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正社員もフリーターも向いていないと悟った30代、さあどうする


「真面目なのに頭悪いね」

 目から水滴がこぼれそうで驚いた。薄々"わかっていた"からだ。社会人になってから数年経った後、上司から言われたこの一言をいまだに覚えている。

 私は一丁前にプライドは高く、哀しみを常に盾にしている。冷や汗が止まらない。図星だからだ。無能である自分を「真面目」で包んで隠してしまう気でいた。

 頭が悪い、というのは私をとても表しているなと思った。要領はよくない。確認する回数が多すぎる。無駄な動きが多い。過剰な心配。落ち込み方も過剰。複数のことを同時にできない。少しでもとげのある言葉を聞いただけで胸がドクドクしてしまう。抱えきれない仕事を任されているのに、皆より低いレベルでもがいている自分が恥ずかしくて、「できない」と言い出せなかった。誰のことも頼れない。自分ひとりで引き受けて、ひとりで残業でもして終わらせられるのであれば、人に頼む理由がないと思っていた。だが結果、仕事は全体で遅くなってしまった。いまにも倒れそうなくせに「大丈夫です」と答え、かげで涙を堪えきれなくなっている。それなのに、困っている人を放っておけない。

 いまも、自分を頭が悪いなあと思ってしまっている。

 ちょうど今日。10月1日。

 休職している会社の上司からメッセージがあった。朝の8時半頃の出来事。私が朝ごはんを食べていた時だった。

「今週どこかで電話できませんか」

 きっと、今の休職や傷病手当書類、復職に向けての話だろう。それがわかっていても、メッセージをこの目で見た瞬間、全身から汗が止まらなくなった。私はたったこれだけのことで取り乱してしまう自分が恥ずかしくて悔しかった。涙もこぼれてしまいそうだった。

 妻に悟られないようにした。心配をかけたくなかったから。大丈夫、私は大丈夫。だって——、作家になるんだからね。

 洗面所からタオルを持ってきて、顔をきつくこすって汗を拭いた。ここで焦りすぎると過呼吸になってしまう自分を嫌というほどよく知っているから、大袈裟なくらい深呼吸をした。そうして返信をすぐに打った。「いつもありがとうございます。9時以降であればいつでも可能です」と。対応は遅れずにやる。社会人の基本だ。

 9時になり、仕事へ向かう妻を見送った。

 ひとりになった。妻を見送った後、いつもルーティンは決まっている。朝ごはんの洗い物を済ませ、溜まっている洗濯物を回していく。それが終わるまでの間、掃除機をかけたり、米を炊いて小分けに冷凍したりする。洗濯物を干したら、次はスーパーに買い出しだ。チラシを見て、安いものを効率よく買っていく。慣れたものだ。2時間もあれば、すべてを終えられるだろう。

 ——— どれも手につかなかった。

 "電話が来るかもしれない"というたったひとつの出来事が、私を縛り上げた。よほど私は、今の会社に拒絶反応を示しているのだろう。身体が震えた。立ち上がって、うろうろと部屋の中を歩き回る。だんだんと息が上がってきた。どうして私はこんなに弱いのだろうな。洗い物をしないと、洗濯をしないといけないのに。どうしてたったこれだけのことができない。立っていることもできなくなった私はスマホを見つめながら体を横にした。電話も、返信も来ない。そうして私は、今までのことを思い返す。


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 全部私の都合で苦しんでいる。

 だから余計に虚しかった。今まで社会人をやってきた10年間、ずっとだ。新卒で入社した会社で鬱病とパニック障害を患い、以後、私は職を転々とする。アルバイトも複数経験した。正社員は責任やプレッシャーが重すぎて続かなかった。とはいえアルバイトでは食べていけなかった。その自分を脱出するために、今の会社ではアルバイトで入社し、そこから正社員を目指したのだ。そうして私は、無事正社員になれたのであった。やれば私もできるのだと思った。"普通の人間"になれたと思った。

 なのに、私は続かなかった。適応障害と病院で診断された。

 責任やプレッシャーに極端に弱かった。頭の中が真っ白になり、パソコンの前で度々フリーズしてしまうことがあった。画面が固まるのではない、私が固まってしまった。深呼吸をしたら、どの仕事も私はしっかり全うできる人間であるはずのなのに、呼吸が荒くなる。正社員の最低ラインでこうなってしまうのであれば、さすがにもう"答え"は出ているように見えた。

 本当は綿密に計画を練って挑んだ勝負であった。できないなら、できない原因を突き止め、順を追ってステップアップを図ろうと思っていたのだ。

 仕事が続かない原因は大抵、仕事や責任をひとりで抱え込みすぎてしまうことにあった。だからまずは、仕事量と責任の少ないアルバイトを選んだ。そして私はわからないことが沢山あると、途端に焦ってしまう。だから人よりメモを取った。何度も何度も復習した。やればできるんだ。焦らなければ私だってやれるんだ。

 そうしてなんとか続けることができた。次に人間関係だ。良好に保てるよう努力をした。だが私は"できそうな人間に見えて、できない人間"であった。できる、やれると思っていた私が到達したレベルはいつもとても低かった。その場しのぎで貼り付け合わせたメッキはぽろぽろとあっという間に剥がれていく。人の言動、表情、空気、すべてを敏感に拾ってしまうせいで、それだけで重い疲労感があった。

 それでも正社員になれた。だけれど私は、アルバイトくらいの仕事量しかこなせなかった。そうはいっても、責任やプレッシャーは正社員と同じくらいあった。

 できない。できない。やりたいのに、できない。そう呟きながら乗った通勤電車で、私は何度も涙を流した。過呼吸になって電車を度々降りてしまった。これができないなら、他に何ができるんだと思って、悔しくて苦しくて、情けなかった。もう30代だというのにだ。


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 上司から電話がかかってくるまで、私は何もできない自分が怖かった。

 唯一、私にできるのは"書くこと"だった。

 書いている時間だけ自分を許すことができた。あらゆることができなくたって、私は文章が書けるんだと、多少でも胸を張ることができた。これは10年敗れ続けて、やっと辿り着いた心持ちだった。

 身体をなんとか起こし、このnoteも無心でここまで書いていた。そこでやっと、上司から電話が来た。「来週、面談をしましょう」と言われた。電話口でなんとなく感じてしまったけれど、私はきっともう、厄介者になっているのだろう。制度が制度であっても、復職するのかしないのか、よくわからない人間に優しくはなかなかできないというのは想像容易かった。

 復職したら、またきっと、ある程度はやっていけると思う。ただこんなことをいうのはなんだが、必ずまた過呼吸で私は倒れるだろう。もうそれがわかりすぎている。


 病院に今も私は毎週通っている。

 この文章をここまで読んでくれたあなたは、もしかすると、私と同じように"会社で働くこと"に限界か、もやもやを感じているのではないだろうか。私たちは本当に、どうしたらいいのだろうな。

 働かないと、ごはんは食べていけない。だが心を騙し騙しやっていくのは本当に怖いよ。痛いよ。本当によくわかる。そういう時は休んだ方がいいのだ。みんなそう言っている。だがお金は無限ではない。必ず、踏ん張らないといけない日がやってくる。そんな日「休んだ方がいい」と言ってくれた以前の人は、本当の意味では救ってはくれない。救えるのはいつだって自分だ。自分自身だ。こうして焚きつけているような私も、あなたの心が再起不能になってしまったら、責任なんて負えないだろう。だけれど私は、"自分が言われたい言葉を、何より誰かに言ってしまう時"がある。ねえ。ただとにかく、"私が私らしく働くことを諦めるのはまだまだ早い"と思わないか。休むのも大事だ。あまりに大事すぎる。でもいつか頑張らなければいけない。そのことを忘れるな、とは思わない。秘めなければならないと思う。


 敗れたっていい。

 心がまた壊れてしまうのが怖いよ。食事が喉を通らないほど、胃液を吐いてしまうほど怖いよ。パニック発作は今も続いているよ。苦しいよ。涙が止まらないよ。

 けどまた、一段一段歩んでいける方法を組んでみるよ。あなたが組んでる案は、方法はどんなものだろう。今まで私が歩んできたアルバイトの仕事、正社員の仕事、10年間、無駄だったなんて言ってやらない。まだ数十回、数百回失敗したくらいじゃないか。

 今度は、書いて、作家になるための道で「失敗」してやる。頭が悪くて上等じゃないか。普通の人間とかこの世にいない。年齢も関係ない。私たちがどう生きるかだ。

 エッセイを募集していたメディアに最近いくつか私は送ってみた。挑戦しなければ、失敗もできないのだから。そういう気概だ。

 そろそろ家事に手をつけよう。もう、夜になってしまった。


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