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誕生日に、蛇を踏む。

昨朝素足に雪駄をつっかけてゴミ出しに出たところ、蛇を踏んだ

寸胴だから正確にはよくわからないけれど、どうも下腹部あたりを踏んでしまったようだ。さぞや痛かったのだろう、何か踏んだとこちらが気づいた瞬間にはシマヘビは頭も尻尾も猛然とうねらせ全身で憤っていた。

ごめんごめんごめんホントごめんマジでごめんホントごめんなさい」と謝り倒して慌てて飛び退く。
もちろん私の謝罪の言葉なぞまったく耳に入らない様子で、蛇はめちゃくちゃにのたうっている。
猛り狂う蛇が怖すぎて、思わずおまじないのように「セキロー セキロー セキロー(SEKIRO=隻狼という忍者を操作して主人であるおかっぱ美少年を救出するゲーム)」と手に汗を握って唱えてしまう。

そしてこのゲームをやっていた彼氏が白い大蛇の目玉に日本刀を突き立てていたところを思い出しながら、さらに安全圏へと退避する。
隻狼が日本刀を携え防御力や攻撃力に優れたアイテムを身につけているのに対して、私は寝まきのワンピースに雪駄履きのほぼ丸腰で武器になるようなものは燃えるゴミのゴミ袋一袋。

どこを噛まれても大ダメージを食らうこと確定の、なんとも貧相な装備で出てきたことを激しく後悔する。せめてジャージにスリッポンとか、もう少し防御力の高い格好で出るべきだった。
通路を塞ぐかたちで蛇が暴れているので、部屋に戻るに戻れない。仕方なくその場にしゃがんで、蛇が静まるのを待つ。

そういえば、彼氏が大蛇を倒したのは自粛期間が始まる前だから、もう数ヶ月も前のことになる。
緊急事態宣言が出された最初こそ会えない状況を憂い嘆いていたものの、仕事や部屋の掃除やぬか床との付き合いに追われているうちにどんどん連絡頻度は下がっていった。


いつしか彼のことはオンライン飲み会で友だちに「最近彼氏とどう?」と聞かれた時や、「自粛中の会うor会わないをめぐって恋人と別れた」とか「会えないストレスで気持ちが荒ぶ」などのエンタメ記事をネットで見かけた時に「そういや彼氏どうしているかな」とちらりと頭をよぎる程度になり、しまいにはLINEを送るのも億劫になって、「とりあえず元気でいてくれ!」と念じるだけになった。テレパシーが通じているわけではなさそうだけれど、彼はとりあえず元気でいるらしい。

それにしても、エンタメ記事を熟読して毎日電話したりオンラインデートに励んでいる恋人たちもいることに、ただただ圧倒される。

おそらくもとから少なめだった私の情熱的な恋を持続させるためのスタミナは、すでにほぼ枯渇している。決して仲が悪いわけではないのだけれど。単純に、「情熱的な恋」に対する向き不向きの問題なのだと思う。

そういえば、と私にはない溢れんばかりの情熱を持った姫がいたことを思い出す。好いた男、安珍の裏切りに憤るあまり大蛇になってしまった清姫だ。
彼女のことを読んだのは『今昔物語』だったか、『大鏡』などの鏡シリーズだったか。たしかラストは男が逃げ込んだお寺の鐘に、大蛇になった彼女が巻きついて鐘もろとも焼き溶かしてしまうというものだった。おそるべき執念。おそるべき恋情。

たかが伝承と笑うことなかれ。清姫に似たタイプの気性の激しい恋深き乙女は、令和を生きる私の周りに何人もいる。きっと、誰の周りにもいることだろう。
恋でも仕事でも、趣味でも、夢中になって情熱を傾けられる何かを持っている現代の清姫たち。どれもあまり盛り上がっていない私としては、羨ましいかぎりだ。

そんな渋い思いを噛み締めながら、長いこと蛇を見ていた。ようやく蛇は悠然と草むらへ消えていき、私もゆっくりと立ち上がった。
無事にゴミを出し、着替えて散歩に出る。私の家の周りには畑が多く、庭先に無人販売用の棚を設けて野菜を安く売っている家が何軒かあるのだ。

この家からはカブを、この家では新じゃがをとぶらぶら買い求めるのが無性に楽しくて、一週間に2、3回ほど家々を巡っている。
久しぶりの青空に日焼け止めを塗るかどうか少し悩み、結局塗らずにマスクをつけて外へ出る。
今日は何が買えるだろうとウキウキしつつ、同じ道をゆく小学校中学年と低学年の兄弟について歩く。
するとなんと、兄弟の足元にまたしても蛇が滑り出た。小ぶりなアオダイショウのようで、さっき見たシマヘビよりもかなり大きかった。
いち早く蛇に気づいた兄の行動は素早かった。彼は弟の腕を掴んで大回りさせ、持っていた木の枝でこともなげに蛇を用水路へと追いやっていた。


久しぶりに、本当に久しぶりにどすりとした羨ましさの重みを感じた。兄の頼もしさも、兄が追い払った蛇を一瞥して「あぁ、蛇か」程度の軽い反応を見せた弟も、心の底から羨ましかった。
なんなの君たち。かっこよすぎるよ。

この町で生きていくためにも、彼らくらい逞しくなりたい。
推定10歳と推定8歳を心の師匠に定めた私は、すでに26歳である。彼らの何倍も生きているくせに、精神的にも全然歳相応には思えないし、子どもの頃に比べてできることが格段に増えたような実感もわかない。

結局、八百屋で新じゃがと新玉ねぎを買った。そして一夜明けた今日、茹でてつぶした新じゃがを塩とスパイスで味付けした、サモサの中身風ポテトサラダと、新玉ねぎを加えた冷凍エビチリを食卓に並べる。そして禍々しく大人感(うらぶれたオヤジ感ともいう)を醸し出すストロング缶。

さあ、ひとりお誕生日パーティーの始まりだ。なんとも情けない大人に、なってしまったことよ。

お読みいただきありがとうございました😆