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マスク

トップ写真は、
去年に銀座シックス、観世能楽堂で拝見することができた能面さんたちです。少しずつ知得していくほどに理解していく中で、こうやって改めて見ると、圧巻です。

・・・怖いですね。


最近は、「ワールドイズダンシング」が腑に落ちてから、能楽に関する漫画三昧でした。

幽玄・・自分は沼るというか取り憑かれてるのでしょうか?

さて、遠方の知人の農家から送られてきた野菜を軽く刻んで炒めものにし、残りをラーメンの具材にしました。麺を茹でます、麺を作る工程、麺作り、面作り、あ、そういえばという感じで、能面の製作工程が見たくなり、気になるYouTubeを見ながら、ふと、思いました。

面と向き合う。

自分と向き合う。

彫刻刀を使い木を削りながら人の顔に近づけていく、この映像を見ている間の「無」の時間、最近思えば指先に持つものって、せいぜいスマホと紙とペンと箸とスプーンくらいでしょうか。

面をかけて見える朧げな世界、昔ドイツの精神科医の先生が考えた自律神経を調整する呼吸法があって、【例 深く息をしリラックスし脳からの指示で四肢の重さを感じさせる、手足の温もり、心臓の鼓動、呼吸の中に気持ちよさを感じて見つける、お腹(丹田あたり)がホッとぬくもる・・・いつのまにか・・スッキリ~っ♪】です。昔はよくセラピー体験していましたが、あの時間には「永遠」を感じるかのようなものがありました。思うにこの状態を思い出したうえで、ゾーンに入ったうえで、謡ってみたいものです。

謡う、思えばマスク生活が長かったせいか、口角が緩んでたかな、口真一文字の面から何処か自分への緊張感の低さに気付かされました。

観世宗家の冊子に、大鼓と笛の音の響きが人間の脳にゆらぎ効果をもたらすというように書かれてましたが、そこらへんは何となく以前からわかる気がする感覚でしたが、日常聞き流しで聴いている自分の脳に、何某かが作用してきているような、ま、錯覚かもしれませんが。
ただ、心境の変化をメタで捉えてる自分を冷静に捉えてみたり、心理学を学習しセラピーを体感していたときとは違う心地、体感を記憶しつつある、今この頃。

仕事に生きてきたこの何十年かの日々、けれど、能楽に出会ってからというもの、思考の改善が感じられます。改善=何が「よくなった」は漠然とは言葉に表現できてはいないのですがね。

最近、身近な変な知人から立て続けに「・・さん、霊格が上がりましたね」と言われました、ま、だとしてもそういうの気にしないし、良くなってるなら、ま、いいし。ただ、その変なとずっと思ってた人に、自分のこの趣味的活動のことをさりげなく伝えたら、秘密を教えられたかのように、実は祖父さんがとある流派の能楽師さんだったとのことで、日頃見るその人のその他一般人とは違う気の配り方や、ちょっと変な所作、丁寧な言葉遣い・・・などなど、長いこと関わってきましたが、見方がガラッと変わりました。

この年で「実徳」という言葉を知りました。

そんなこんな書いていたら、この前映画化されてた「犬王」について色々考えてみたくなりました、でもまだ早いかな~(悩)。

とかいいながら思考巡る中で演目「邯鄲」が浮かんできました、夢を見れる枕の話ですかね。今年の初夢、まだ覚えてます。

と思えば、以前観た演目「鉄輪」での、所々で観覧してた高齢の女性の方が涙を啜る光景を思い出しました。あの感覚、気になります。

何か、脳内でシナプスが繋がったのでしょうか、どこかの扉がパッカンと開いたかのように湧いてくるものを感じます。

色んな事を考えながら、今年は創文の年になりそうです。

散文失礼いたしました。
さて、ゆっくり風呂に入ろう。

能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。

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