られてしまった要因として、私は転校生との会話の中ですら話題に出やすい人間だったのが大きい。
学年2位の足の速さ。小学生ながらKに告白したこと。芸能界関係者。
要は、悪い意味寄りでネタに尽きない人物だったという訳だ。
だが、最も致命的な理由は他にあった。
Yが私を同学年で一番喧嘩が強い男などと勘違いしていたからである。

何故そんな誤解が起こったか?
これは正直、日ごろの行いという他ない。
私はいつからか、時折、友人と戦いごっこというものを一人の友人と継続的に行っていた。昼休みに、お互いに殴り合う遊びである。お互い本気でと言いつつも怪我にならない程度にやる、本当のごっこ遊びである。
最初は一人の友人とやるだけの戦いごっこであったが、時折他の友人とやったりもしていた。
そんな中で、私は気が大きくなっていったのだろう。
私は口論になると、同姓に対しては軽く手が出るようになっていた。それは背中を強く叩くくらいのもので、痣を作ったり流血させるようなことは一度としてなかったが、どう言い訳しようとも暴力は暴力である。
特に、その経緯を知らない周りの者にとってはなおさらである。

そんな訳で私は私の知らぬ間に学年で一番強い奴、という扱いにされていた。
実際にはもし本気で喧嘩をしたとたら、私より強い者はいくらでもいたと思う。
私は喧嘩になると手が出るのだけは速い、短気な小心者でしかなかった。

そんなことは露知らず、Yは私に会うたびに喧嘩をするよう誘ってくるようになった。腕試しがしたい、という名目で。

ただ、最初のうちはそこまでYも本気ではなかったのだと思う。
何なら普通に話していたし、私の芸能界についての話の方にも興味を寄せていた為、その辺の話題を出すことで関係性を微調整しつつ、私は喧嘩が起きないように注意していた。

しかし私はある日、Yの逆鱗に触れてしまった。
表立って喧嘩したくはなかったが、私はYが嫌いで嫌いで仕方がなかった。
鬱憤は募り、それを晴らす為に、私は一冊のノートにYへの悪意を殴り書きしていた。
それが、バレてしまった。

当然の如く、Yは激怒した。休日に自宅にかちこまれ、捕まり、近所の公園で何やら彼の子分っぽい下級生中級生複数人に囲まれて、メンチを切られた。
一歩間違えばキスになってしまうくらいのメンチに対して恐ろしさと気持ち悪さで一杯になり、ひたすら後退し続ける私とひたすらメンチを切りながら追いかけるYのシーンを思い返すと、今となってはシュールで少し笑ってしまう。
しかもYは自分にノートで暴言を吐かれたことに対して喧嘩を吹っ掛けるというのが恥ずかしかったのか、「おまえ〇〇(Yが気に入ってた同学年の男子)に死ねって言ったろ!?」とよくわからん因縁のつけ方をしてきたのである。当然、言ってないし書いてもいない。お前に死ねとストレートで悪口を書いたはずである。これも今となっては笑ってしまう。
だが、当時の私にとっては笑いごとではなかった。

私はYが本気で怖かった。彼の強さが怖かったわけではない。正直、客観的に見ても喧嘩となれば私がYに勝ってもおかしくはなかった。
彼は柔道経験者ではあったがそこまで強くもなかったようで、転校後しばらくしてから不良まではいかずとも問題児の一人と割とガチ目の殴り合いになったのだが、その結果は引き分けというものだった。
その問題児は喧嘩が強かった訳ではない。ただ、度胸が並外れていた。
私にその度胸は無かった。Yは同級生のほぼ全員に嫌われてこそいたが、柔道や同じ穴のムジナといったやつなのか、主に他校ではあるが、同ジャンルの先輩や後輩とはよくつるんでいた。その中には中学生もいた。小学生から見た中学生の不良は、冗談でもなんでもなく畏怖以外の何物でもない。

もしYに勝てたとして、その周りに報復される可能性やY本人からしつこくまた喧嘩をこの先もずっと売られるとなると、私には耐えられなかった。
結果私は怒号を受け、メンチを切られてもこちらから暴力を振るうことはなかった。何故か、Yも小突く程度で本格的に暴力を振るってはこなかった。
無抵抗の私に勝っても何の意味もないと考えたのだろうか?

そんな私に呆れたのか、怒るうちにどうでもよくなったのか、結果私はささいなことでYの機嫌を少しだけ取ることができて解放された。
最も、それからの私は、いつもではないがYに度々脅しつけられ、恐怖を植え付けられる日々が小学校卒業まで続いた。
カチコミをかけられた恐怖で、夏休みの間中、親や祖父母には適当な理由をでっちあげて、ずっと母方の実家に帰省していた年もあった。
私への関心を失ってもらう為に喧嘩を受けて、真面目に戦うふりをしながら惨敗するという情けないこともやったりしたことで、それからは余り構われることもなくなったが、それで恐怖が消える訳でもない。

相当な恐怖体験ではあったが、不登校にならなかったのは昔の私の方がメンタルが強かったのでは?とすら思う。
今後の人生において人の負の感情に過剰に反応していくようになってしまい、結果として脆いメンタルとなってしまったのはこの頃の体験が原因なのかもしれない。
ただ、結果的にこの時の体験が原因で、私は遊びといえども暴力は一切振るわなくなる。身を以て、己の罪深さを思い知ったのである。
そう思うと、Yに対して感謝の念を覚えなくもない。嫌いは大嫌いだが。

ちなみに、幸いにもYとの縁は小学校卒業と同時に断絶する。
家の立地的に私立中学受験といったケースを除けば私の通う小学校の生徒はほぼ全員が同じ市立中学に入る流れとなるのだが、Yは違った。
市内でも1、2を争う荒れ様と噂の別の市立中学に行くことを選択したからである。
理由はよく知らないが、柔道部があるからだとか、中学内に仲の良い不良友達がいるからだとか、中学で居場所がなくなるのが嫌だからだとか、最強の不良を目指すだとか、どこから噂でどこまで真実なのかわからないが、そんな感じのことは聞いた。

もしも彼が同じ中学を選択していたのならと思うと、ぞっとしない。
まあ最も、彼がいなくとも私の中学時代は最高のものとはならなかったのだが。
私の小学生時代は結局のところ、躓きの一歩でしかなかったのだから。

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