ラストダンスは映画館で
はじめてその映画館に足を踏み入れたのは、京都に来て1年目、春の終わりだった。
あの春、わたしは京都の大学に入学したばかりだった。満開の桜は美しく、胸の高鳴りはおさまることなく。歩けば寺社仏閣に当たるこの街で、そこに咲く桜たちは、幻想的で切なく、京都の夜によく似合っていた。
春の訪れは、恋の訪れでもある。入学早々、わたしには気になる男の子ができた。映画サークルで出会った、同じ1年生とは思えない大人びた彼。有名カフェで働く彼は、キラキラして爽やかで、まるで"春"みたいなひとだった。
「あ、あの…」おずおずと話しかけるわたしにも、まるでずっと前から友だちだったように「おう!どした?」と微笑む。その笑顔にまたハートを射抜かれながら、「来月、オールナイトで上映会、あるんです…」と誘うわたし。たぶんあの日、わたしは一生分の勇気をだした。
「いいよ〜いこいこ!」と簡単に微笑んでわたしの心をさらう彼。あっという間に決まった、わたしの中の勝手な"初デート"。よく考えたら初のお出かけで、オールナイトの上映会なんて、わたし、なかなか大胆なやつだったなあと思う。
待ち合わせした京都駅。あの日は満月が光る、ほんとうに綺麗な夜だった。ドキドキしながら待っていると、「おー!お待たせ!」と現れた彼の両手にカフェのドリンク2つ。「前、チャイが好きだって言ってたから」と微笑んで、わたしに手渡す。
その瞬間、頭の中で鳴り出したのはララランド、彼はもうライアン・ゴズリングにしか見えない。思わずタップダンスをしかけて、アブナイアブナイ!と冷静になる。
「あ、ありがとう」と精一杯声を出して、2人で歩く夜道。永遠にこの夜が続けばいいのに、と思った。
そして、着いた先。それが初めての「京都みなみ会館」との出会いだった。
小さな映画館は無骨な建物で、中にはたくさんのポスター。映画を好きになりたてのわたしだったから、全部はわからなかったけれど、あ、これも!これも!知ってる?これは知らない!と2人ではしゃいだ。そして、館内に入る。扉を開けると、並ぶ真っ赤なシートたち。えんじ色のたっぷりとした幕が正面にはかかっている。
「なんだか、初めて来たのに懐かしい気がする」
わたしがそう言うと、わかるよ、まるでニューシネマパラダイスみたいだよね、と笑う彼。そう!ニューシネマパラダイスみたい。映画を愛するひとたちが集まる、まるで秘密の社交場。映画への愛が溢れるその場所は、場所が似ている、というよりは、その愛が似ていた。懐かしいのは、映画の中で何度も見てきた、愛に溢れた映画館の雰囲気によく似ていたから。
ワクワクやドキドキが、彼が隣にいるからだけじゃないと気づいた時には、わたしはもうこの映画館がだいすきになっていた。そして、わたしたちは隣り合わせの席で、3本も朝まで映画を見続けた。
「スタンドバイミー」に幼い自分を見た。大人になる痛みと懐かしさに胸を締め付けられて。
「あの頃、君を追いかけた」で恋していた自分を見た。青春と呼ばれる時代に恋したひとのことを思ってくすぐったくなる胸、最後は涙が止まらなくて。
「きっと、うまくいく」でこれから出会う友人たちを夢見た。何度も笑って楽しんで、感動したらあっという間の3時間。
一緒に笑って泣いて、時々あくびして。合間にはコーラを飲みながら作品の感想を語った、この世界のどこにもない夜。朝が来た頃には、わたしたちはずっとずっと、仲良くなっていた。のびをしながら外に出ると通り雨、虹がかかったその朝はほんとうに美しく。2人で差した相合傘、彼の触れた肩のぬくもりをわたしは永遠に覚えているでしょう。
*
それからは何度か、京都みなみ会館に通った。
初めてひとりで観たのは「ひなぎく」。チェコのヌーヴェルバーグ、可愛くて毒っけのある世界観に夢中になった。ひとりで映画館に行くのはドキドキしたけれど、花を買って夜道を散歩して帰った。家について花を飾った夜は、なんだか美しい夢を見た気がした。
それから、大学時代の恋人と行ったホドロフスキー。もちろん最初に恋した彼と!と言いたかったところだけど、別の彼だ。でも恋人もほんとうに素敵なひとで、映画が大好きでとても詳しいひとだった。そんなカルト映画好きの恋人に連れていかれた「エンドレス・ポエトリー」はたぶん、生涯忘れないだろう。幻想的で、それでいて芸術をほとばしらせる生命の喜び。ああなんて美しいんだろう!と叫び出したいような気持ち。もちろんポスターを買って帰った。家が華やかになって、2人の思い出が増えたことに微笑んだ。
先輩と行ったゴジラオールナイトはもはやあまり記憶がない。でも、ゴジラはめちゃくちゃ面白かったのを覚えている。社会風刺的で練られたストーリーに素直に感動した。怪獣映画!といってオタク的なものとして扱われることが多いけれど、こんなに感動するのだな、とますます映画の沼に引きずりこまれた。「オキシジェンデストロイヤーを打ちますよ?」という脅し文句が一部で流行ったのは秘密で。
*
京都の学生時代はまるで、映画「ウォールフラワー」。壁の花だったわたしも、初めて友だちがたくさんできて、永遠を感じるくらい素敵な夜を何度も過ごした。恋も友情も、わたしの春をいくつもの花で飾ってくれた。
酒を飲み過ぎて二日酔い、記憶を無くして起きれば今度は「ハングオーバー」。みんなでカードがない財布がない!と騒いでるうちにゲロを吐く誰か。ぎゃーぎゃー騒ぎながらの朝は、最高に笑えて今ではいい思い出だ。
恋人と歩いた京都の街は「夜は短し歩けよ乙女」。古本祭りに行っては本を買い漁り、骨董祭りに行ってはヴィンテージの食器を買い漁った。小さな1kを彩る古めかしく美しいものたちは、わたしの親友になった。知らないバーや居酒屋に顔を出してみては、アブサンを煽ったり。文豪気分で歩く哲学の道、京都の街を何度歩いても夜は、短かった。
鴨川デルタで煙草を吸いながら、ただ先輩と酒を飲んだ夜。朝まで時間が過ぎるのもどうでよく、ただしゃべっては笑い転げて。ギターを鳴らして歌ったりしては、大の字に。見上げた夜空は思ってたより美しくて「はじまりのうた」みたい。
コーヒーを飲みながら煙草を吸う朝は「コーヒー&シガレッツ」先輩たちと何日も渡ってした映画合宿で全制覇した「スターウォーズ」恋人との別れに泣きながら観た「ブルー・バレンタイン」みんなでギャーギャー言いながらオールナイト上映会@自宅の「シャイニング」
ああ、いくつ書いても溢れてくる思い出。映画を観ただけで、あの頃の閉じ込められた記憶の扉が開く。あの頃の笑顔も涙も、バカ騒ぎもぜんぶ、ぜんぶ。確かに残っているから。それを教えてくれるのが映画だから。
*
扉を一歩開けると、そこはもう夢のはじまり。映画館は、夢に連れてってくれる場所なんだよ。
開くスクリーンとともに、わたしたちの心はどこまでも飛んで行ける。ピーターパンとともに冒険へ行こう。海賊たちと闘ったり、魔法にかけられたり。お姫様になったり、呪いをかけられてカエルになるのもいい。ガンマンになろう、ジョーカーになろう。スパイダーマンになろう、ジョンウィックになろう。天国だって地獄だって、関係ないでしょ。だって、わたしたちは映画の中では、どこまでも自由だから。
そんな夢を見せてくれた場所。あたたかく、美しく。愛に溢れたひとびとで溢れた、世界のどこにもないわたしの思い出が埋め込まれた場所。あの場所にはもう帰れないけれど、わたしは思い出すたびに一瞬で青春に戻れるから。そんな時間をくれたことに、感謝を。
"何をするにしても自分のする事を愛せ。子供の頃、映写室を愛したように"
ニューシネマパラダイスの名言のように、わたしはあの映画館を愛せたことを思い出に、ずっと人生を愛していこう。
ありがとう、どこにもない青春を。
京都みなみ会館に捧ぐ
愛を込めて
ツジアスカ
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