海外で子育てしようと決めた理由
2019年の12月、クリスマスを迎える前に南国のマレーシアから、極寒のオランダへ引っ越してきました。
バタバタと半年ぐらいでオランダ行きを決定し、夫、10歳の息子、1歳のポメラニアンを連れての引っ越しの準備を猛スピードで進めました。
我が家は駐在ファミリーではないので、ビザ申請、住居探し、学校探し、引っ越し、ワンコのオランダ入国に必要なワクチンや書類などの準備、全て自分たちで手配&実費で行うことが前提でした。(当たり前のことですが)
コストと労力が必要な分、住む国も、住む期間も全て自分たちで選択できるメリットはもちろんあります。あとは、他国への引っ越しは「勢い」が大切なので、理由やリスクを探して先延ばしにしないこと、がポイントのような気がします。
話が逸れましたが、そんなバタバタと落ち着きなく引越しをして、予想を超えるヨーロッパの寒さと日照時間の短さに驚きと不安を抱えながら(大袈裟ですが)、我が家のオランダ生活がスタートしました。
南国生まれの愛犬が、いきなり風邪を引くというハプニングに見舞われ、元旦から救急の動物病院へ行くという(しかも犬連れでタクシーに乗れなくて数台断られ。。。)、こっちまで気を抜くとやられてしまいそうなぐらいハラハラさせられ疲れのピークでした。そんな中、ビザ申請と住居探しを同時進行していくという生活。年末年始は、不動産屋さんの動きもスローなので、エアビー生活がいつまで続くのだろう、、、とこれまた落ち着かない日々を2週間ほど過ごしましたが、サポートしてくださったエージェントの日本人のスタッフさんが素晴らしく優秀な方だったため、新年が開けて数日で、無事に家が決まり入居できました。
この経験から、家は引っ越す前に決めていくのが正解!!だと実感。下見のために一度面倒でも現地へ行ってほぼ当たりをつけておくことをお勧めします。数週間に及ぶ、ホテルやエアビー暮らしは、予想以上に心身ともにこたえます。子連れの場合は、特に!ですね。外国人の場合、なかなか物件が見つからなかったりすることもあるようなので、そのリスクも踏まえてこれは大事です。学校を決めたら、後は通学は車なのか、電車なのか、この移動手段によっても住むエリアは必然的に絞られてきます。どちらにしても、一度現地で学校の見学、住む候補のエリアの下見は必要でした。。
と、前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
我が家がオランダに移住を決めた理由は、ただひとつで、息子の教育環境のためです。
テニスが好きな息子が、気軽にグランドスラムの試合を観に行けたり、設備が整った環境でテニスができれば、と思ったのと、ただ好きなことに思いっきり没頭したり自分の得意を探せるような環境が彼には必要だと思ったから、というのが一番の理由です。
以前東京に住んでいた頃は、夫婦共に同じ広告業界で働いており、お互いが広告クリエイターであったためワーキングスタイルも同じく不規則で日々忙しく、ただただ時間に追われながらの毎日でした。息子の保育園のピックアップもいつも一番遅く、つれて帰って食事を作って、早く寝かさないと!!ということしかほぼ頭になく、持ち帰った仕事のこと、明日のプレゼンのことを悶々と考えながら、添い寝しながら襲ってくる睡魔と闘う日々。
休日は、ファミリーでカフェに行き、夫婦でラップトップをカタカタ。横で息子がゲームか漫画を読んでるという恐ろしい状況でした。ただただ忙しかった。でも、新卒で入社した広告会社を辞めずにいたのは、この仕事が好きだったから、でした。
忙しいけど、楽しい。
これが自分にとって一番幸せなことだとずっと思っていました。だけど、心のどこかで自分は息子ときちんと向き合えているのだろうか?といつも自問自答する瞬間がありました。でも答えを出さずに、気づかないふりをしていたような気がします。だって、頑張って働いているんだし。将来、息子のためにきちんと貯蓄を作ってあげておきたいし。母が頑張って働く姿を見て、子供も育つって言うし。
息子が保育園の頃までは、それで良かった気がします。物理的に誰かに安全に預かって頂ければ、安心して思いっきり働けたのです。だけど小学生になり、勉強や友達関係、習い事などいろんな新しい大切な要素がプラスされ、子供の意志もさらに強くなり、これはそろそろどうにかしないといけない、と少しずつ思うようになったのと、海外で働きたい、という以前からの自分のキャリアパスへの想いがさらに強くなった時期が重なり、一旦会社を休職して、2年だけマレーシアへ留学することを決めました。今思えば、これが海外へ出るはじめの一歩になったのでした。
夫も海外転勤希望を出していましたが、その順番が回ってくるのは何年先なのかもわからない。だったら、今行ける方法でとりあえず早く行った方がいい。気持ちが冷めないうちに。その計画に夫も賛同してくれたので、即決し会社の上司数名に説明し(もちろん反対もされました)、了承をもらい、数ヶ月後に母子でマレーシア・クアラルンプールへ移住しました。もちろん、2年で帰国し会社に復帰する予定でした。
学校や住居は、事前に日本からエージェントに依頼して候補を出してもらっていたので移住後もスムーズに進み、行ってすぐ学校見学し簡単なテストを受けて、入学が決定。息子が小学2年生になる4月でした。マレーシアは9月が新学期なので、夏休みも含めてちょうど半年間、英語に慣れるために語学学校へ通わせていました。朝から夕方まで。学校と同じような感じでお弁当を持たせて、夕方ピックアップにいく生活でした。
私は日系の百貨店でマーケティングマネージャーとして働き始めたので(期間限定でインターン的に勤務)、フィリピン人のメイドさんに毎日来てもらってお世話になっていました。息子のピックアップ、夕食、そして私が帰宅する夜の時間まで、メイドさんにお願いしていました。
マレーシア時代の話も色々とネタはあるのですが、結論からいうと、母子で、さらにフルタイムで働きながらの海外生活は予想を超える大変さがあり、体調を壊してしまった私はこの生活に限界を感じ、1年後、夫に同じ会社の制度を使ってマレーシアへ移住してもらいました。そして、激務だったインターン先の職場も一旦退職し(今ではいい経験をさせてもらったと感謝しています)、それから、心身ともにやっと自分や息子と向き合えるようになったと今では思います。
仕事、息子、夫、自分の夢。色々と大事な要素がある中で、これまでの私はずっとずっと自分の思いを優先し、好きだった仕事を最優先にしてきました。しかし、ここでやっと立ち止まって家族との時間、家族の未来、幸せについて考え始めました。慣れない海外の環境で、まだ身についていない英語だけの学校生活を毎日送る息子。今は、彼を全面的にサポートし、安心感を与えてあげないといけない、と。ダメ母な私はやっと気がついたように思います。
息子は年の割りに体も大きく、声も態度も大きい、物怖じしない性格なので、どこかで「この子なら大丈夫」と勝手に思い込んでいました。だけど、彼も本当は寂しくて、不安だった。大きな声でずっと喋っているぐらい明るかった息子がどんどん部屋に籠るようになって、ゲームや漫画の世界に没頭するようになる一方で、私はやはり海外でも仕事に追われ、百貨店だったため土日もどちらかは勤務しないといけなかったので、職場に息子をつれて行ったりと、色々と無理がたたってしまったのかと思います。
一旦、自分のキャリアとか、今まで固執していた色々なものを手放し、大学院でMBAコースに通い始めた夫と、インター校に通いながらテニススクール、語学学校にも通う息子のサポートを徹底することに脳を切り替えました。
そしてできる範囲で、リモートワークでできる仕事(主にライター業)を少しずつ空き時間を利用して始めました。
息子は元気を取り戻し、さらに語学力も身についてきたこともあり自信をつけ始めました。学校生活も楽しい、と言い出し、さらにテニスに没頭しスクールも楽しんでいたので、そろそろマレーシア生活も2年が来ようとしていたころ、帰国するという選択肢は自然と自分の中から消滅していました。インターでの授業レベルも申し分なく、サポートも丁寧で親切な良い先生に恵まれ、このまま海外で教育を受けた方が息子には合っていると思うようになり、15年勤めた会社を退職することに決めました。広告の仕事が好きなので、続けていきたいけど、また違った場所で続ければいいや、と自分にしては柔軟な決断をしたと思っています。今までの私では絶対にできなかった決断でした。2年間マレーシアで過ごし、価値観や大事にしたいと思うポイントが完全に変わってしまったのだと思います。
そして、マレーシア生活も3年目を迎えるころ、夫も大学院を猛スピードで単位を取得し、MBA過程を無事修了。そして、彼の中でも変化があったようで、海外に在住しながら働けるように転職すると決断。そして、同じく新卒からずっと働いてきた広告代理店を退職、海外から正社員としてリモートワークができるスタートアップに転職しました。
オランダは、夫婦で旅行で訪れて以来、ずっと好きな国でした。 アート、グラフィック、建築、プロダクトデザイン、インテリア、空間デザイン、ファッション。色んな分野における「ダッチデザインの魅力」は広告関係者やデザインに関わる人間なら誰もが魅了されると思うのです。
ゴッホ美術館など有名なミュージアムがたくさんあり、きちんと整備された公園、キャナルと美しい街並みが調和したアムステルダムの雰囲気。少し南へ行くと、信じられないぐらいの大自然が広がっている。コンパクトですが、街と自然のバランスがとても良いのです。その魅力は住んでみてはじめて知った新鮮なものでした。
さらにオランダは、世界でも有数の教育先進国と言われています。あまりそんなイメージは個人的にはなかったのですが、実際に現地のインターナショナルスクールに息子が通うようになってはじめて気付きました。
この続きは、次回書かせていただきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?