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ロブスターのために生きてるわけじゃない

なんなの、サイドミラーが8個もついたバイクって。
なんなの、「ねるねるねるね」みたいな帽子って。
ヤバい、ヤバすぎる。
とき子さん、あなたの初カレヤバすぎるわよ…!

珍妙すぎる初彼氏のエピソードと強烈なとき子節が炸裂する「もう小説みたいな恋がしたいなんて言わないよ絶対」。

こちらはとき子さんの人気作のひとつである。
さんざん笑わせてもらったあと、ふと、私も昔の印象的なデートの話が書きたくなった。

いや、あれはデートと言っていいのかどうかもわからない。
たぶん、相手にとっては「デート」だった。
けれど私にとっては途中まで、「サシでメシに行く」にすぎなかった。
いま振り返ってみれば、それが悲劇の始まりだったのだと思う。

その彼、ロブくん(仮)と私は、某予備校の模試監督の単発アルバイトで出会った。
会場は広いビルだったので生徒の数も多く、その部屋を監督する大学生も私含め三人。そのうちのもう一人がロブくんで、もう一人が三年生の先輩だった。

その先輩が異様に模試監慣れしていたので私はあまりすることがなく、生徒たちのメガネ率やチェックのシャツ率を割り出したりして時間をつぶしていた。

受験科目の選択によって途中入室する生徒がいるので、各教室の模試監の一人か二人が当番制で一時間ずつビルの入口に立つことになっていた。
私たちの部屋に順番が回って来たとき先輩は「ここは俺一人で十分だから、君たちは外の空気を吸ってくるといい」と言ってくれた。

立ちんぼうは、本当に暇だった。
たまに受験生がやってくる以外は自分たちしかいないので、自然とおしゃべりが弾む。

学部やサークルを尋ね合い、模試監バイトのおいしさを語り、そこそこに盛り上がって一時間後、別の部屋のバイトさんが来たので交代して室内に戻った。
そしてつつがなくその日の試験が終わり、後片づけをしていた時。

「あのさ、つるさん。今度メシ行かない?
とロブくんに誘われた。
社交辞令かと思いつつも連絡先を渡したら、その日のうちにメールがあった。
来週末にでも飲みに行こうという。
待ち合わせは、今回の試験会場と同じ渋谷で。
二つ返事でOKして、あっという間にその日が来た。

当時私は、「メシに行こう」と誘われた場合は極限まで腹を減らしていくのがマナーだと思っていた。
集合するやいなや飲食店に入りジョッキを空け(一浪したのでちゃんと成人済み)、焼き鳥やピッツァを貪る合間に近況報告をねじ込むことが「メシに行くこと」だと信じていた。
実際、浪人時代の仲間や高校の友だちと集まる時はそうした飲み会がほとんどだった。

だから私は、オレンジ色のセーター(毛玉つき)にポケットの大きな濃灰のスカートという、完全に鳥貴族かサイゼリヤに行く感じのファッションで集合場所に向かった。
ハチ公前には、朱色のパーカーを着た彼が先に待っていた。

あぁよかった、向こうもラフな格好だ。渋谷集合というからひょっとしてサイゼじゃないイタリアンにでも連れて行かれるかとヒヤヒヤしたけど、彼の服装から判断するにこれは居酒屋かファミレスだな。
一応5000円持ってきたけど、絶対足りるわ。

「どこ行く?」と声を弾ませて私が言うと、「実はついて来て欲しいところがあって」と彼は確固たる足取りで歩き出した。
何かな何かな、とりあえず腹減ったな。

……彼が入ったのは、楽器店だった。
あっれぇ?
たしかに彼はサークルでギター弾いてるって言ってた。私もラッパ吹いてるって話はした。
でも、なんで今?

とはいえ私たちは限りなく「はじめまして」に近い「二度目まして」。
とてもじゃないが「メシ行くんじゃないんか〜い♪」なんてツッコめる雰囲気じゃない。

しかたなく、私は彼を見守った。
不意にギターを見ていた彼が「これ試したいんですけど、いいすか?」と店員さんを呼び止めた。

これはもしや、試聴要員として呼ばれたのかもしれんな。
胃袋を人質に取られているので、私は彼の演奏をおとなしく聴いた。
彼はギターを3本も取っ替えて、しかもそれぞれで5分くらいの曲を弾き歌った。

愛だ恋だと声を震わす彼を振り返る、お客さんや店員さんの視線が痛い。
私はこの人の連れじゃありません。
ていうかロブくん、頼むからこっち見ないで。

「どうだった?」と冬なのにうっすら汗をかいている彼に、空腹の限界だった私は最低の返しをした。
お腹の減る曲だね

「ごめんね、待たせたね」とロブくんは爽やかに笑い、ギターを置いて店を出た。
そのまま真っ直ぐに歩く彼に、今度こそメシだと安堵する私。

猫と犬、どっちが好き?
そう聞かれて、猫だと答えた。家で飼ってる猫、すごく性格悪いけどかわいいの。ロブくんは?
そう尋ね返すと、「俺も猫飼ってるんだ」とのこと。
名前は?と聞いたら「るるる♪」と、ご丁寧に語尾に音符をつけておっしゃった。

へーい!キモ~~~い!

この時点で帰りたくなったのはいうまでもない。
でも私の名前そこまで珍しいわけでもないし、偶然ってこともあるよね……。
なにより腹が減っているし、せっかくの人の誘いを途中でぶった切って帰る勇気はない。

静かにドン引きながら歩くこと数分、我々は渋谷駅に着いた。
え、駅じゃん。
あっけに取られていたら彼は「ごめん、予約しているお店は渋谷じゃないんだ」と言った。

うん???
そんならなんで渋谷集合にしたんだろう。あ、ギターか。ギター弾きたかったんか。
ならまあ、しかたないか。

渋谷から何駅か電車に乗って、彼の後を歩いて着いたお店は「レッドロブスター」だった。
鳥貴でもサイゼでもなく、ロブスターだった(ロブスターって何だろう)。

流されるまま店に入ってメニューを見て、愕然とした。

え、私たち今からエビ食べんの?
なんか茹で時間めっちゃかかりそうなんだけど。
しかもめっちゃ高いんだけど。

メインメニューのロブスターの値段にビビりながらページをめくったら、1300円くらいのパスタが出てきた。
縋る思いで「私このパスタにする!」と高らかに宣言したら、「いやいや、せっかくきたんだからロブスターいこうよ」とロブくんはページを戻した。

「ごめんロブくん、私5000円しか持ってないの!」


たまりかねて、正直に言った。
すると、「女の子に出してもらおうなんて思っていないよ」とロブくんは目を丸くした。
女の子って……?私が……?

これまで高校のクラスメイトや浪人時代の友だちと遊びに行く時、女子であることを理由に奢ってくれた人はいなかった。
稀に奢ってもらう時には、テストに勝った記念や勉強を教えたお礼など、なにかしらの理由があった。

ただ女子であるからと奢ってもらうのは、なんだかひどく居心地が悪かった。
5000円までなら出しますんで、ほんとに、出しますんでとぺこぺこしながら彼が生牡蠣やワイン、ロブスターを頼むのを息を詰めて見守った。

ロブスターは調理される前に一度、生きたまま私たちのテーブルに運ばれてきた。
これを今から殺しますんで」みたいなことをウェイターさんが紳士的に言う。
私たちが牡蠣を食べて、ワインを飲んでいる間にロブスターはじっくりと殺され、華々しくテーブルに再登場した。


「君は本当はわりとかわいいんだから、コンタクトにしてちゃんと化粧しなよ」

真っ赤なロブスターをフォークでつつきながら、ロブくんは唐突にそう言った。

「コンタクトと化粧?なんで?」
「女の子なんだから、少しでもモテる努力はすべきでしょう」
「今は別にモテたくないとしたら?」
「そんな女の子いる?俺は君がバイト中に一瞬メガネ取った時に一目惚れしてデートに誘ったんだけど」

それ一目惚れっていうんか?
たしかに私はけっこう近視なので、メガネを取った時とつけている時とで顔の印象は若干違う。
とはいえ少女漫画のヒロインのごとく「メガネを取ったら突然美人!」というわけでは決してなく、ごくごく平凡な顔である。
そして私のメガネは、ギャップを演出するための道具ではない。
私の大切な身体の一部だ。
すぐ曇るしわりと汚いからあまり好きではないけど。

……メガネや化粧の有無くらい、自分で決めさせてくれないかな。

時折彼に感じていた苛立たしさが、急に再燃した。
そんな条件付きの一目惚れなんて、いらない。

「『虫愛づる姫君』って覚えてる?」
そう切り出すと、「古文の教科書に載ってたよね」と怪訝そうな顔でロブくんが言った。

あるお屋敷に毛虫を好む姫がいた。
その趣味や独特な哲学、そしてお歯黒もせず眉も整えない姿を女官たちはキモがり、ウザがる。姫自身はそれを気にすることなく、虫の名前をつけた男の子たちを召し抱えて趣味に没頭する毎日。
そんな姫に興味を持った右馬佐(うまのすけ)という男が友だちと連れ立って屋敷を覗き見する。
そして姫の顔立ちを見て、思う。
本当は美人なのにもったいない」と。

姫と右馬佐が恋愛関係に発展したのかどうかはわからない。
けれど、もし私が彼女だったら「ちゃんとお化粧したらかわいいのに」なんて余計なお世話としか言いようがない。
見繕いなんて、したくなった時に好きなようにすればいいじゃない。


それに本当は、私は知っていた。
コンタクトをしたら、化粧をしたら、多少はモテるであろうことを。
大学デビューでもしてみむとコンタクトと化粧品を買った大学入学早々、サークルの飲み会でロブくんに似た雰囲気の男の子たちが時々気まぐれに近づいてきたからだ。

そうやって寄ってきた男の子との話の噛み合わなさや趣味の合わなさに愕然として、私はコンタクトと化粧をして大学に行くのをやめた。
そうなるとキャンパスにいる時間のほとんどは授業や気心の知れた友だちと過ごす時間になり、ますます見繕いの必要はなくなっていった。

私は正直ロブくんにモテても嬉しくないし、自分を変えるのは自分でありたい。
どうか右馬佐にならないで。
ほっといてほしい女子もいることを、知っておいて。

そんなことを、丁寧に話した。
ロブくんは全然納得がいっていないようだった。
「女の子は顔がよければお金持ちと結婚できるんだよ?」
「かわいい子ほど高いものを買ってもらえたりするじゃん」
等々、女子が見目麗しくあることのメリットを説いてきた。

そう言われても……私、ロブスターを食べるために生きてるわけじゃないし。
別にあなたたちに買ってもらわなくても、自分でなんとかできるんだってば。

彼との話は平行線のまま、お腹いっぱいになってしまった。
私は有り金すべて(5000円)を差し出したが彼に「女の子に出してもらうのは男としてナイ」と頑なに拒まれ、結局かなりの金額を奢ってもらってしまった。

それまでの私であれば「ロブスター奢ってもらった〜!儲け〜♪」とホクホクしていたかもしれないけれど。
「女子には奢るべし」なんて信念のもとに奢られたことは、ちっとも嬉しくなかった。
その日の日記は「タダより高いものはないっていうけど、ほんとだわ」と結ばれていた。

サークルや友だちには「二度目ましての男の子にロブスター奢ってもらったwww」とネタとして話してしまったけれど、私の中にはずんもりと後味の悪さが残っていた。

男の人みんながロブくんのようなタイプではないとわかってはいるけれど、これから先も「コンタクトと化粧すればいいのに。惜しいわ〜」とか言われ続けるのは嫌だ。
いつか、すっぴんメガネの私をちゃんと好いてくれる人に出会えるだろうか。

その後のロブくんがどのように女の子にアプローチをしたのかは、私は知らない。
ギター弾いてロブスター奢るスタイルを崩さず、そのアプローチに目を輝かせてくれる系の女の子に出会えたかもしれない。
そのスタイルを「奢らんでけっこう!あんたのバイト代はあんたのもんだ!」と突っぱねられ、割り勘の気楽さや気取らないデートの楽しさに目覚めたかもしれない。


私はというと。
ロブくんとの謎のデートの約半年後に今の彼氏と出会い、そこからもう半年間の友人関係を経て恋人になった。
彼は私が化粧をしてもしなくてもどちらでもいいと思っているし、そもそも私が化粧をしていてもしていなくても気がつかない。

稀に化粧をすると「目の周り赤いやん!かゆいんか?」と心配そうに聞くし、乾燥防止にニベアを塗っただけの顔を見て「今日お化粧してる?お顔がピカピカしてる」と微笑む。
そんな彼が、私は好きだ。


あの時ロブくんが気づかせてくれた「自分を変えるのは自分でありたい」という思い。
それを頑固に守り抜いた結果が今につながっていると思うと、彼には感謝しないといけないのかもしれない。
あれ以来ロブスターは食べていないけれど、今の私はそこそこに幸せなのだから。

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