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グッバイ・ロングヘア

「本当に、いいの?」

付き合いも長くなった美容師のみっちゃんが、私の腰まである髪に櫛を通しながら気遣いがちに尋ねてくる。

これでいいんだ、もう決めたから。
20年近く手入れを重ねてきたこの髪を、
私は今、切ろうとしている。
「今まで長さだけは変えたくないってずっと言ってたのにさ、どうしちゃったのよ。」
「別れ…そうなんだよ。まだ別れてないけど。」
「なにそれ。」

彼氏のケイくんと付き合い初めて半年、久しぶりの恋愛だった。
彼が住むマンションで、たくさん話してキスをして抱き合って、少しづつ 恋愛ってこうだったよなぁ っていう感覚を取り戻しながら彼に愛情を伝えていた。
ケイくんは、今まで付き合った人の中ではうんと歳が離れている大人で、昔奥さんがいた人だ。
なんなら、子供だって2人いる。
奥さんと別れて寂しかったのかはわからないけど、今勤めている会社に私が中途入社してからしばらくして、彼から声をかけてきたのが始まりだった。

「ユミみたいに、はっきりものをいう子は初めてだな。」
「俺が知らない音楽ばっかり聞くんだなぁ。」
「夜中まで元気だなぁ。ユミは眠くないの?」

彼は私がやることなすこと、いちいち新鮮に感じるのか 小粒のビー玉みたいな黒い目を最大限大きくして驚いてくれていた。
私は、彼の今までの女たちとは違う!ということがなんだかくすぐったくてうれしくて、得意げに、そしてあえて破天荒に振舞っていた。

抱き合ったあと、彼は私の鎖骨に流れる髪を肩の後ろに流しながら、
「髪、短くしないの?」と尋ねられることが度々あった。
私は決まって、「願、かけてるんだよ。」なんて ニッと歯をむき出して笑って見せてきた。

願をかけてるなんて、ホントはうそ。
ただ私は「何かを変える」っていうのがこの世で一番苦手で怖いだけの臆病者なんだ。

髪型だって、出かける時に靴を履く順番だって、住むところだって、付き合う人間の種類だって、
昔からずっと変わらない。変えられない。

知らないことや見たことない世界、未知の自分、
それらがどうしても怖くて怖くて、ずーっと「変化しないこと」を自分に課して生きてきた。

だから、誰かと別れるっていう変化は、この世でもっとも恐ろしい事だった。

誰かと始めるっていう変化も、本当は怖いけれど、「独りじゃなくなる」ってなんだかあったかいから、今回ケイくんとは始めるっていう変化を選択することが出来たんだ。


「ねぇ、ユミが帰ったあと、部屋に髪がすごい落ちてるんだけど。」

ある日ケイくんがちょっと不機嫌そうに私に伝えてきた時、私は顔から火が出そうなくらい恥ずかしい気持ちになった。
「ご、ごめん。でも仕方ないじゃん、あんなふうに頭を撫でられたらさ。そりゃ髪だって抜けるでしょうよ!」

ケイくんは、あれで結構綺麗好きだ。
強がりながら謝ってはみたものの、そういえば私が食べたお菓子の包みを直ぐにゴミ箱に捨てないこととかを、チクチク言ってくるんだった。

最近、なんだかケイくんが冷たい気がしていたんだ。

たまにケイくんが実家に帰ると冷たさを増して帰ってくるように感じる。
ケイくんは同じ会社の後輩と付き合っているって、向こうのご両親に話しているらしいけれど、歳が離れた私との付き合いを ケイくんのご両親はよく思っていないのかもしれない。

今週は3連休。
今日は日曜日。今は夕方。
金曜の昼に送ったメッセージは既読になったのに返事がまだない。

嫌な予感がする。
嫌な「変化」の予感がする。

どうしよう、どうしよう。
変化が来る!変化が来る気がする!

日曜の夕方、急に何かに掻き立てられるように、
私はスマートフォンを手に取って、馴染みの美容室に電話をかけた。

「みっちゃん、私の髪を切って!」

私の髪を短くして、頑なに変えなかったものでもあなた好みに変化できると知ってほしい!


「それで、あんた髪を切るわけ?」
「うん。髪を切ったら本気が伝わるかなって。私、別れたくないって。」
「別れたくない、ねぇ…。」

美容師のみっちゃんは、まだ櫛で私の髪を撫でている。


「別れたくない、と本気で好きは、違うからね。」


みっちゃんがそう呟いた声は、私の髪を切るジョキン!という音にかき消されそうになったけど、
瞬間、私の心臓はドキン!と跳ねたから、間違いなくこの耳には届いたのだと思う。

でもでも、だってだって。
他に思いつかないよ。

そう思った時にはもう遅い。
私の体を覆うケープに滑り落ちる変えられなかった20年分の重み。


グッバイ、ロングヘア。
どうか、私の今後の幸運を見守って。


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