見出し画像

なにごともない町

ここ数日間、大家さんへの退去の挨拶を書いては消し、書いては消しを繰り返していた。
彼らに懺悔しておきたいことや、共有しておきたい思い出。
いざ書き出してみると糸がするするほどけるように次から次へと記憶と言葉が溢れ出てきて、書けども書けども収まりそうになかった。

節分のあと自転車置き場に残された大量のハトのフン、ガリガリ削って片付けてくださってありがとうございました。
そして、本当にごめんなさい。
あの辺りに炒り豆をこぼしてそのまま放置した犯人は、私です。

なぜか真夏の昼間にアパートの手すりにペンキを塗ってくれたこともありましたね。
お茶もアイスも頑なに断られてしまいましたが、やっぱり水分補給は大切だと思います。

来年はセキュリティ強化のために共同ゴミ置き場をさらにちゃんとしたものにしたいと話してくれたことも、とってもありがたかったです。

本当はずっとずっと、このアパートに住んでいたかったし、この町にいたかった。
お二人に出会えて、こんないい人たちがこの世にいることにびっくりして、私の人生もそれほど捨てたもんじゃないと思えました。


そんなことを下書き用のメモにわんさか走り書きして、この部屋と二人への未練ダダ漏れの手紙に面食らう大家さんたちの顔が浮かんで、そっと便箋をしまった。
結局きりえやさんのポストカードにさらりと退去の旨とこれまでの感謝だけ書いて、お身体に気をつけて、と結ぶ。

今から二年ちょっと前。
私は心身ともにへろへろになって、この町に流れ着いた。
社会に出てから二年間、知らない人や信頼していた人からの問答無用な暴力にそこそこのスパンで見舞われてきたからだ。
癒えたつもりになるたびに少し大きな嫌なことが起きて、私の呼吸はどんどん浅くなっていった。

最初に住んでいた町で信号待ち中に知らない人に後ろから抱きつかれてキスされたときは近所の空手道場に「人をぶち殺せるほどの力がほしいんですけど」とふらっと乗り込んでみたり(めちゃくちゃ丁重にお断りされた)、電車で痴漢に遭ったあとは先輩についてきてもらって警察行ったり、職場で上司にキスされたときはインドに飛んだり。

はじめのうちはそんなふうに対策を取ったりぬるりと心を逃したりしていたのだけれど。回復するそばから奪われていくものだから、だんだんと嫌な目に遭っても「まあ、しょうがない。私はそんな運命なんだろう」と捉えるようになっていった。

きっと私はサスペンス映画で最初にサクッと殺される人みたいに、特に深い理由もなく、声に耳を傾けてもらえることもなくあっけなく死ぬんだろう。

ある晩そんなふうに未来が見通せたような気になって、それまで張りつめていた最後の気力が溶けきってしまった。
今の町に越してきたのは、ちょうどそんな頃だった。

ここでも駄目だったら、もうあきらめよう。

そんな賭けのような覚悟を秘めて住み始めたわりに、この町は拍子抜けするほど穏やかで。
大家さんの人柄に呼応するようにアパートの住人もみな途方もなくいい人だったし、近所の八百屋さんも、リサイクルショップの店員さんも親しみやすい人たちばかりだった。

そのうち週末にビールを飲みながらここでの暮らしを振り返って、noteに綴ることが習慣になった。
その週の最大の事件は「ゴミを出しに行って蛇を踏んだ」とか「せっかく買った風鈴が鳴らなすぎてつらい」なんて妙に間の抜けたものばかりで、そんなのどかさにホッと心を緩めながら「来週もどうか、なにごともありませんように」と祈りながら寝るようになった。

小さな石を積み上げていくように、淡々と生きて、淡々と書く。

そうしてその石がそれなりの高さになったころ、自分がちゃんと息を吸えていることに気づいた。

明日も、来週も、なにごともありませんように。

毎日の日記や時々のnoteに、祈りを込めて。

そして私は、本当に「なにごともない二年間」を過ごしてしまった。

祈りが通じたのか、単純にコロナ禍で外に出る人が減ったからなのか、それともこの町の治安がよいためなのかはわからない。
ともかくどんな理由があったとしても、私がこの町で心健やかな二年を送った事実は変わらない。

そんななにごともない日々を『春夏秋冬、ビール日和』として手元に残る形で残せたことは、我ながらナイスだったと思う。
こんなに平和な暮らしがあったことを忘れずにいたい。
折に触れて噛みしめて、胸いっぱいに息を吸いたい。


正直いま、この町を出るのが不安でたまらない。
町を出ることと同じくらいこの町で嫌な目に遭うことも恐れているから、なにごともない今のうちに去ってしまった方がよいだろうとも、そして新しい町も「なにごともない町」であることをたしかめて、自分が深く息の吸える場所を少しずつでも増やしていった方がいいのだろうとも思う。

部屋の解約日ももう決まってしまったし、新居に移ったら目の前の暮らしを見つめて、書いて、「なにごともなかった日」をまた一から積み重ねていくしかないことも頭ではわかっているのだけれど。

それでも気を抜くと私は、私の分身をこの部屋に残して、そのなにごともない暮らしをはるばる新居から見守る妄想をしてしまう。

その一方でやや現実的な私は、大家さんへのポストカードの最後の一文に「またあの部屋が空いたらご連絡ください」と書こうかどうしようか、半ば本気で悩んでいる。

***

最高の大家さんとの詳しいエピソードはこちらから。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この街がすき

お読みいただきありがとうございました😆