自尊心とあけっぴろげさのバランス。

齢も30を超えてくると酒や何やらで身を崩す、いや文字通り身を崩して亡くなってしまう人も周りで出てくるようで、自らの日頃の行いを正すとともに、残りの人生の日数を数えながら来し方自分の残してきた実績とはなんだろうかと考えることもある。そりゃ、少しは真面目に会社勤めしてきたつもりではあるけれども、実績と言われるとあまり何か残せたことはないのではないかと頭を抱えたりなぞもする。

そもそも実績だとか、実力だとか、自分にあると思うことの方がおかしいではないかといっそのこと開き直ってみる。だってそうじゃあないですか、自分に実力があるから文章だって作品だって人前に出すことができるわけです。たくさんの人が評価されるならばそれはそれでいいのだけれど、実際は市場原理、相対的に評価されない人の方がピラミッドの裾野の方で燻っていたりする。燻っている人に自信が持てるわけがない、むしろ持っている人の方が通常ではないということになります。

じゃあわたし自身はいわゆる「Loser」で良いのかと。人から評価されたり、本当の実力・実績というものを手に入れないで生きて死んでしまっても良いものかとふと思うことがあるのです。皆さんもそういうことあるでしょう。その答えには、スヌーピーの主人公(正式な作品名はピーナッツと言います)であるチャーリーブラウンよろしく、YESであると答えたならば、以前とても愛しかった人に「そんなことではダメだ、あなたはいろんなことを甘く考えすぎている」と叱られました。しかしわたしは、どうしてもあの作品に出てくるキャラクターたちの作り出す世界観に、すっかり共感してしまっているのでした。

つまり何が言いたいかというと、こういった議論というのはコロンブスの卵のようなもので、いちいち考えている間に雌鳥は毎朝卵をうむし私たちはそれを目玉焼きだとか炒り卵だとかにして食べているわけで、案ずるより産むが易しだと思うのです。つべこべ言っている間に作品の一つでも作って世に出してみよう、評価はきっとしてくれる人が後から見つかるから、と。
そんなことを言い残しておいて、ここで筆を置きます。

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