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やんこびっちと呼ばれた頃(2)

JICAの国際協力で海外から帰国したばかりのA先生に僕が睨まれたのは、クラス全員に先生が出した宿題を僕が何度も忘れたことに起因している。 先生の宿題は「英語の教科書の指定箇所を日本語訳してくる」という、とてもシンプルなものだった。A先生の授業は週5日のうち7コマあった。私の高校では1日につき65分授業が5コマなのだけれど。 「はい、ここ訳してください」と名指しされた僕はその日、宿題をやらずに登校していた。その前の授業中はいつものように居眠りをして過ごした。 先生、私、宿

    • 自尊心とあけっぴろげさのバランス。

      齢も30を超えてくると酒や何やらで身を崩す、いや文字通り身を崩して亡くなってしまう人も周りで出てくるようで、自らの日頃の行いを正すとともに、残りの人生の日数を数えながら来し方自分の残してきた実績とはなんだろうかと考えることもある。そりゃ、少しは真面目に会社勤めしてきたつもりではあるけれども、実績と言われるとあまり何か残せたことはないのではないかと頭を抱えたりなぞもする。 そもそも実績だとか、実力だとか、自分にあると思うことの方がおかしいではないかといっそのこと開き直ってみる

      • 文章を世に出すこと。

        初めて広く社会に自分の文章を公開したのは、中学1年生の時にノリで作ったブログだったと思う。そのときの私は思春期まっしぐら、ばちくそに病んでいた時期であったので大人になって大部分の記事を消した。とても大事な文章だけ残して、あとはたまに友人に向けて呟く用として活用した。思えばmixiとかTwitterとか他にいくらでも使えるツールはあったと思うのでが、ついぞ私にはそう言ったSNSを活用するスキル・センスが身につかなかったと思う。 中3のときには受験期だというのに新聞の投書欄に「

        • お手紙

          初めてお手紙をもらったときのことをよく覚えていない。 おそらく幼稚の先生にもらったものが初めての手紙だったのだとおぼろげながらに思い出そうとするけれど、その文面も記憶のかなた、現物も実家にあるかどうか定かではないし、推察するに内容としては「今日もよく頑張りましたね」とか「いつも元気で嬉しいです」と言ったようなありきたりな内容であったのだと思う。 高校時代、付き合っている恋人からラブレターをもらったことがある。私もいくつか返事を書いたように思う。そのいくつかは机の中にある宝物

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        やんこびっちと呼ばれた頃(2)

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        • グッナイ小形
          5本
        • やんこびっちと呼ばれた頃
          2本

        記事

          新聞と私

          中学生で生まれて初めて受験を迎えた。 当時の私は国語という教科がなぜ存在するのか考えてばかりいて、肝心の問題を解くことや文章を読むことに取り組もうとしていなかった。 評論を中心に点数はそこそこ取れていたが物語の読解となるとからきしだった。 見かねた先生が、受験対策として朝刊1面のコラムを書き写すことを提案してくれた。夏休み前のことだ。 毎日、父のとっている新聞のコラムを原稿用紙に書き写し続けた。 何の意味があるのだろう、とは考えず、ただ受験のために書き続けた。 すると、ど

          新聞と私

          どんぐりの家

          小学校低学年のときに母に連れられて映画を見に行った。 ずいぶん内弁慶、勝気で荒れた小学生だったと思う。 映画館など滅多にいかなかった私は地元の文化会館で上映される子ども映画会にいくというのだけでとてもうれしかった。 ドラえもんとか、クレヨンしんちゃんの劇場版が見られると思っていた。 どんぐりの家という作品を見た。 ショックだった。 当時、私の通う小学校には彼らのような児童はいなかった。 それから駆け足が早いとか、算数ができるとか、 そういったことよりも大事なことが人生には

          どんぐりの家

          グッナイ小形でいちばん好きな曲

          小形くんの曲に、ライフイズペチャクチャという曲がある。 この曲は酔いに酔った小形くんが、星空の下の高円寺の商店街で、北海道にいる好きだった女性に電話をかけた時に浮かんできたフレーズから始まっている。 「今夜はゆっくりお酒を飲もう  隣にいない君と話そう」 東京に出てきて寂しくて、一人自分の家に帰るのが耐えられなかったという。 挨拶というのは相手の存在を、私は認識しているよ、というメッセージを伝えるための行為だ。 部屋に入ってきた人が先に部屋にいた自分に挨拶をしな

          グッナイ小形でいちばん好きな曲

          グッナイ小形が最初に作った歌

          小形くんが東京に来て、いちばん初めに作った歌だそうで。 彼と話していくうちに 「年2、3回だけライブとかで歌う曲を聴かせます、聴かせたくなった」 と言って歌ってくれるようになりました。 それからずっと僕はこの歌が好きだ。 歌詞の書き起こしを彼に見せたら 「これは短くしたバージョンなので後で長いの送りますね」 と言って笑っていた。 (ラジオの途中、16:17くらいから聴けます) ねえジェーンねえジェーン 愛しあえることなんて 信じ合えることとは別だよ それについて

          グッナイ小形が最初に作った歌

          実家の猫(2)

          猫が初めて我が家にやってきた。 ある夜、仕事帰りの姉が連れてきてしまったメスの猫「不二子」。 軒先で数日間泣いていたが、父が痺れを切らして家に入れてしまい、住み着くこととなった。 のちに雌の猫「ルー」ことルパン三世も、姉が連れてきてしまったのだが、ルーについては別にお話ししたい。 不二子はメスの、アメリカンショートヘアのような色合いの猫だった。 家族びいきを抜いても美人の部類だったと思う。 最後は猫の白血病にかかり日に日に弱る不二子の隣で1週間ほど一緒に寝て看病したが、

          実家の猫(2)

          たばこのお使い(2)

          父の名誉のために言うが、父の若かりし頃、たばこは駅のホームや会社オフィスでも吸えるおしゃれなアイテムだったらしい。 その頃、セブンスターといえば一番軽いタバコで、ハイライトなどの重いタバコを吸いたくない父にとってはうってつけだったようだ。 最寄りのたばこ屋さん(今でいうコンビニのような店)が遠くてお使いに行きたくないときは、決まってマンション裏のパチンコ店に行っていた。 当時住んでいたのはマンションと呼んでいたが、父の勤め先の社宅で、団地用の建物が敷地内に一棟だけあった

          たばこのお使い(2)

          グッナイ小形とユニットを組もうとしてみた

          グッナイ小形くんとポエムユニットを組んだらどんなユニット名にするか話した。 例えば、 ・小麦粉新聞紙 ・片栗粉ポリス ・トマトハンガー 身近なものから、 明るい農村のような、 ・おいしい小麦粉 ・激しい港 のようなものまで。 他にも、 ・モチベーションジャンキー ・ティッシュペーパーズ ・交通難民ズ のようなものも出た。 小形「モームいるじゃないですか、サマセットモーム。月と六ペンスって小説あるでしょ。かっこいいと思ったんですよ」 やんこ「読んだ読んだ。なるほど

          グッナイ小形とユニットを組もうとしてみた

          実家の本棚と。

          文学部の学部生だったあるとき「実家に本棚とか本がない気持ちってどんな感じなの?」と友人に聞かれました。 それまで実家の本棚について考えたことがなく、家に本がないなら図書館で借ればいいと思っていました。負け惜しみのような気持ちだったかもしれません。 その頃の私といえば本は年に5冊読めば良い方でした。 でも、幼少期、家に本棚があるとないとじゃその後の読書量が違うだろう、と自分の本棚を持つようになってから感じます。生涯読む量や、好む本の種類など、幼少期だからこそ自然に触れられ

          実家の本棚と。

          たばこのお使い

          家の近くに3軒ほどスーパーマーケットがある。 1.肉や野菜の種類が豊富で安いところ、 2.一番近所にあって加工食品の品揃えが良いところ、 3.駅からの帰り道に寄りやすいところ。 仕事から帰る道すがら立ち寄ることが多いので、3番のスーパーマーケットによく行く。そこで豆乳とジョアをよく買うのだ。 帰り道、るんるんとした気分で私は歩く。 一人で歩いていると、ふと昔の気分が蘇ってきた。 家からいちばん近い個人商店が、通っていた小学校の前にあった。たばこを売っている。

          たばこのお使い

          やんこびっちと呼ばれた頃(1)

          高校時代、生徒会に入ってからの自分の居場所はプレハブ建ての2Fにしかないものだ、と大人になってからもしばらく思い込んでいた。 あとから思い出せば、クラスメイトともそれなりに仲良くやっていたし、部活も3つの部に少しずつ在籍したり、文化祭や新入生歓迎会の準備などいろんなことを経験させてもらった。 わが高校伝統の強歩大会をはじめ、臨海合宿や修学旅行、球技大会にも嫌々ながら参加した。運動やイベントごとは得意だったが好きになれなかった。 英語の授業の時に私だけA先生に毎回指名されたこと

          やんこびっちと呼ばれた頃(1)

          グッナイ小形に聴きたかったこと2

          グッナイ小形は高円寺を中心に全国のライブハウスを渡り歩く。 楽曲の制作や配信も手掛ける。 「旭川の大学にいたとき、教師を目指していました。 歴史がもともと好きで。西洋史ですね。 でも、彼女にフラれてしまって、最初の大学を辞めました」 Q.けっこう寂しがり屋さんですよね。 「僕は常に誰かと一緒に行動していたいんです。 その人とずっと一緒にいたいというか。 大体いつも寂しいですね」 Q.曲作りはどういうふうにしますか。 「モチベーションが上がっているときに一気に

          グッナイ小形に聴きたかったこと2

          実家の猫

          実家には10歳を超えるオスの猫がいる。 名前はアラン、去勢はすんでいるため若いときはかなりやんちゃだった。 彼は私の布団を自分のものだと認識している節がある。 たまに実家に帰って寝ようとすると、 邪魔くさそうな顔をして場所をいやいや開けてくれる。 彼がうちに来たのは私が高校3年生の時だったと思う。 入学前に高校のジャージを採寸する場所で出会った、後のクラスメイトの紹介で。 仮にそのクラスメイトを伊藤とする。 伊藤とは生徒会やらでとても仲良くなったが、今はもう結婚して二児

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