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より面白く、より深く。地域と関わるための"もう一歩"の踏み出しかた。 Interview 徳谷柿次郎さん 前編

自分に合ったライフスタイルを実践する人、未来のくらし方を探究している人に「n’estate」プロジェクトメンバーが、すまいとくらしのこれからをうかがうインタビュー連載。第4回目は、編集者の徳谷柿次郎さん。2017年に長野県に移住し、現在は長野市内でコワーキングスペースやスナックの運営を手掛けるなど活躍の幅を広げられています。
 
今年の5月まで、ローカルの魅力や面白さを発掘するウェブメディア『ジモコロ』の編集長として全国を飛び回り、いわば多拠点生活の先駆けとも言える存在の徳谷さん。前編では、地域に眠る面白いもの、ひと、こととの出会い方。その土地に住まう人が、もう一歩深く地域と繋がっていくためのヒントなど。ご自身のこれまでの経験を振り返りながら、お話しいただきました。

徳谷柿次郎 | Kakijiro Tokutani
1982年生まれ、大阪府出身。ローカルを軸にした編集チーム「Huuuu inc.」代表。 コンテンツ制作から場づくりまで、総合的な編集力を武器に全国47都道府県を行脚中。趣味はヒップホップ、温泉 、カレー、コーヒー、民俗学など。著者『おまえの俺をおしえてくれ』(風旅出版)が発売中。

ー まず、はじめに。徳谷さんと「n'estate」の繋がりは『n'estate Journal』インタビュー連載の初回に登場いただいた養老孟司さんの記事に、徳谷さんがコメントしてくださったことがきっかけでした。

徳谷さん(以下、徳谷):そうでしたね。養老さんの「あなたは自分の人生を作品だと捉えていますか?」との問いかけにはハッとさせられました。僕、養老さんの本も好きなんです。

ー 記事をきっかけに、このようなあたらしいご縁が繋がっていくことが私たちとしてもうれしいです。もともと、n’estateのチームメンバーが徳谷さんのことを以前からメディアで拝見していて、いつかお話を聞きたいと思っていたので、その点でも素敵なご縁でした。

徳谷:こちらこそ、はるばる長野まで足を運んでいただいてありがとうございます。

ー長野県信濃町は、緑豊かでとても気持ちのいい場所ですね。徳谷さんご自身、もともと旅することや、自然と触れ合うことがお好きだったのですか?

徳谷:むしろその逆で、旅行というものをそんなに経験せずに育ってきたんです。でも、やっぱり幼少期の自然の原体験が、後々に花開くということはあるんだろうなと思っています。父方の地元が大阪府の能勢町で、母方が熊本県の山鹿市。両親ともに“山”なんですよ。気候条件は違えど、どちらも自然が色濃い土地で。僕も年に何回か里帰りするたびに、虫取りをして遊んだり、田んぼの用水路に網を入れたらタガメがバンバン取れるような体験もして育ちました。

ただその後、改めて自然に囲まれたくらしに興味を持ちはじめたのは、26歳の終わりに上京してから2〜3年が経って、東京生活にもちょっと慣れてきた頃。東京の生活も楽しかったけれど、やっぱり息が詰まるような瞬間もあるし、どこか自分の中で都市と地方、都市と自然のバランスを取るために惹かれていった感じはしますね。

それこそ今回、取材場所としてご協力いただいた「LAMP野尻湖」は、もともと友人の吉原ゴウさん(ウェブ制作会社・株式会社LIGの元会長、現在は株式会社LAMP 取締役)のご実家で。吉原さんとは同い年ということもあって、東京時代に仲良くなり、夏休みに彼のご実家に遊びに行ったときに信濃町の風景や自然の力強さに触れて、心を動かされたんです。からだの奥に埋め込まれていた原体験のスイッチが呼び起こされた瞬間でした。

取材が行われた長野県信濃町の宿泊施設「LAMP野尻湖」に隣接する
「THE SAUNA」はサウナ好きの聖地としても知られる。

徳谷:その頃から先輩たちと一緒に登山に行ったり、サバゲーに行ったり、割とみんなが通るようなかたちで、東京に住みながら地方や自然にアクセスしていく面白さを感じていたときに、当時所属していた会社宛に求人メディアの『イーアイデム』さんからメディア制作の相談があって。地方に特化して、地方の面白さを伝えることによって“地元×仕事”という価値観が浮かび上がってきて、それを地元の求人に強い『イーアイデム』さんの企画としてやっていこうとはじめたのが『ジモコロ』誕生のきっかけでした。
何より全国各地を取材しながら経費で旅行できるって最高だなと思ったんですよね。(笑)

街の“かっこいいやつら”との出会いが、地域の解像度を上げていった。

キャンプや釣り、湖水浴などを楽しむ人々で賑わっていた夏の野尻湖。

ー 個人的な「地方」や「自然」への関心と「編集」という仕事が奇跡的に合致したのですね。『ジモコロ』を立ち上げた当時は、東京に住んでいらっしゃったのですよね?

徳谷:当時は、東京の台東区に住んでいました。下町のいろんな文化が入り混じっている、そういう場所が好きなんです。思えば、そこで経験したローカルでのコミュニケーションが今の自分にすごく影響を与えてくれたと思います。ホステルやカフェ、バーを運営されている「バックパッカーズジャパン」の石崎(嵩人)さんも、そのひとり。近所のカフェでたまたま居合わせて喋ったのがきっかけで仲良くなって。三井さんの物件では、東日本橋の「CITAN(シタン)」にも出店していますよね。

彼は全国にあるゲストハウスのコミュニティと繋がっているので、僕がどこか地方を訪れるたびに「今度◯◯県に行くんだけれど」と尋ねれば、「それだったら◯◯さんを紹介しますよ」と繋いでくれて。(『ジモコロ』を立ち上げて)1〜2年は、ゲストハウスを軸に町場の情報を得ていました。彼との出会いが、僕の地方行脚の企画に「街のプレイヤー」という視点を与えてくれました。

僕もフットワークは軽かったので、急に誘ってもらった地方のイベントにすぐ行ってちょっと喋ったり。そうやって知り合った同世代のかっこいいやつらの存在がすごく大きくて。2015〜16年頃の、今「面白い」とされている街のうねりをつくったような世代にたまたま出会えたのは、とても幸運なことでした。

ー 「人」との出会いが、その街の魅力の深部に触れる「入り口」になっていったのですね。そんななか、2017年には独立を機に長野県に移住を決断。

徳谷:
『ジモコロ』をはじめて丸2年が経った頃ですね。当時所属していた会社からは独立しましたが、『ジモコロ』の編集長は引き続きやらせてもらいながら、ライターや編集者を中心としたチーム「Huuuu Inc.(以下、Huuuu)」を立ち上げて。すぐに長野県に移住したのですが、最初の頃は事務所の登記を台東区の自宅にしていたので、ダブル賃貸のくらしは大変でしたね。それこそ、当時「n'estate」のようなサービスがあれば…!(笑)

ー まさに、当時の徳谷さんにぜひ「n'estate」を活用していただきたかったです!(笑) 東京と長野の二拠点生活では、どのような比率で行き来していたのですか?

徳谷:東京2〜3割、長野1~2割、残りは全国みたいな多拠点生活でした。当時は別に長野県の仕事をしていたわけじゃないし、東京の仕事をただ持ち込んでやっているだけで「何やってるんだろう」という気持ちが徐々に出てきて。そこで、自分の名刺代わりとなるような場をつくってみようと思うに至ってはじめたのが「やってこ!シンカイ」。いわば、長野県にもう一歩踏み込んでいくための準備期間のような感覚でした。

自分たちが面白がれる「場」をつくることで、街に対する“とっかかり”を増やす。

長野市・善光寺近くのお店「やってこ!シンカイ」。
築100年を超える元金物屋の店舗を活用し、全国各地のつくり手の商品を販売したり、イベントを開催したりと「人の集まる場」の運営を行う(2023年現在、店舗業態としての営業は休止中)。  

ー 「Huuuu」では、その後もシェアオフィス「MADO」やスナック「夜風」など、積極的に場づくりに取り組まれていますよね。“コミュニティ”という言葉が一般的に使われるようになって久しいですが、そこで面白い出来事や出会いが生まれていくには、どういう「場」づくりを意識していけばよいと思いますか?

徳谷:
まずは、やっぱり自分たちが楽しいと思える、気の合う人たちだけを集めようということは当初から意識していました。細かいところで言えば、イベントも手を変え品を変えやっていますが、一番は「面白そう!」というところと、ちゃんと人を選ぶということがコミュニティの質に関わってくるんだと思います。その前提として「Huuuu」が面白いチームであると思われ続けることを大事にしたいなと思って活動しています。

そのためにも、僕は全国に足を運び続ける。一方で、ずっと長野で活動しているメンバーもいるので、外の人間の積み上げた人間関係と、その土地に住んでいる人ならではの人間関係、さらにSNSを含めたウェブ上での活動が可視化されていくことで「Huuuu」というチームに多くの“とっかかり”がつくれますよね。

あとは、街の流れを掴んで場所を選ぶこと。「MADO」は「Huuuu」のオフィスという機能もありつつ、コミュニティオフィスのような使い方をしているのですが、善光寺の表参道という長野市のど真ん中にあって利便性もあるし、まだオープンから1年ほどですが、移住者とか面白い人たちが集まってくれています。

徳谷:スナック「夜風」に関しては、移住した当初からずっと「スナックがやりたい」と言っていましたね。やっぱり、地方に行くとスナック文化があるし、スナックがあることで街のカルチャーとしても絶対にかっこよくなるなと感じていて。コロナ禍で、長野市内のスナック街の空き店舗がとんでもないスピードで閉店していると聞いたのも後押しになりました。

もうひとつ場づくりで意識していることは、若者のためになるかどうか、という視点。(自分が移住したときに経験した)はじめの難しさを解決できる場所をつくりたいなというのがあって。
長野市って若い子が結構多いんですよ。信州大学をはじめ、最近でも四年制の大学や専門学校が新設されたり。年間800〜1000人ぐらい、それも6割ちょっとが県外から流入しているそうなので。どの時代にも、若い子が集える場所って大事じゃないですか。

自分は何者なのか、何をしたいのか。まず「旗」を掲げてみることで、見えてくる光がある。

ー これから長野県でくらしていきたい、活動したいと考えている人にとっては、徳谷さんや「Huuuu」の存在はとても心強いですね。これは長野県に限らず、あたらしく街のコミュニティに入っていく上で、心掛けておくといいことって何かありますか?

徳谷:
店じゃなくても「場」を持つことはすごく分かりやすい行為だなと思いますが、例えばSNSでも、個人のアカウントとは別に何かやりたいことの「屋号」のようなものを掲げて、活動をはじめると自己紹介もしやすいですよね。実際にやっている人も多いと思います。

僕、若い子に対していつも話すことがあるんですけれど、「やりたいこと、悩んでいることがあるんだったら、とにかく(その活動に)名前を付けて旗を掲げろ」って。そうじゃないと誰も見つけてくれないし、その旗がどんな色で、どんな形をしているのかはつくってみないとわからないですよね。自分にも、まわりにも。それ、結構大事だなと。

「何者かになろうとしなくていい」とは思うんですけれど、名前を付けることは「何者かを模索する行為」じゃないですか。それがちゃんとできる人は、1〜2年経ったらいいプレーヤーに育っていることがすごく多いです。

ー あれこれと考えてばかりいないで、まずは旗を掲げて行動あるべし、と。我々にも響く言葉です…!

徳谷:全く何も(興味が)ないって人はいないと思うんです。何かしら小さなものはあるはずで、それを見つけて、育てて、根付かせることが自己決定にも繋がるし、人を巻き込んでいく動機にもなる。旗を掲げておくことで、まわりからも「お前、あのときアレがずっと好きって言ってたじゃん。その後、どうなったの?」みたいな会話が生まれたりして。

ー自ら宣言することで、前に進むしかない状況をつくるのですね!

徳谷:あとは、その“本気のスイッチ”をどう見せるか。それは責任を取るということでもあると思うし、そこで生きていく覚悟を決めること。 地域の人たちからしても、せっかく来てくれたのであれば出て行って欲しくないわけじゃないですか。そこで「本籍を移したので!」「30年ローンで家を買ったので!」みたいな、公としての責任のカードをどう切るかによって、地域の人たちの自分を見る目も変わってくる。「n'estate」が掲げる(都市と自然を身軽に行き来するような)すまいのあり方とは、少しスタンスが違うかもしれませんが。

ー「n'estate」では、すまいの自由度を上げることで、これまで自分の人生のプランになかった選択肢を持つことだったり、あたらしく挑戦しやすい環境をつくりたいと思っているんです。なので、地域にもう一歩深く踏み込んでみたい人にとっても、その勇気を後押しできるようなサービスでありたいですね。

徳谷:そうそう。都市でも田舎でもとことん可能性を模索してみて、結果として自分が腹落ちした環境で、チャレンジすればいいんです。全てを背負い込む必要はないかもしれないけれど、せっかくなら思い切ってやってみる。「ダメなら退く」というカードも持ち合わせながら、100%に近い状態で入り込む姿勢を見せた方が、人生は何倍も面白くなると思います。

>後編はこちら。
「くらしを整える、知・徳・体のバランス。

> サービスや拠点について、さらに詳しく。
「n'estate」(ネステート)公式WEBサイト
「n'estate(ネステート)」 Official Instagram

Photo: Ayumi Yamamoto

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