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やんこびっちと呼ばれた頃(2)

JICAの国際協力で海外から帰国したばかりのA先生に僕が睨まれたのは、クラス全員に先生が出した宿題を僕が何度も忘れたことに起因している。
先生の宿題は「英語の教科書の指定箇所を日本語訳してくる」という、とてもシンプルなものだった。A先生の授業は週5日のうち7コマあった。私の高校では1日につき65分授業が5コマなのだけれど。

「はい、ここ訳してください」と名指しされた僕はその日、宿題をやらずに登校していた。その前の授業中はいつものように居眠りをして過ごした。
先生、私、宿題をやっていません、ごめんなさいと言う僕に、「その場でも良いから訳しなさい」とクラスメイトを15分でも20分でも待たせ、僕は先生に睨まれたまま、電子辞書を引きながらその場で日本語訳を答えた。
その日、たまたま2度あったA先生の授業の、2回目でも同じように宿題をやっておかなかった僕は、先生に「今日からあなただけは毎日さします」と宣言されたのだった。
当然、次の日から僕は毎日先生に教科書の日本語訳を指され、クラスメイトたちは3週間に一度ほどしか指名されなかった。

一気に英語への苦手意識を持った僕だったが、大学受験では、A先生のおかげで英語の点数が足を引っ張ることなく、第5希望の私大に無事に合格した。
僕にとっては5番目だったので随分と複雑な気持ちだったが、周りは第一希望の大学に受かるよりも喜んでいた。

大学受験のための連続休暇が明けて、合格を報告した先生の顔は、輝くようににこやかだった。
その顔を僕は今の今まで忘れずに生きている。

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