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怪盗観覧車


昨日、東京での一人暮らしが終わった。大学入学と同時に上京し、一人暮らしが始まった。

あれから、4年。引越し作業を済ませ、何もなくった部屋を見ていろんな感情が込み上げた。

これを書いている今だって、昨日のことを思い出すといろんな感情が脳内をめぐる。それについてはまた別の機会に話したい。


今日は、引っ越しを終えて実家に帰るまでの車の中で感じたことを、ここに綴りたい。

部屋に忘れ物がないか確認し、主電源を落とし、4年間お世話になった家に「ありがとう。お世話になりました」と告げて車に乗り込んだ。

友人から借りていた『ハイキュー!!』の漫画を返す必要があったので、帰り道に友人宅へ寄ってもらうよう父に頼んだ。

友人の家は橋本駅にあるから案外近い。車だと15分くらいだ。


「これ、ありがとう!!最後鳥肌だったわ」

「全然いいよ。私も最終巻読まないと」

「早く読んで欲しい」

「わかった。じゃあ、卒業式前遊ぶまでに読んでおく」

「頼んだよ」

卒業式で1週間後にはまた東京へ戻るため、しばしの別れを告げ、今度こそ実家への帰路についた。

橋本駅の付近には大きなタワマンがいくつもある。私の住んでいた街からいくほども離れていないのに結構な違いだ。橋本駅と言えば、2027年に開通予定であるリニアの到着駅の一つだ。そこに向けての街開発の一環なのかもしれない。

相模原インターに入り、高速道路へ。約4時間の長旅の開始にもう一度、意気込みを入れた。

最近、ハマっているVaundyさんの曲を聴きながらボーッとしていると、あたりは薄暗くなり始めていた。橋本駅を出てから、そこまで時間は経っていないはずだった。夏にかけて日中の時間は長くなっていくというのに、3月中旬の夜はまだまだ早起きだ。

ふと窓の外を見て、橋本駅で一番大きなタワマンを探してみた。「あれ?どこだ?」今度は上半身ごと回転させて、窓の外にある”はず”のタワマンを探してみた。一般道のときの2倍の速さで走る車の動きに対して、窓の外の景色は様々な速さで消えてゆく。大きな建物はゆっくり視界から遠ざかり、小さな一軒家は瞬く間に視界から消え去る。そこにビジネスの世界の摂理を感じながら、必死に橋本駅のタワマンを探してみた。

「さすがに見えないか」

タワマンと言えど、それと同等の高さの建物は他にもいくらだってある。そもそも、その程度の高さなのであれば、少し離れるだけで見えなくなるのも不思議じゃない。仮に隣町の端にある高速道路から見えるほどの高さであったとしても、それ以上の距離にいたら見えるはずがない。

ちょっと考えれば、簡単にわかるはずのことなのに本気で探してしまっていた。そして、よく考えた末に少しガッカリした。

橋本駅にいるときには「高いな〜。いつか住みてーなー」なんて思っていた建物なのに、少し距離をおけば、見えなくなってしまった。

それから、2時間半もするとあたりは真っ暗に。高速道路から街の明かりが見える。

Vaundyさんの曲も一通り聴き終わり、今度は最近ハマっている内田理央さん主演のドラマ『来世ではちゃんとします』を観ていた頃。窓の外には大粒の雨が降っていた。

雨の向こう側に見える、街の明かり。まるで、そこは別世界のように見えて、その別世界は一つの塊となり、目の前に降る大粒の雨をものともしていないようだった。

そんな一つの物語を象ったような景色に目を奪われているとき、街明かりの一番奥の方に観覧車が見えた。どれくらいの距離だったろう。どこの観覧車だったんだろう。小さくカラフルな色で綺麗な円を描いたそれは、遥か遠くの高速道路を走る、一台の車からはっきりと見えた。

大きな建物はゆっくり視界から遠ざかり、小さな一軒家は瞬く間に視界から消え去る。

私の目に映る観覧車は手前にある一軒家よりも小さく見えていた。それなのに、視界に映る時間はとても長かった。

遠くても、小さくても、輝いているから見つけられる。滅多にないマイノリティという存在価値。


常に観覧車のような人間でいることは難しい。でも、長い人生の中で、その一瞬を観覧車のような存在でいることは自分の努力次第でできるような気がした。

この世界に生きる人々の、なんの変哲もなく過ぎてゆく数秒を盗む。視線と好奇心と記憶の怪盗。



私は、そんな風に映画のプロデュースや宣伝ができる人間になりたいと思った。



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