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学生の頃は取捨選択しないほうがいい

僕個人の話ですが、高校生の頃、音大に進学するためにトランペットのレッスンはトランペットの先生に、ピアノとソルフェージュはピアノの先生からレッスンを受けていました。

そして先生方のおかげで音大に進学できたわけですが、それまで2人だった先生が音大に入った瞬間、教わる先生の数が一気に増えました。トランペットのメインのレッスンは高校の時から変わらずでしたが、室内楽の授業、吹奏楽の授業、オーケストラの授業ではいろいろな楽器の先生からアドバイスをいただけたし、副科ピアノ、ソルフェージュ、和声の先生もいます。公開レッスンという外部から講師が来てくださることもありました。あと、結構先輩からのアドバイスとか後輩の上手な演奏や音楽に対する考え方などにも強い影響を受けました。
それに加え、僕は大学外でジュニアフィルに所属していたこともあって、そこにトレーナーとしていらっしゃる方やエキストラで参加されるプロの奏者の方もいたりと、とにかくいろんな方にいろんなアドバイスをいただく機会が毎日沢山ありました。

高校生の時はトランペットの先生に教わっていたことが全てだったのに、大学に入ったら他の先生のおっしゃる言葉や考え方がまったく違う、なんてことも多々あり、何が正しいのか、どれを信じれば良いのか混乱することもありました。

でも、ある日「言い方は違うけれど目指す先はみんな同じ」と気づいたんですね。何が正しいとか、何が間違っているなんてことは本来なくて、それぞれの先生にとってはそれそれぞれの言葉がある一方で、その根底には全員「演奏レベルを上げる」「高い音楽性を手にいれる」があるので、アプローチが違えども全てが正解なのだと理解できるようになったら、とても楽になりました。

数十年経ち、今度は僕が音大でレッスンをする立場になり、学生の時にたくさんの先生方から教わった様々なアドバイスが直接的、間接的に影響して今の僕がいます。もし学生の時に「そんなの参考にならない」「これは意味がない」「違うと思う」「自分が支持しているのはこの先生の言葉だけ」なんて反抗的な姿勢で偉そうに取捨選択していたら、自分の音楽性は今よりずっと貧弱なものになっていたはずです。


最近は公立の中学校などでも吹奏楽部に外部から様々な指導者が来るようになりました。パートの先生、金管セクションの先生、指揮の先生。それぞれが違う言葉を使ってレッスンをすると思うのですが、言葉が違っても実は本質は全員同じである、と気づけると受け入れやすくなりますよ。

また、稀に特性の先生を強く崇拝しすぎて、その先生以外のアドバイスを否定的に捉えるような姿勢になってしまう人がいますが、これはは避けるべきです。もちろん、特定の奏者や先生に憧れを持つことは素敵なことです。だからと言って、それ以外の先生の言っていることに耳を貸さないとか、否定的になるのは全然違います。

情報は食べ物のようなものです。摂取して吸収されると自分の体(頭)の一部になります。でも情報が多すぎると栄養過多になってバランスが崩れたり、食べきれなくて取りこぼしてしまうこともあります。それは受け取り方の問題だと思います。全てを無計画に手にするのではなく、それぞれの本質を見抜いて、重要な養分だけを凝縮して例えばサプリメントに加工するようなイメージだと、たくさんのことを取り込むことができるかもしれません。工夫をして全ての情報をとりあえず受け入れてみましょう(ただし、全てが自分に合っているとは限りませんので、研究や実験でそれらを見抜けることが大切です)。


教わる時の姿勢は、「その人のいいところを見つけること」「その人の魅力を感じること」「尊重すること」。

余談ですが、「それってあなたの感想ですよね、はい論破」って言葉を小学生が真似して先生に言う、なんて話を耳にしました。この言葉は最初から相手を受け入れず、認めない姿勢で対峙しています。今持っているまだまだ自分の少ない知識や小さな価値観でそんなことを言ってしまえば成長は見込めず、将来本当に小さい人間にしかなりません。

肯定的に受け入れる姿勢であるように心がけてください。


荻原明(おぎわらあきら)

荻原明(おぎわらあきら)です。記事をご覧いただきありがとうございます。 いただいたサポートは、音楽活動の資金に充てさせていただきます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。