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20240624 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」 0011 井上ひさし「モッキンポット師の後始末」 絶対に見捨てない (教育論)

 井上ひさしさんの「モッキンポット師の後始末」は、戦後間もない頃の、カトリック系の学生寮を舞台にした、学生たちによる珍騒動と、その後始末に奔走するカトリック神父、モッキンポット師の奮闘を描く、青春コメディーです。

 前回ご紹介した北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」も学生寮が舞台でした。それから、「読まずに死ねない本」第二回でご紹介した森鴎外先生の「ヰタ・セクスアリス」も旧制高校の学生寮が主な舞台。(下にリンクを貼っておきますね。)
 「モッキンポット師の後始末」も、井上ひさしさんの実体験がベースになっている学生寮ものです。
 学生寮ものが好きなんです。

 学生寮ものの面白さはまず、思春期の若者の奇行、愚行、蛮行が描かれているところ。やっぱり若者は馬鹿(良い意味で)じゃなくっちゃね。自分ではどうにもできないエネルギーの発露こそ若者の特権です。無知ゆえに既存の権威にいどみかかる、ドン・キホーテ的な情熱。これが世界を若返らせます。年老いた社会に生命を吹き込むんです。
 そして数々の失敗を通して成長してゆくことの大切さ。大人になると失敗が怖くなりますよね。だから成長しないんです。人は失敗によってしか成長できないんですから。
 奇行を繰り返すのは、自己を確立するためです。自分は人とは違う。そのことを奇行を通して確認してゆくんです。人と同じでは嫌だ。唯一無二の存在になりたい。他にも色んな方法があるでしょうけれど、学生は馬鹿(誉め言葉として)だから奇行に走るんです。
 そして学生寮ならではの面白さは、そういう奇人、変人たる若者が共同生活をするところ。前にも書きましたが、「同じような人間になって一つのことをするのでも、人と違う人間になって孤立するのでもなく、個性的なひとりひとりが一つのことをする面白さ。」これに尽きると思います。孤独は人間にとってなくてはならぬ聖域です。他者の孤独を尊重しつつ、一緒に何かをやる。これが楽しいんですね。
 友情も重要な要素です。損得勘定を抜きにした友情。社会人になるとこういう友人を持つことはとても難しい。何しろ、世の中金、金。効率、生産性、市場原理ばかりですから。生産性からも損得勘定からも程遠い学生時代の友情は、大切な宝物になります。普通、喧嘩するとそれっきりですよね。でも、寮では毎日顔を合わせます。だから、喧嘩もするけど仲直りもする。むしろ喧嘩をするから本当に仲良くなれるんです。

 さて、こういう学生、学生寮が存在するためには、周りの大人、社会の寛容が必要になります。寛容は英語で、tolerance と言います。寛容という言葉には優しい響きがありますよね。でも tolerance は「忍耐」「我慢」「耐性」みたいな意味もある言葉です。つまり、我慢する方も大変なんです。笑 ここに社会の実力みたいなものが問われるんです。

 モッキンポット神父は大学教授でもあり、学生寮の指導者です。師は学生たちの巻き起こす珍騒動のしりぬぐいばかりさせられます。時に怒り狂い、呪いの言葉を吐きます。けれど、学生たちを決して見捨てない。まさに我慢と忍耐の二文字。こういう大人の存在が学生にとってどれほど大切か。「モッキンポット師の後始末」はそのことがよく描かれているんです。
 青線(風俗)に行ったと告解(懺悔)する学生に、師は言います。

「病気に気つけなはれや。アベマリア千回。」

 カトリックの大学なので、悪いことをすると神父に告解し、罪の許しを請う訳です。アベマリアというのはカトリックの短いお祈りで、これを罪のあがないのためにこれを千回唱えなさいというのです。(普通の信者が普通の罪を告白する時は、だいたい3、4回が相場です。笑)
 学生はアベマリア千回を唱える。慣れると大体一回十秒ぐらいで唱えることができます。千回なら一万秒。二時間近くかかる。ところが、罪が赦されると安心してまた行ってしまうんですね。そして淋病をもらう。そのことをまた告解する。するとモッキンポット神父は言います。

 「ほれ言わんこっちゃない。アベマリア千回。」
 主人公曰く、「病気持ちにアベマリア千回はきつかった。」

 ぼくが現在寮監を務めているキリスト教主義大学の学生寮の学生も似たようなものです。似たような状況に陥ると、普段めったに出てこない早朝の祈りの会に出席している。笑

 ぼくはこの本を学生時代から何度も読み返すほど好きなのですが、若い時は学生たちにシンパシーを持って読みました。学校の先生になってからは、神父の気持ちが良く分かるようになりました。というか、学生と接するのはこの方法しかないと。
 時に呪いの言葉を吐きながらも、絶対に見捨てない。学生はこっちが見捨てないことが分かっているから調子に乗って悪さをやめない。それでも祈りながら見捨てない。だって時期が過ぎると、みんなまともになるんですから。

 「モッキンポット師の後始末」はぼくが学校の先生をするときの、座右の書でした。
 もっとまともな本を座右に置けば、きっと立派な先生になっていたんでしょうけれど。笑

オリジナルイラスト 井上ひさしさん 似顔絵






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