夏支度、風鈴日和
暑さに耐えかねて、風鈴を買った。
私の部屋は風通りはいいのだが、最上階(2階)なので熱がこもりやすい。
昨年の夏は腐る間もなく干からびていく生ゴミや絞った数時間後にカピカピに乾燥した雑巾を見て、うっすらと生命の危機を感じていた。
ツアー中にラクダに逃げられて砂漠に置いてけぼりになり、喉がカラカラになって助けも呼べない……という悪夢で飛び起きたのも、去年の夏のことである。
そんな夢を見てからすっかり怖くなって、枕元に水の入ったコップを置いていたこともあった。
「快晴日数が日本一」(埼玉県のうた)とはなわは歌っていたけれど、いくらなんでも晴れすぎだ!
今年は夏を迎え撃つべく、グリーンカーテン用にゴーヤの苗を買い、窓ガラスに遮光シールを貼った。
そしてさらに体感温度を下げるべく、首などに巻く冷感タオルを百均で二枚も買うことにした。
ようし、準備は万端だ。
意気揚々とレジに並んでいたら、季節ものコーナーに風鈴を見つけた。
風鈴かぁ、いいな。
これまでグリーンカーテン、遮光シールに冷感タオルと、遮光や体感温度を第一に考えていたけれど、風鈴なら耳にも目にも涼しい。
私の部屋なら風もけっこう吹くし。
よし、買おう。
列を抜けて、真剣に一つひとつの風鈴に耳を澄ます。フーフーと顔を赤くして息を吹きかけたり短冊を揺らして遊ぶ子どもたちが、闖入者を見るような目つきで私のことを見た。
小さな女の子が、「大人なのに、これ買うの?」と見上げてくる。
たしかに見た目は子どものおもちゃみたいだけどさぁ……。
「大人も買うんだよ」とだけ低く囁いて、また風鈴に向き直る。
金魚や花火が描かれたガラス製はかわいいけれど、音は陶器の方が好きだな。
我が家の外観の渋さ的にも、陶器の方が合うかもしれない。
そう決めて、陶器の風鈴を選んで再びレジに並ぶ。
そうして我が家にやってきたのがこの風鈴なんですが……。
……なんでだろう、まったく鳴らない。
外はかなり風が吹いているのに。
そのうち鳴るだろうと風の音を聞きつつ本を読んでいたのだけれど、さすがに気になって顔を上げた。
すると。
風を受けた短冊は、スケート選手のごとくクルクルと回転していた。
受け流してどうする!!!
どれだけいい風が吹いても無音で旋回し続ける風鈴に、次第に腹が立ってきた。
「絶対に鳴らしたる!!」
かくして、鳴らない風鈴と私の戦いの火蓋が切って落とされた。
そうと決まれば検索だ。
「風鈴 鳴らす 方法」と調べると、「よく鳴る風鈴の力学的考察」(下村裕)という、慶應義塾大学法学研究会から出ている論文に出合った。
風鈴を鳴らすために、「力学的考察」だって!
しかも慶應の人が!
しかも、こんなに真面目に!!
タイトルの段階ですっかり下村氏のファンになった私は、ときめきながら読み進めた……が、意味がわかったのは序文までだった。
この論文の肝となるややこしい数式や関数のグラフは……ごめんなさい、ホントにわかんない。わかりたい気持ちは山々なんですけど、本当にすみません。
ともあれ結論としては、空気抵抗をしっかり受けることと、風鈴内に下がっている舌のすぐ下に短冊を繋げればよいということらしい。
よーし。
風圧重視で、第1案。
元々の短冊を外して三角に折った千代紙を結ぶ。
外に吊るすと、さっそく風が吹いた。
風を受けた千代紙は、少し堪えて、ひらりと舞った。
その後もしばらく見守ったが、風圧を受けても鳴るまでには至らず静かに定位置に戻るか、クルクル回るかの二択だった。
ダメだこりゃ。
続いて第2案。もう気分はすっかり、ホトトギスを鳴かせる秀吉である。
短冊は重い方が風を受けやすいことがわかったので、千代紙に入っているボール紙を使うことにした。
長方形に切るとなんだか殺風景なので、能のパンフレットを切り貼りしてちょっと雅なおじゃる感を演出してみる。
元々の付属の糸だと短冊がクルクルしやすい気がしたので、青いリボンに付け替える。
よし、風よ吹け!
と念じると、またほどよい風が吹いた。
……鳴らない。
も〜、なんなのマジで。
鳴らない風鈴なんて、風流な呼び鈴として使うくらいしか用途が思いつかない。
くっそ〜。
そして、第3案。
もう見栄えなんて気にせずに、とにかく鳴りやすそうな短冊を作ることにした。
さっき使ったボール紙の半分を使おう。風を逃さないように両端を細く折って、パンを止める金の留め具で留める。
下村さんのアドバイスに従って、なるべく舌のすぐ下に繋ぐ。
いやはや、見た目の雑さがひどい。
でも、今までで一番鳴りそうな感じ。
これで鳴らなかったら、もう諦めて呼び鈴にしよう。
そんな自信作を、雨樋に吊るした。
いつのまにか、日が傾いていた。
いつのまにか、風も止んでいた。
しばらく待っていたら、雨の音がした。
慌てて室内に入れようと網戸を開けたら、ごうと風が流れた。
チリリリリ
ようやく鳴った音は百均で聞いたよりもだいぶ大きくて、涼というよりも警報のようだった。
夏との戦いは、まだ始まったばかり。
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