tozawa

ざわついている

tozawa

ざわついている

マガジン

  • 閑散録

    日記まとめ

最近の記事

 もう疾くに日が落ちた帰り道を歩いて、盆槍しながらアパートの階段を上がると、一匹の油蝉が、丁度私の部屋のドアの前にあるランプに向かって羽ばたいているのが見えた。取り憑かれたように白い光に向かって行って、硬い外殻をランプに打つけたと思うと、その反動で光から遠ざかって、また懲りもせず光を目掛けて飛んでいた。  私はそれを避けながら部屋の鍵を開けて、中に立入ると、蝉は突然進路を変えて、閉めかかったドアの隙間から私と共に部屋の中へ入ってきた。それから蝉はすぐに部屋の蛍光灯へ敵を変えて

    • 日日是好日

       雲門という中国の禅師がある時大勢の弟子に向かってこう聞いた。 「これまでの十五日以前のことはさておき、これからの十五日以後の心境を一言で述べよ」  つまり今日までのことは問わないとして、明日からどういう覚悟で生きていくのかと聞くのである。弟子達が閉口していると、雲門禅師が自答して、「日日是好日」と言ったそうだ。  ───ベランダで育てている日々草に水をやっていたら、不図こんな古い話を思い出した。思い出したと思うと、すぐに家を発つ時刻になって、それぎり頭から離れてしまった。

      • 那須旅行記

        一、 出発    私は今電車に揺られながらこれを書いている。半年も前のことを思い返しながら、もう古くなった記憶を丁寧に磨いている。その記憶がどんな色に光るだろうかということを楽しみにしながら、この日記を書き進めている。   ……同じように電車に揺られていたその日、東京駅へ着いて広い構内の一角へ降りると、こんな時勢であるにも関わらず、朝から往来する沢山の人が見えた。スーツケースを転がしながら歩く者や、沢山の荷物を詰めたリュックを背負った者、小さい子を連れる父母、制服を着た若

        • 夢現

           社会に対する経験の不足から、以下に記そうとしている仕事の話についてどれくらいまで公にしていいのかわからない未熟な私であるから、これは良いがこれは不味いというようなことがあれば是非ご教授頂きたいのであるが、今から数ヶ月前のそういう出来事について書こうと思っている。単に備忘録ということの他に、最近何についてもやる気のない私を奮起する材料にするとともに、何か面白い話を提供できれば、以下に示す私の挫折も良い経験に昇華出来ると考えたのである。  私は『聲の形』や『不滅のあなたへ』を

        マガジン

        • 閑散録
          52本

        記事

          Y君の話

           大晦日になって千葉の実家に帰った私は夕飯を済ませてから少し外へ出たのである。寒さはいよいよ肌を刺すようになり、いくら着込んでも意味のないようにさえ思えた夜は、あと三十分余で新年を迎えようとしていた。  家の門を開けて一歩外へ出ると、そこには一人の男が立っていた。細い目を持った多少幼い顔に、長い髪を後ろで束ね、枯れ草のような色のコートを着てややもすると不審者ともつかない男が、私を待つような素振りもなく立っていた。Y君である。彼に神社へ参拝へ行こうとは言ったが、家の前で待ち合わ

          Y君の話

          何者

           ———僕は何者なんだろう。  六畳間の南北を貫くように敷かれた布団から黒い頭だけを出して、目を覚ましてから五分余り呆然していたら、段々と忘れていた自我の感覚が思い出されてきた。つい先刻まで何か不思議な夢を見ていたようだが覚えていない。師走の冷たい空気が外からドアの隙間を縫って部屋に入り込んで、朝は殊に冷えるから起き上がる気が湧かない。薄目で時計を見た。疾くに明るいのに四時を指している。大方止まっているようだ。僕はここで漸く起き上がった。  抱えるように頭を手で触ると、矢張り

          欠けた月の黒いところ

          欠けた月の黒いところ 私の口から、以下に記すような話を聞きたくない人は一定数いるだろうと思う。だからこれを書く前に少しだけ注意をしておく。私の方でも多少思い切った話を今からしようと自覚している。衝撃を受ける人もいるだろうと思う話題であるし、これを聞いて失望する人もいるだろう。かくいう今までの私自身もこういう話をすることを想像できなかったくらいである。これを見られては不味いと思う相手もいる。しかしこれが私の本当のところなのだから、その自然は変えることのできない、仕方のないことな

          欠けた月の黒いところ

          木になりたい

           蒸し暑い季節になってきました。この頃は飯がすぐ腐るからいけません。先日は炊き込みご飯を腐らせました。たった一日置いていただけなのに、米にぬるぬるとした舌触りがして驚きました。  しかしまだ夜中は涼しいですから、昼間と比べるとかえって良い気分です。特に夜中に出かけて田圃の付近を通りすぎるときは、蛙のげこげこと鳴く声が沢山聞こえて愉快です。部屋へ戻ると途端に聞こえなくなって寂しいくらいです。日も伸びて、あまり暗い気分に陥りませんが、暗い気分とはまた違った、ある種明るさを含有し

          木になりたい

          皆のおすすめの曲を全部聞いた話

           私は同じ音楽ばかり聴く人間である。非常に稀な頻度で気に入った音楽を見つけると、それを何度も繰り返し聴いて遂に飽きる事を知らない。  理解出来ない人もいるかもしれないが、おんなじ音楽をずうっと聴いているのは非常に面白いことだ。段々その音楽の印象が深くなっていくのである。何度も聴く中で音楽をいちいち解体してみて、リズム、テンポ、メロディから音楽を深く見渡すことができるようになる。歌詞のあるものはその奧妙な文章構造や含蓄を理解することができる。六ずかしいことを考えながら聞いている

          皆のおすすめの曲を全部聞いた話

          ナウシカを読んだ

           一月二月の殆どの時間をあばれる君の動画制作に充ててしまったから、二月は相当不景気だった。二月の初めでこれはいけないと思って手持ちのお金を勘定したら、公共料金を踏み倒しても500円しか猶予がないことがわかった。無論仕送りはない(僕が僻んでいるからだ)。12日に3月のカードの支払いが確定し、カードが使えるようになる(とは言っても未来の自分に借金をするだけだが)のでそれまで凌がなくてはならなかった。  幸い体を鍛えている友人が捨てる予定だった鶏の皮をくれたから何とかなったが、かな

          ナウシカを読んだ

          浪人していた頃の些細な話

           長いような短いような浪人生活を終え、大学に入学してから2年以上が経った今になって、当時について様々思い返すことがある。多分浪人していた頃は無力感と周囲からの圧力(所詮自分が作り出したものに過ぎないが)で、自分でも気が付かないほど必死だったから、自分を取り巻く周囲の状況を冷静に眺めてみることができなかったのだろう。  浪人の話はすでに『火中日記』で触れていて、そっちに加筆する形で書こうかとも考えたが、火中日記は結構奇麗な形で上手く纏まっていて、いろいろ手出しするのも惜しい気が

          浪人していた頃の些細な話

           「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という『草枕』の冒頭は、今ではあまりに有名になった夏目漱石の麗筆である。  かねてより私は、奥妙で、時にユーモラスな文章表現や、細緻な人間心理の観察、そしてその巧みな描写に魅了され、漱石を敬愛して久しい。出会いは高等学校の現代文の授業で『こころ』を読んだというおそよ平凡で一般的なものだが、これ以来悉皆漱石に傾倒している。  私の文章に対する観念――何かこう書くと偉大なもののように思

          ぼくは引きこもり

           2020年は引きこもりの年だった。思い返してみると、3月か4月頃から外出自粛が要請されて、それからすぐに大学はオンライン授業になった。新たな授業形式に戸惑いつつも、いつか普通に戻るだろうと思っていたら、いつの間にか12月になっていて、今ではオンライン授業が日常になっている。そうして来年もこの状況のままだろう。  世界は大きく変わったが、僕の生活にはさほどの変化を生じなかった。むしろ外に出なくていい理由を得たから、大いに家の中で引きこもり生活を満喫していた。  人は20歳

          ぼくは引きこもり

          ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

           上野の国立西洋美術館でロンドン・ナショナル・ギャラリー展という特別展が開催されていた。ロンドンのナショナル・ギャラリー初の館外作品展で、ゴッホの『ひまわり』を含む61もの初来日作品が展示されるという、極めて規模の大きなものである。私のとある知人が行ったらしく、大変良いものであるという様子であったので、私の方でも気になって、先達て友人のYを連れて行ってきた。  私は絵を描くこともあって、後学やら、刺激のために赴くのである。Yはただ軽跳な人で、何処でもついてきてくれる上、芸術

          ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

          匂い、駅、懐旧

           いつから相乗りになったのか知らないが、隣に座っていたこの男を、降りる間際になって何気なく見たときに、彼がスマホを眺めながら頭を上下にうんうんやっていることに気が付いた。さっき迄視界にちらちらするものがあったから、何かと思ったら、この男の頭だったようだ。ただこの事実に気が付いたのが降りる直前だったのが幸いである。  南流山駅で私の方が立ち上がって、この男と別れた時ようやく、あたりの茨城県の匂いがしなくなった。  武蔵野線へ乗り換えると、我が母校の制服を着た人が目に入った。そ

          匂い、駅、懐旧

          秋風にたなびく

           日が短くなった。風は冷たく秋冷を感じる夕方は十八時にもなると暗くなりだす頃合いである。窓を見て薄暗いなと思うと腹が減る。腹は漸次的に減っているのだが、こうして時間の経過を知ると、ふと一挙に思い出すように空腹に気がつく。  冷凍庫を開けると、小分けにして冷凍させておいた豚肉のこま切れがある。それを解凍させるうちに、ありものの野菜を切る。キッチンが狭いから、流しに桐のまな板を橋掛けて調理する。包丁の切れ味は非道く悪い。  熱したフライパンに油を引いて、田舎から貰った矢鱈に大き

          秋風にたなびく