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死にさらせ、痴漢どもよ!

痴漢対策サイトによれば、東西線の木場ー門前仲町は混雑率199%で日本一なのだそう。人がたくさんいるからこそ痴漢ができる世の中って、いったいなんなんだろう?

2019年11月 東西線車内にて

今の職場の出社時間は他社に比べて遅めの10時なのだけれど、月に一度「朝当番」という、みんなより一時間早く出社して荷物の発送準備を整えたり掃除をする一週間がある。毎日この時間に出勤している人は偉いなと思いながら、当番だった私はその水曜の朝も満員電車に揺られていた。

向かいに立っていた黒縁眼鏡の青いネルシャツを着た男性がぴたりと私に密着してきたのは、電車が混んでいたから。そう信じたかった。
痴漢だと確信を得たのは密着していたその人の手が私の尻に回り、ロングスカートをじわじわとたくし上げてきてからのこと。何度か肘でつついたり「離れてください」と小声で言ったら脅しなのかカッターらしきものをチキチキと鳴らされた。刺されてはたまらないので周りのスーツの男性5〜6人に目で、口パクで助けを求めた。みんな「おっ?」と怪訝そうな顔をしたが、私のパンツに男の手が入っていることを確認するや否やスッと顔を背けた。あっぱれと称えたくなるほどの、完璧な見て見ぬ振りだった。

きっと関わったら仕事に遅れるとか犯人に逆恨みされたらとか、いろいろ考えた末での無視なのでしょうけれど。

一刻たりとも遅れることが許されない用事や愛する家族や恋人がいるのかもしれないけれど。
それでも正直、傍観者を決め込む彼らのことも痴漢と同じくらい憎かった。

人の出入りが激しい茅場町が近づいてくると痴漢男はすっと手を抜き取り、密着していた身体を離していった。
もうカッターは持っていないだろうとふんだ私は思い切り彼の両手に掴みかかる。
「あなた、痴漢ですよね?私のパンツに入ってた手、あなたのものに違いないんすけれども!」と詰問すると相手は「違いますよっ!違う、離せよ!!」と身を捩り、彼の足を踏みつけて取りすがる私を突き飛ばすと、閉まりかけたドアに突進してホームへと駆け降りていった。

呆然と車内の床にへたり込んだ私は徐々に込み上げてきた悔しさに涙が堪えきれず、車内に残っていたさっき助けを求めた人たちを睨みつけた。彼らはやがて、気まずそうに他の車両に移っていった。
おめえらみんな死にさらせと思った。

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ごく数名の知人とだけフォローし合っているTwitterに愚痴ったところいきなり通知が鳴りまくり、300件の「いいね」がつき「こんな痴漢対策アプリがあるよ!」「勇気出して声をあげたのに無視は酷い」など親切な知らない人からコメントが寄せられた。
それだけネット上ではたくさんの人が憤っているにもかかわらず、現実には人がたくさん密集していることが痴漢にとってはチャンスなんて、卑劣な行為に磨耗して毎日怯えながら電車に乗っている人がたくさんいるなんて、こんなに悲しいことってあるだろうか。

虚しさに耐えかねて彼氏に痴漢に遭った旨をLINEした。昼過ぎに返ってきた言葉は「駅員につきだした?」の一言のみ。たまらず「陰部に指だよ!カッター鳴らされたんだよ!そんな状態でつき出せると思うか⁈」と怒りむき出しの返事を打つ。
油断すると涙腺が緩んでしまうのでひたすらに心を無にして淡々と仕事し定時で帰宅すると、うんと丁寧に身体を洗った。
そんな夜でもご飯はいつも通りおいしかった。落ち込んでいる気持ちとは無関係にお腹が鳴ることがなんだか無性に悔しかったけれど、ちゃんとおいしいと思えることに少しほっとした。

悪夢

布団に入って気を緩めた途端、怨嗟と絶望、憎悪が溢れんばかりに湧き出してきた。とてもじゃないが一睡もできそうにない。夜が過ぎていくなか、何度かトイレに立ったり枕にひいたタオルを絞ったりした。
少し日が昇りはじめてきてやっとウトウトしかけたその時、待ってましたとばかりに悪夢が襲ってきた。

バイト先で、職場で、あるいは電車で。これまで受けてきた性的な嫌がらせをごった煮したような夢。

汗だくで飛び起き、そうしたトラウマをぜんっぜん乗り越えられていないことを夢に嘲笑われたように感じて、悔しくてまた涙がこぼれた。
昨年会社でキスしてきた部長の件なんて、もう吹っ切ったと思っていたのになあ。癒えたと思ったら突き落とされて、這い上がったと思いきやまた地獄に押しやられて。ちょっと記憶の蓋が開いただけで、こんな有様か。
考えれば考えるほど嫌な思いに押しつぶされて消えてしまいたくてしょうがなくなって、以前部長とのゴタゴタをめぐって会社と揉め、不眠とストレスで視野が欠けた時に眼科で処方されたアルプラゾラム(林真理子が「お姫様のような目覚め♡」と絶賛した薬らしい)を10錠、鬼ころしで一気に流し込んだ。
勢い任せにもう1シート手に取ったものの、とりあえず日記を書いてからにしようと思った。こうした非日常の中に放り出された時であっても、ルーティンには抗いにくい。
「私に触った指をもぎ取ってやりたい」と憤ったり、「全身にオナモミをつけて出社しようか。けれど、それはセーターの時期しか使えない方法だ。ああ、ハリセンボンかハリネズミに生まれ変わりたい。いっそのことショッキングピンクに髪の毛を染めて厚底ブーツを履いたら痴漢を遠ざけることができるだろうか」と対策法を考えたり、「なんで痴漢に敬語なんて使っちゃったんだろう。次に会ったら“ふざけんじゃねえクソッタレ”くらいは言いたいし、『ロイヤル英文法』並みに分厚い書籍で頭ぶん殴りたい。でも、私の大切なロイヤルを汚したくない……」と考えたそばから後悔したりと、夢中になって日記を書いていたら、次第に薬が効いてきた。

東京メトロ・警察へ

「東西線に終日女性専用車両を!」

と題した要望文書を、事件の翌々週に東京メトロの「ご意見・ご要望フォーム」に送った。
このフォームを書くよう勧めてくれたのは警察だ。なぜ警察に行ったのかといえば痴漢のことを相談した職場の先輩が「まずメトロに行ってみよう」と付き添ってくれ、茅場町の駅窓口で「先日痴漢された者なんですけど、監視カメラとか確認することできませんか?」と聞いたところ「ここではそういう対応はできないので痴漢相談施設か警察に行ってください」とすげなく駅員に言われたからだ。なんという鮮やかなたらい回し。一緒にたらい回されてくれた先輩には感謝しかない。

警察に行っても犯人の特徴は青いネルシャツに黒縁眼鏡の30〜40代の男性くらいしか覚えていないから、捜査してもらうことは無理かもしれないと薄々思っていた。
案の定、警察には「冤罪を極力減らすために、現行犯逮捕か物的証拠がないと厳しい」と言われ、「男が触ったスカートや、男の手が入ったパンツは洗ってしまったのか」と事務的に尋ねられた。


あの時は、証拠を保存する意識なんて皆無だった。
私は帰宅するなりスカートやパンツや上着など、あの日身につけていたもの全部、そして身体の隅々まで、証拠を綺麗さっぱり洗い流してしまっていた。

力では男にかなわないから、周りの男性に助けを求めろ」と言われたので、
「声を出そうとしたり前に抱えていたリュックで手を阻もうとするとカッターのようなものを鳴らされたから、周りの男性たち5〜6人に目配せしたり口パクで助けを求めました。でもみなさん忙しいのか、私の捲り上げられたスカートを見るやサッと顔を背けてしまったんです。公衆の面前で陰部に指ですって。まったく世も末ですよね。ははは」
と感情を押さえつけるように答える。
すると、「たとえどんな状況であっても声は上げてほしいし、痴漢が降りたら追いかけてくれればその姿が監視カメラに映って逮捕に繋がるかもしれない」とその人は返した。
痴漢されただけでも頭が真っ白なのに、とっさにそんな行動を取れる者がどれほどいるだろうか。

「どうして被害から警察に来るまで、日にちがあいてしまったのか」とも聞かれた。
痴漢行為にあまりにも呆然としてしまって、とりあえず日々を回すことに精一杯で、メトロや警察に訴えるなんて先輩から言われるまで思いつきもしなかった。


先輩が「できれば東西線に終日女性専用車両を設けてほしいんです。警察からメトロにそういった要請ってしてもらえないでしょうか?」と言ってくれた。先輩の使っている電車は東西線に比べて乗車率は高くないにもかかわらず、平日は終日女性専用車両があるらしい。
都内でもひときわ乗車率が高い東西線でも検討してもらえたら、たしかに身体的にも心理的にもうんと負担が軽くなる。
しかしその警官は少し渋い顔でしばし考えた後、次のようなことを言った。
「警察からメトロに要請することもできるけど、そうするとどうしても“お上からのお達し”的な扱いをされて、きちんと対応してもらえないことが多い。一番彼らが弱いのはやはり“お客様の声”なので、メトロの要望フォームに何人もの人が意見を書くのが良策だと思う」
…そうかよ。
メトロから警察へ。警察からメトロへ。なんだか眩暈がしてきた。

「これからは女の人も強くならなきゃ!」と激励(?)してくれた、女性警察官の言葉も妙に心に引っかかった。
なぜ普通に通勤したいだけなのに、女性だからという理由で性的暴行を加えられることに恐々としながら、強くなろうと努力しなくてはならないのだろうか。
時々痴漢を捕まえた女子高生が新聞に載ってたりするけど、女性みんながその子と同じくらいの勇気と行動力を朝から発揮できるわけではない。ていうか本来ならば仕事に向けたいエネルギーを大量に割かれながら電車に乗らなきゃいけないなんて、おかしくない?
ただ出社したいだけなのに、どうしてこんなにも消耗させられなくちゃいけないんだろう。


その後少し落ち着いたあと、彼氏の家で「駅員につきだした?」の真意を聞いた。

真意も何も、言葉通りのことが気になっただけとのこと。だってあんた痴漢に遭った時「参っちゃうよね〜」と笑っていたから、今回もそんな感じかと思って。

そう言われて返す言葉もなかった。
そう、彼は私が外に出したものをそのまま受け止めるタイプだ。
私が笑って言えば、明るく話せば、彼にとってそれは明るい笑い話になる。笑いで、明るさでコーティングされた悲しみには、気がつくことはない。

都合のいい話かもしれないが、今回ばかりは気がついてほしかったなぁ。
笑って話していたのは、一つには彼に心配をかけたくなかったからなのだけれど。
私の笑いは、それ以上自分が崩れてしまわないための鎧だったんだけどなぁ。

そして、心療内科へ

電車に乗れば乗客の中にあの日の痴漢や私の求めた助けに顔を背けた人たちがいるのではないかと思い憎悪に身を焦がし、駅員や警察を見かけるたびに不信感で胸焼けがした。
人を呪うことが日常になって、いつ発狂してもおかしくない状態だった。そんな私の様子を心配した友だちが、心療内科を紹介してくれた。
会社を中抜けして行った心療内科の先生は、いかにも誠実そうな、とても真摯に話を聞いてくれる初老の先生だった。あの日の状況を思い出してボロボロ泣きながら私は今日までに起きたことを話し、睡眠薬をもらった。
社に戻ると上司に「いったいどこがどう悪いんだ?」と尋ねられた。
かろうじて気持ちを平らに抑えながら「強ストレスか適応障害みたいなこと言われました」と答えると「適応障害とか鬱なんて、我々含め現代人はみんなかかってるぞ!気にするもんじゃない!」と言われた。
その通りかもしれないと思いながらも、心がぶつりと捻り殺されたような感触がした。

そんな現代に生まれたことを深く、強く後悔した。

結局先輩のアドバイスのおかげで、しばらく会社の勤務時間を1時間ずらし、ゴミ出しや締め作業などをやることで早朝当番を免除させてもらうことになった。

もう朝泣きながら出勤しなくて済む。

もう電車に乗る時にゲロ袋を構えることもない。

それは、とてもありがたかった。混雑した電車にさえ乗らなければ、もうきっと大丈夫。
そう安堵した私はその数日後に、淡く灯った希望を粉々に打ち砕かれることになる。痴漢や変態の出現する時間は、早朝だけではなかったのだ。

変態は時間を問わず

女性専用車両は現在、9時で終わってしまう。東西線の乗車率がピークを迎える時間帯に合わせて女性専用車両は設定されているのだろうが、東西線で受けた性的嫌がらせは早朝だけにとどまらない。東西線沿線に住みはじめて1年足らずにして、今パッと思いつくだけでも4回あった。

平日の朝10時頃、見ず知らずの学生風の男性から「エロい身体してるね」と視線で舐め回され、睨んだら「んだよ、褒めてやってんのに。ブス」と不服そうに舌打ちされた。
なんでたまたま乗り合わせた赤の他人に容姿やスタイルを値踏みされなきゃいけないんだろう。

残業帰りに酔っ払いに胸や腰を掴まれたこともあった。
顔は真っ赤に緩んでいて足取りも覚束ないのに、血走った目だけが異様にギラギラ光っていてとても怖かった。

葬式帰りの夕方に「喪服って「未亡人」って感じがしてそそるねぇ」とどこかの社員証を下げた中年男性に馴れ馴れしく話しかけられたりもした。
おめえを勃たせるために着てるわけじゃねえよ。頼むから心静かに故人を見送らせてくれ。

横に立っている30代くらいの男性から、肘で胸を押されたりブルブル震えた湿った手で手を握られたこともある。
「大丈夫ですか、さっきからめっちゃ震えながら私の手握ってますけど。具合悪いんですか?次で一緒に降りましょうか?」とあくまで「具合悪い人を介抱する体」で降ろそうとしたら「私見ました!この人悪い人です!」と推定インド人が加勢してくれたこともあった。
そんな風に誰かが助けてくれたこともあったが、思い返せばそれはいつも外国人か自由業風な男性だった。
日本を担っている(らしい)サラリーマンにとっては眼前の犯罪より、時間や保身が最優先なのだろうか。
そうした人たちが車両内の大半を占めていたとしたら、警察で言われたように大声で助けを求めたとしても、その声は圧殺され被害者は一人で痴漢と対峙しなければならなくなる。
しかも被害者だって、みんながみんな痴漢撲滅ポスターのように「キャー!痴漢よ!」なんて即座に声を上げられるわけではない。
必死に出したサインが無視された時の絶望感を知ることも、気にとめることもなく、リーマンたちは時間通りに出社し仕事を片付けていくのだろうか。ふざけるな。

考えれば考えるほど怨念が膨れ上がって反吐が出そうだ。痴漢はもちろん、彼らを許容するような空気を醸成している社会も、気持ちが悪すぎる。

先日は痴漢を捕まえようと追いかけた男性が容疑者に突き飛ばされ重傷を負う痛ましい事件もあった。その男性のお連れ合いのツイートに、きつく胸がしめつけられた。
「痴漢」とGoogleの検索欄に入れた瞬間、予測変換の上の方に「痴漢 冤罪」が出てくることもショックだった。たしかに冤罪は、無実の人の人生を狂わせてしまう恐ろしいものだ。だけれども私は、私のスカートに入っていたあなたの袖口を、たしかに掴んだのだ。というかそもそも私の場合、真正面で向かい合っていた人間に痴漢されたので冤罪という言葉は出る幕もない。
「この手が!」「そしてこの手の先にはこの顔が!」と掴んだ手や相手を執拗なまでに激写し確たる証拠としてメトロや警察に提出すべきだったのだろうか。そんな危険を冒してまで、痴漢被害者は立ち向かわなくてはならないのだろうか。
ただ安全に通学・通勤したいだけなのに。 たったそれだけの願いが、どうしてこうも叶わないんだろう。
初詣で「今年こそ、痴漢やその他性犯罪に遭いませんように」なんて、もうこれ以上祈りたくないんだ、ほんとうに。


お読みいただきありがとうございました😆