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『嗣永伝 NO.11(完結編)』 〜嗣永が文学界や今の出版業界に疑問を持っていること〜


フリーランスとして歩み出したぼくだったのだが、その道は決して平坦なものではなかった。これまで会社員としてであれば、持ち前のマネジメント力(観察眼、洞察力、パターン認識、相関視野、状況把握、分析力、人心掌握術、未来予測、戦略思考など)を駆使して、組織の中の人モノ金を管理運営し、組織の問題点と発見改善を行うことで、会社全体の改革などを行ってきてはいたが、正直、何もないところから、0から何かを生み出してきた経験はなく、何から初めればいいのか、どこから手をつけたらいいのかも、よく判ってない状況で、フリーランスの道を歩み出したのだ。

単純に考えれが、小説を書きたくて小説家の道を歩み出したわけなのだから、面白い作品を生み出し続けて、読者を増やしていけばいいだけのことなのだが、小説家の道が、そんな甘いものでないことは、これまで物書きを生業にしてきてない自分でも、すぐに理解できる。

書籍の売れないこのご時世、単純に作家を目指したとて、食っていけないのは目に見えているのだ。生きていく以上は、お金を稼がないといけないし、それを生業にしようと、本気で仕事にしようとするのであれば、趣味やお遊びで書いていては、いつまでたっても、その道が開けるはずがない。

これから小説家を仕事にしていこうと思うのであれば、それ相応の覚悟が必要だし、生半可な気持ちで挑むべきではないと思う。

そこでぼくは思うわけだ。(※ この辺りから、話は大幅に打線します……)

「食っていけない仕組みの中で、食っていこうとするのではなく、食っていける仕組みを作った上で、食っていく努力をするべきなのではないのか?」と……。

このご時世(書籍の売れない昨今)、どれだけ文学を愛していても、どれだけ小説を敬愛していようと、動画媒体のコンテンツに、活字文化が勝てる見込みなどあるわけがない。どうあがいてもYouTubeやTikTok、Netflix、Hulu、U-NEXT、Amazonプライム(ぼくも散々お世話になっている……)に、人々の多くの時間は搾取され続けている。まあ、それが時代の流れなので、仕方ないことではあるが……。

で、そんな中で生き残っていける小説家は、どれほど居るのだろうか?

本当に第一線で活躍している作家など、ぼくの肌感ではあるが、30〜50人くらい居るかどうかではないだろうか?

じゃあ、そのほかの作家はどうだろうか? 芥川賞を受賞している作家さんでも、その後は年収100万円程度の、貧乏生活を送っている人もいるし、バイトの掛け持ちをしながら、食いつないでいる人もいる。兼業作家として本業で食いぶちを稼ぎながら、小説家として活動している人もいる。

では、日本の人口が1億2千万だとして(現在は減少傾向にあるが……)、そのうち何人の人たちが小説家を志すのだろうか? 趣味で活動している人も含めて、一節によると推定500万人と言われている。正確な数字ではないので信憑性は薄いが……、某なろう系の小説投稿サイト(大手)に登録している人が191万人超え(2020年10月調べ)で、そのうち掲載されている作品数が76万作以上とすると、強ち500万人という数字も、現実味のない数字ではないような気がしてくる。

上記の通り、日本の人口が1億2千万人だとすると、日本の人口の24人に1人が小説家を志していることになる。そして、そのうち実際にデビュー出来ている人たちが、年間200人〜400人と言われていると考えると、作家志望者で実際にデビューできる確率は、

500万 ÷ 200〜400 =

年間に2万5千分の1〜1万2500分の1、ということになり、百分率に直せば、0.00004%〜0.00008%ということになる

ただ、これはデビュー出来たというラインまでだ。そこから熾烈な競争を勝ち抜き、小説家として〝生き残れる〟人だけをピックアップすれば、さらにその確率は低くなる。

小説家の5年生存率が5%とすると、単純に考えて、
0.00004〜0.00008%の、さらに5%とすると、
0.000002〜0.000004%とか?

宝くじで一等が当たる確率が、2000万分の1で、0.000005%と言われているのだから、数値的に見れば、それと同等の確率の低さということになる。

つまりだ。ふつうに頑張っても小説家などなれないし、運良く小説家になれたとしても、生き残っていくのは至難の業ということだ。

となると、小説家になるために闇雲に頑張るよりも、その確率を上げるための方法論を考えてから、実際に執筆活動を行うほうが、デビューできる確率はもっと引き上げられるだろうし、小説家としての生存率を高められる(つまりは、趣味としてじゃなく、実際に小説家としてお金を稼ぎながら、食っていけるだけの経済力を手に入れられる)のではないだろうか? 小説家を志す者にとって、もっと有意義な努力になるのではないか?

と、ぼくは思ったわけです。

だれも無駄な努力などしたくはない!!!

せっかく同じ努力をするのであれば、結果の伴う(その確率の高い環境で)努力をしたい!!!

どれだけ、良質な作品に触れて作品の文章力や描写力を高めようが、読者をあっと言わせるようなストーリー展開が思いつこうが、一つの小説を完成させるために、何ヶ月も、時には何年もかけて、執筆活動に労力を費やそうが、それを人の目に触れる場所に置いてあげなければ意味がないし、価値観の合う読者の元に送り出してあげないと、ただの自己満足で終わってしまう。

そして、その作品を人気のあるコンテンツに運良く育てることが出来てたとしても、読まれて面白かった楽しかった感動した。で終わっていたのでは、いつまで経っても趣味の域を超えられない。目標はあくまで、小説でお金を稼ぐことであるべきだし、執筆活動を基盤に、ちゃんと食っていけるだけの経済力を手に入れることなのだ。

それはぼくだけではないはずだ。(そうじゃない人もいるとは思うが……)

と、考えると。

今の出版業界で必要のないものがあるから、本が売れても原作者にマージンが行き渡らないし、作品がミリオンセラーを叩きだしたとしても、いつまで経っても食っていけない小説家が出てくる。そもそも作家の実力がないのであれば、それまでなのかもしれないけど、そうじゃなかったとしても、生き残ることのできる小説家が〝生存率5%〟って……。

全体で言えば、0.000002%ですよ……。(宝くじより低い確率)

じゃあその原因は?

本が売れないからと、一言で片付けるのは簡単だが、その要因となっている絶対的に不要な工程がある。


それはなにか、出版社と印刷業界と書店だ!!!


じゃあその工程を取り除いてしまえばいい!!!




次回へ続く……



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