那須旅行記

一、 出発
 

 私は今電車に揺られながらこれを書いている。半年も前のことを思い返しながら、もう古くなった記憶を丁寧に磨いている。その記憶がどんな色に光るだろうかということを楽しみにしながら、この日記を書き進めている。 

 ……同じように電車に揺られていたその日、東京駅へ着いて広い構内の一角へ降りると、こんな時勢であるにも関わらず、朝から往来する沢山の人が見えた。スーツケースを転がしながら歩く者や、沢山の荷物を詰めたリュックを背負った者、小さい子を連れる父母、制服を着た若者などが次々と私の目に飛び込んでは離れていった。中途半端に田舎者の私はその目まぐるしい渦の中へ投げ出されるように落ち入った。

 私は待ち合わせのために、八重洲中央口を目指せば良いのではあるが、果たしてその案内が見つからない。見つかったと思うと、少し歩けば無くなってしまう。周りには私を急かすように人が歩いている。筑波から一時間余り電車に揺られてやって来た私は少し疲労が見えて、まだ定刻までに余裕があった事を確認すると一度御手洗いに立ち寄った。

 東京のような都会にはトイレが沢山あるし、そのトイレも広くて沢山個室があるから有難い。この日も私は無数のトイレを横目に、少しもトイレを探さずに入ってから、全く待つことを知らずに個室のドアを開けたのである。
 さて白い便座に肌を着けると、私は不意に東京の厳しい所を叩きつけられたような思いがした。厳冬の冷たい便座ほど激しく一過的な教訓はない。頭を金槌で撃たれるような悟りの一端を覚えながら、ほんの少しもすれば忘れてしまう。私はもう便座の冷たさを忘れ、駅の構内図を調べることに集中していた。

 集合場所は東京駅一番街ポケモンストアの前であった。ここからはそう遠くなく、とにかく地下へ降りればすぐ着くようなことを理解すると、私はそそくさとトイレを出て、再び坩堝のような構内へ出た。エスカレーターで地下へ行くと、なんて事は無くすぐに改札があって、すぐに目的の一番街が広がっていた。 
 改札を抜けた先の少し開けた一番街の玄関には、地面も柱も「ちいかわ」の彩色があった。大きな「ちいかわ」の絵があたり一面に広がっていて、独特の緩く生温い世界観を描いていた。私はこの世界に入門して、「ちいかわ」のキャラクターを横目にこの一番街を歩いて行った。生憎ポケモンストアは最奥に位置していて、私は何度も「ちいかわ」の眩い閃光を浴びた。その度私はスマホを向けて仕返しをしてやった。

 一番街は通りになっていて、端から端まで歩くのには少し掛かる。私はこの時気温の低い那須に行くための厚着をしていたから、歩いているうちに段々蒸してきてむしろ暑かった。外套を脱ごうかとも思ったところで、ようやくポケモンストアが突き当たりに見えた。ポケモンストアは存外小さかったので、まだ誰も来ていないということがすぐに分かった。時間を潰すために中を物色すると、やはり小さいから見応えもなく、ただ商品棚の前で盆槍ぼんやりとしている間に、漸く四人が集まった。

 我々の旅行はかくして東京の一角で始まった。

 私はこの旅行について、私と同じ穴へ集まったこの三人を中心とした記述をしないつもりである。この三人については旧友であり、各人が興味深く私とは全く異なる感性を持ち合わせた人間なのであるが、それゆえに私は彼らの目線を持ち合わせてはいない。彼らを描写するにあたって、私の目線を通すことなく、彼らと同化して彼らの思考や見たものを描くことができないのは、私の技量と知識がないということと同程度に、私と彼らが全く異なる人種であるということに起因している。私は殆ど私の慰安のためにこの日記を書くのである。

 挨拶を済ませた私達は、この一番街を、私においては来た道を戻る形で歩き始めた。時折目に入った店舗に立ち寄ったが、それは全くただ時間を潰すことと、以前以来の時間が作り出した気まずさを瓦解させるための儀式的なものであった。歩いている途中で、Mが突然鞄の中から取り出したものを私に突き出して、

「そういえば、これ」と言った。

見ると、新品のインスタントカメラが私に向って差し出されていた。私が要領を得ずにいると、Mは

「誕生日プレゼント」と一言を付け加えた。私の誕生日はこの時点で既にひと月以上前のことではあるが、あまり親睦の深くないMが態々わざわざ用意をしてくれたということが何となく嬉しくあった。実際この旅行の目的もHと私の誕生日を祝うというためなのであった。私は差し出されたカメラを受け取ると、礼を述べて外套がいとうのポケットへ仕舞いこんで、ゆっくりと歩き出した。


二、 喋舌る女達


 一番街を一通り見物をしたあと、那須へ向かう新幹線にはあと二時間程度の余裕があったから、私の希望で東京駅の丸ノ内口の方へ出る事にした。丸ノ内口の方は格式高い駅舎がある、所謂我々の想起する東京駅であるが、そういう定番の観光も時間を潰すのに丁度良いと考えたのである。
 
 丸ノ内南口から外へ出て振り返ると、今までの蒸し返す暑さからの解放感とともに、すぐに赤煉瓦の美しい建築物が目に入った。建築については全くの門外漢で疎いが、美しいものがただ美しくそこにあるのがわかった。赤い煉瓦の色は目に焼き付くように主張をする色であるが、そこに全く媚びた不快の度はない。落ち着いていて上品な色彩である。それが建築物という形になって、ずうっと広がっている。私はこの時ばかりは不断の物憂さを忘れてただ美しいものに心を寄せた。

 私達はなるべく駅舎全体を見られる位置について、しばらく眺めてから写真を撮った。出来る事なら、今から態々新幹線に乗って遠いところへ行かずとも、ここに座って煉瓦を眺めているのでも一向に構わないと思った。一人ならいいが、四人でいるとそうはいくまい。ただ私はどうせ一人では使わないだろうと、先刻貰ったインスタントカメラの封を切って、早速数枚写真を撮った。

 しかし写真は撮れど其処にはただ駅舎があるだけであったから、それで私達は悉皆すっかり満足して、時間を潰すために近くの博物館であるインターメディアテク (IMT) に行くことにした。私は東京駅に無料で入れる博物館があることを知っていてこういう提案をしたが、地図を見ると端の方に書かれていた相田みつを博物館がまず我々の興味を捕ったので、とにかくその方向へ歩いて行った。

 我々が歩くときは、大抵女二人が前を歩いて (しかも腕を組んでいる)、私とRがその後ろをそそくさとついているのであるが、この時のように後ろから婦人連の様子を見ると、二人は途切れることなく喋舌しゃべっているのが判然わかる。何についてそんなに喋舌っているのかは何となくしか聞き取れないのであるが、歩いている時も何かを見るにしてもひたすらに会話をしている。その様は止まったら溺れる沼の上でもがくように、息継ぎをするようにすら見える。MとHは私と二人との間柄よりも遥かに昵懇で、古くから深い関係を持っているが、それでもこうも会話を延々と続けているのは不思議の領域に達していた。人間の二人に、しかもお互いを非常によく知り合った二人に、そんなに話す事がありうるのだろうか。

 私はそんなに会話を継続させる必要も能力も持ち合わせていないので少々尊敬した。

 相田みつを美術館に到達するより前に、少し歩いた道中にIMTを抱合した高いビルがあった。相田みつをには申し訳なく感じつつも、私は半ば無理やり彼らを連れてその建物へ足を踏み入れた。

 この博物館はビルの三階と四階に連続してあって、東大総合研究所と日本郵便の協働で出来たものらしかった。無料であるが、受付の女がいて、荷物さえロッカーに入れるように言われたくらい確然しっかりした博物館であった。

 三階から順路通りに展示物を見ると、まず動物の骨格標本があった。どれも非常に大きいから一見すると恐竜の化石のような感があるが、よく見るとマッコウクジラだとか、ウマだとか現存する動物の骨格標本であった。私はむしろ現実味とともに興味を刺激された。テンやイタチ、オコジョなどの小さい動物のうちには剥製で展示されていたものもあった。この辺りは殆ど開けた一つの空間で、こういう展示物が非常に強く印象を与える。それから小さな展示物のあるガラス張りの台の方を見ると、不思議な色をした鉱石、数々の貝類や生々しい昆虫の標本などが様々ある。展示物に特に決まった主題はないようで、雑多な寄せ合わせの感じが、他に何があるのだろうという好奇と、玩具箱の中にいるような幼い興奮を誘った。

 そうして他に三階に何があったかというと、ひょろひょろとしたモモンガの骨格、たくさんの鳥類の頭骨、巨大な牛の角、双頭の亀、ショクダイオオコンニャクの標本、2m程あるタビビトノキの大きな葉、昔の人の上半身の銅像、古い機織り機や蓄音機などであった。解説が少ないので意味はわからなかったが興味深かった。

 三階を見物し尽くしてから四階へ上がると、階段を上がってすぐのところへ鳥の剥製が沢山あった。そこには尾羽が一生換羽しないらしい尾長鶏などの珍しいのもあった。展示室へ入ると、三階とは少し趣きが変わり、手描きで記された人体の解剖図がしばらくあって、それから仏像や装飾品、分銅や外科の器具などといった珍品が展示されていた。古い貨幣や物理学の加速度かなにかの測定器などもあった。数々の展示品を前にして、Rも婦人連もその胸中はどうであれ、興味深く各々の好奇に準じたものを見つめているように思われた。

 こうして我々はIMTの見物を終えたあと、このビルの上の階へも行ってみた。木製品や陶磁品、アロマなど、高級そうな店がたくさん入っていた。レストランも幾つかあって、特に鮨屋は人が沢山並んでいた。

 六階には屋上庭園があった。外国人の紳士淑女が大きな声で談笑をしていた。眺めは摩天楼で、庭園は低木と花壇の質素なものであった。これで我々はこの建物の殆ど見尽くしたことになった。

 ここに至るまで、IMT内を除いて常に会話をしていた婦人連であるが、この屋上庭園でも矢張り話を、しかもこの場所とは関連性の低い話を延々としていた。私はその能力に改めて感服した。私とRはもう殆ど喋りたいことなどとっくに尽きているのである。私はこの二人を、四階を超えてさらに上層の階へ行っても殆どIMTの展示物のように後ろから眺めていた。この建物には動植物から機械、珍物に至るまで様々な展示物があるのだから、喋舌る女達という題をつけて、ガラスの箱に入れて飾っても大して遜色はないだろうと思案した。しかし飾るなら四階がいいだろう。あれを序盤に見せられては少々辟易へきえきする。

三、 駅弁

 
 屋上庭園を出ると、新幹線の発車時刻まではあと一時間の昼前となっていた。我々は新幹線で食べる駅弁を買いに行くために再び東京駅へ戻った。

 駅弁を売っている大きな店は丸の内口の方にはなくて、反対の八重洲口の方だから四人して少し迷った。ややあって辿り着いた店には、さまざまな都道府県の駅弁が並んでいて、人がぎゅうぎゅう詰めになってそれを選んでいた光景があって、なんとなく新幹線を用いた旅行の醍醐味を感じた。私はその中へ飛び込んで、何を買おうかと思案しているうちに、すぐに他の三人とは散り散りになってしまった。振り返ることも難しい人の群れだったから、彼らを探す事はしないで、どれを買おうかしらと商品を眺めていた。目的地が那須であるのだから、栃木の駅弁を買おうと考えたが、残念ながら栃木の駅弁はなかった。元から無いのか、たまたまこの時なかったのかは知らないが、仕方がないので何となく喰いたくなった柿の葉寿司を買った。序でに麦酒も買った。それから同様に一人海鮮の駅弁と麦酒を買ったRと何とか再会したが、途中で居なくなったMとHは近くのコンビニへ行ったらしかった。しかもRの言伝による婦人達は駅弁を買わないのだというから驚いた。

 コンビニにはもう姿が見えなかったので、二人で先に新幹線の改札へ行き、待合室で婦人らを待つことにした。

 そのうちRが大便をしに出て行った。その間に私が婦人らに連絡をすると、どうやら二人も既に待合室にいるらしい。待合室の中をを二、三度見歩いても姿がないので、私は不思議に思ったが、こうも広い東京駅では、待合でさえ複数あるようだということに気がついた。待合が幾つもあると却って不便じゃなかろうかと思いつつ、Rが戻ってくるとすぐにお互いホームへ上がって合流することにした。

 ところがホームにも女達の姿が見えない。いくら広い東京といえど、同じ新幹線に乗るホームが複数あるまい。しかし辺りを二、三返見渡しても気配すらない。兎に角指定席のある車両の方へ歩くと、Rと私は柱の影に漸く《ようや》婦人の影を認めた。私はこの時、依然喋り続けている女二人を見て、女達がなにゆえ私たちから隠れるような位置に立っているのだろうと思った。なにゆえ私たちを探す素振りもないのだろうと考えた。そうしてなにゆえに二人で立ち話を依然続けているだろうと懐疑した。不思議に思った。彼女たちは主観に生きている。ああも沢山話していれば、当然上滑りの話では間が持つはずがないのだから、こころの芯のところの本当をお互いに喋ることができるのだろう。少なくとも客観の境地という些事|さじはまるで気にも止めないで喋ることができるのだろう。お互いの心をぶつけ合って、自分のこころというものを知ることができるのだろう。私はそんな彼女たちを心底羨ましく思うと同時に、敬虔けいけんの念さえ抱いた。

 そうして二人を見ると、彼女たちは本当に駅弁を買っていなかったので、私の羨望せんぼうと敬虔は一刻にして泡沫の如く消えたのである。


四、 新幹線


 我々の乗る新幹線の出発は13時であった。初めに聞かされた時は、一泊二日の予定にしては遅いだろうと考えたが、どうにも目的地である那須の方のバスの都合に合わせるとこうなるらしい。旅行となると、大抵普段行かない所へ行く客気から、なるべくその土地を不足なく味わおうとして、朝早くから或いは夜遅くまでの活動を強いるのが常である。したがってこの出発の遅さは本旅行中で最も贅沢な点であると言えるだろう。慰安のための旅行において、時間に囚われた精神を解放することも全く生死事大に匹敵する重大な点である。


 贅沢に乗車した我々は相変わらずの立ち位置そのままに、女が前で男が後ろという指定席へ座って、少し遅めの昼食をとった。

 先刻買ったばかりの柿の葉寿司を開けると、七つの小さな鮨が確かに柿の葉に包まれて綺麗に並んでいた。柿の葉で包むのはおおよそ葉の抗菌、抗酸化作用によるのだろうと思いつつも、付属のブローシャーを見ると、矢張りそういうことが書いてあった。そういうことが書いてあったのはいいが、それ以上のこと、つまりどういう天然物 (おおよそタンニンのようなポリフェノールだろう) がどういう風に効果を示すのかという気になるところが書いていない。一般の人間はこういうところが気にはならないで、ただ抗菌作用があるという文章を見て満足するのだろうか。私はそれ丈では到底満足できない性質である。満足とはその物自体を見たり聞いたりするだけではなくて、同化して自分の物にすることで初めて得られる感情である。私は少し狼狽しながらも鮨を一つ口へ運ぶと、何とも気軽にたちまち私の身体は鮨と同化した。美味い。これが俗に言う満足であるのだと悟った。そして前に呑気に座っている女達の思考を垣間見た。Rと乾杯をして、麦酒をぐいとやると、これがまた良い心地であった。もりもり食べていると、すっかり腹が一杯になって眠くなった。Rも同様にうとうとしていた。

 女達はと言うと、私とRが話をしているうちに、とっくにおにぎりを食べて眠っていたから、私も少しの間眠ることにした。

 新幹線は速度を増して山の中へ入っていく。私は眠っている間に時速200 kmを超えている。Rは酔いが回ったのか起きる様子もなく眠っている。Mも眠っている。Hも眠っている。乗客はことごとく眠っている。ただごおごおと走る音のみがする。そういう中に私だけがこの車内に存在する。そうして私は高速のあまり、外界に存在する景色と少しの縁も持つ事なく過ぎていく。外界に流れる景色を見たと思うと、それが何でありどう美しいのかを知る前に消えていく。外界にうごめく人間を見つけたと思うと、それがどういう人間であるのかを知る前にいなくなっている。私と外界との関係は、見つけたと思うと糸が張り詰めて切れるように千切れていく。ついに私は世界の非常に速く流れる間に、外界と何の接点も持ち得なくなった。内界はもとより眠っている。そのうち私はどこにも存在しないような感覚に陥って、一人深閑しんかんとした眠りについたのである。

 一時間ほど経つと那須塩原へ着いた。寝覚めは寒さで眠る世界と現実とを張り裂かれるように起こった。

 改札を出ると、何もない田舎の駅のようであったが、土産屋と小さなコンビニが中へあった。ホテルへ行くといよいよ周りには何も無い上、私たちの宿泊に夕食は付いていないので、ここで酒や軽食を買って行くことにした。適当に籠へ物を入れていくと、合わせて三千円くらいになった。Rは酒が足らないだろうと言ったが、程々にして外へ出た。

 待合の所へ行くとすでに送迎のバスが止まっていて、ドアの前に銀縁の眼鏡をかけた紳士が立っていた。この男が、Mの名乗るより先に名前を言い当てて、丁寧な挨拶をしてから我々を丁重に車内へ誘った。

 出発の時間になると、この男が運転席へ座って送迎を始めたのである。今考えればそれは当然なのであるが、この男の風貌や仕草が何となく運転までもしないだろうという感じを纏っていたので、私はなんとなく意外の感に打たれた印象が残っている。

 駅をほんの少し走ると、それこそ一つ道を曲がると商用の建物などは一切見られなくなった。かろうじてドラッグストアやコンビニが点在していたのが分かったが、何故か通常の派手な色合いではなくて、どれもチョコレートのような茶色の外装をしていた。これが全く街並みの保全のためなら間違っている。建物の彩度を抑えるのはその周りの街並みが自立して存在を持っているからこそ、そこに建物を溶け込ませるためなのであって、ここでは彩度の調整に先立つべき街並みというものがなにもない。寧ろ街並みがこの彩度の低い建物によって形成されている。これでは色味を変えた意味がないだろう。ではこの燻んだ色の建物が失敗であるかというと、我がこころに煙のように立ち昇る細い閑とした気分の素因の一つが目に映る景色にあるのは確かなのであるから、これは亡骸なきがらでありつつ、ある種正常に機能しているのだろう。

 この寂しい建物群を過ぎて二十分ほど行くと、いよいよ簡素な畑と木々ばかり広がるようになった。晴れた空からは非常に小さな発泡スチロール片のような物が落ちてきて、それが視認できるほど大きくなり出した頃にはこの白いものが雪だということがわかった。空は青いところも見えているのだが雪が降った。天気雪というのだろうか。畑を越えると山道になった。勘定して40分程度走ったあと、我々は遂に目的地である宿へ辿り着いた。


五、 「ナンパじゃん」


 宿の周りは地に銀をまぶした雪景色であった。白い絨毯を縫う様に条条じょうじょうと木立があり、散見される地の表面が、うぐいすの羽根ような、煤けた竹のような、寒風のような色をしていた。

 バスを降りると、すぐ眼前に玄関があって、非道く冷たい風に煽られる事もなく4人揃ってフロントへ案内された。それから広間の洋卓へ座らされて、事務的な書類などを書かされた。その間に説明をしてくれた女の人が、今回の旅行の目的を聞いてきたので、私とHの誕生日を祝うためといったら、矢張り「いつ誕生日なんですか」と聞いてきた。私が「一月四日です」と一ヶ月も前の日付を言うと、一同面白がって笑っていた。

 それから部屋の場所やアクティビティなどの色々な説明を聞かされた。私は端に座っていて、どうせ他の三人が聞いているだろうと、平生の通り適当にうんうんやっていたら、説明が終わって外へ出て部屋に向かう時に、建物の位置がわからないでRに揶揄われた。

 このリゾナーレ那須の部屋は基本的に部屋が一つの小さな建物として独立していて、敷地内に点々としている中に、いくつかラウンジやカフェなどの比較的大きな施設がある作りをしていて、その中でも我々の泊まるのは例外的に一つの屋根に四つか五つの部屋が含まれた建物の一角であった。恐らくいくらか安いのだろうと思ったが、それでも中々小綺麗な別荘のような見た目をしていた。建物の前には大きな真四角の水場があって、すぐ隣にはラウンジがあるようだった。

 鍵を開けて部屋の中へ入ると、上方が木の梁や柱が現しになっている開放的な空間で、手前側に低い洋卓とソファ、一段高くなった奥側にベッドが四つあった。右手奥には便所と風呂、洗面が一つの部屋として仕切られ、その手前には荷物を置くような場所があり、コンパクトに纏まった丁度良い部屋であった。風呂は浴場へいって、ここでは酒を飲むのと寝るのとしかしないのであるから十二分である。

 腰を下ろして一服した我々は、様々あるらしい施設の中でどこから行こうか少し考えた。先刻貰った案内の紙には確か十個くらいの体験型のアクティビティが書かれていて、多くは親子連れを客層にした、焚き火体験やランチのピザ作り、農作業体験等であった。この時既に16時を迎えようとしているが、殆どの体験は17時に終わるらしかったので、我々の選択肢は多くなかったが、兎に角向かうことに決めたのは、キャンドル作りであった。

 しかしながら、このキャンドル作りというものが存外質素なものであった。こう書き下してはなんとなく悪い気もするが、我々のような若い年齢層に向けたものでは決してなかった。具体的には、半分にした胡桃の殻に、木の実や葉を詰めて、小さな蝋燭を立て、それらをボンドで固定するというだけのことだった。

 それでも大人然とした我々は、各人それぞれ作品のテーマを決めて作るなどして、それなりに楽しむことができた。私の宣言したテーマは「したたかさ」だか、「しとやかさ」だか忘れたが、なんだかそういう不思議な形容動詞を私が初めに挙げたので、四人とも抽象的な芸術作品を作り上げることになった。 

 予定よりも早くキャンドル作りが済んで、時刻を見るともう一つアクティビティができそうな頃合いであったので、我々は懐炉作りとハーブティー作りが出来るビニールハウスへと向かった。

 ビニールハウスは雪の道を少し歩いたところにあった。この道というのが、左右にいくつも孤立した部屋が建っていながら人のいる様子がまるでなかったので、幻想の感を纏った異所のような気配がした。

 森とした雪道の中に置かれたビニールハウスの中に入ると、左右にハーブなどの植物が植っていて、板張りになっている中央には木の洋卓や椅子が作業できるように置かれているが見えた。そうして奥には、意外にも若い女がいた。私はこの時漸くビニールハウスの中が外より随分暖かいことに気がついた。女はマスクをしているせいもあるが、私とそう変わらない歳のように見えた。女は我々を見ると洋卓を拭く手を止めて、軽く挨拶をした。

 女はまずほとんど作業的に柔和な態度をして、洋卓の上にあったあたたかい甘酒を勧めた。3種類くらいの甘酒があって、私はゆず甘酒を飲んだ。これは風味がいいが少し甘すぎた。

 「懐炉作りができるって見たんですが」

と私が言うと、女はまた機械的に柔らかな温度で、洋卓の上のハーブや玄米を示しながら懐炉の作り方を説明した。矢張やは先刻さっきのキャンドル作りと同様に、作業は非常に簡単で素朴なものであった。

 我々四人は席について、言われた通りに懐炉を作り始めた。ただし私の注意は既に懐炉作りではなく、殆ど機械的な女に注がれていた。私はこういう女と相対すると、その固体的な優しさを融解させて見たくなる。中身の本来の温かいところを露出させてみたくなる。そういう時に現れる意外かつ期待通りの笑みこそ私の最も好むべき表情の一つなのである。

 ところへ、新たにハウス内に三人ほとの家族連れが入ってきた。すると女は我々の元を離れて、すぐにそちらの対応へ移ってしまった。流石に私もこの好奇心を実践する勇気に乏しかったので、少し懐炉作りを真面目にやることにした。 

 懐炉の組成は玄米とハーブと塩という簡素なもので、麻袋にこれらを詰めるだけが作業であった。肝心の発熱物がないが、玄米がそれの代わりであり、電子レンジで加熱することで、蓄熱材としてほんのりと暖かさを感じることができるのだという。

 電子レンジがあれば懐炉はいらないが、こういうものは実際的な必要から生じてはいないのだから、これを言うのはやめにした。そもそも私はカモミールだとかのハーブが、その香りが便所を想起させる点であまり好きではないが、これも胸中に留めておいた。実際的に私が気にしたのは、塩をなぜ入れるのかという点である。一つ会話の材料を得た私は、ぜひあの女に可笑しく聞いてやろうと顔を上げたが、依然女は向こうで客の対応をしていた。残念だとRにいうと、Rの方も女について好奇心を持っているような風で、女が早くこっちに戻ってこないかということを口にした。Rはむしろ私よりも貪欲な希望を抱いているようだった。

 我々が懐炉を作り終えた頃に、先刻やってきた客が出ていって、再びハウス内は女と我々四人だけになった。

 残る体験はハーブティー作りであった。これは単にティーバッグに自分でハーブを選んで入れるのであった。

 女は以前柔和な態度で我々にティーバッグに入れるハーブについて説明をした。女どもはそれを聞き流しながらそそくさとハーブを詰め出したが、用事ができたRが、すぐに女に声を掛けた。

 「ハーブティーってあんまり普段飲まないんですけど、そういう人でも飲みやすいのってありますか?」

女は「そうですね」といって何か答えていたが、あまり要領を得ないものだったので記憶していていない。Rの方でも手応えも何もなかったようで、会話はそれぎりだった。私は今更塩のことを聞くわけにもいかなかったので、ハーブティー用のハーブと左右に生えている植物を見ながら

「このハーブって、ここで育ててるんですか」

と聞いた。女は、

「実は、違うんですよ。なかなか賄えなくって、いずれそうしたいんですけど」

などと言ったが、このやり取りもあまり記憶していないので、そこまで発展しなかったに違いない。

 少しの話をして会話の材料を失った私は、先刻から気になっていたものを話頭にあげた。ハウスの植物の植っているところに置かれた、木の枠組みでできた中に人が入れるような球状のオブジェクトである。

 「これは、この枝みたいなのがハーブで、中に寝転がるといい香りがするんですよ」

 見ると、確かに中に枝みたようなものが敷き詰められていて、布が一枚あって入って寝られるようになっている。四人のうちでまず私が

 「いいですか」と靴を脱いで中へ入ってみた。

 枝は乾燥していて、足で踏み付けると乾いた音が鳴る。中へ入って、仰向けに寝ると、足がはみ出るが心地が良く、視界は端っこは殆どこの枝いっぱいになり、森の中へ寝転がっているような良い感じがする。

 「どうですか」と女が聞いた。

そういえば香りのことをすっかり忘れていた私は鼻をふんふんやるが、あまり匂いを感じない。

 「ちょっと鼻詰まりが」と言うと、笑う三人の間に女が少し微笑んだ気がした。

マスクを取って嗅いでみると、微かに良い香りが顔を通る。なかなか心地が良くなったので、

 「今日ここに泊まっていこうか」と冗談を言うと、女はやはり笑った。その表情は少し機械的を離れていた。

 ハーブティーは部屋で飲むことにしたので、最後に写真を撮ってここを出ることにした。女に撮影をお願いすると、快諾して四人の写真を撮ってくれた。良いタイミングがあって聞いたのであるが、懐炉の塩は水分調節のために入れるそうだ。

 帰り際に、入り口の方へアカシアの木が鉢に植っていたのが見えた。今まで気がつかなかったが、よく見ると洋卓にもアカシアが花瓶に入れられて飾られていた。これは装飾用だと言う。

 Rはもう少し女と話をしたそうな様子であったが、程々にしてビニールハウスを出た。直後にRは、

「ハーブティーいいなって思って、育ててみたいんですけどどんなふうに育てるんですか」から始まり、連絡先を教えてもらうための流れを話していた。それを聞いたMは淡然とした態度で、

「ナンパじゃん」と言った。



六、 逍遥

 ビニールハウスでの体験を終えると、もう殆どのアクティビティに間に合わない時刻になったが、我々の部屋のある建物の奥に二十四時間やっているというラウンジがあったので、そこにも行ってみることにした。

 雪の道中では、今まで書かなかったがHがよく跳んだり踊ったりしている。元気なものだと思う。雪を投げつけると口で怒りながら楽しそうに喜んでいる。私も面白いので矢鱈に雪を投げつけていると、綺麗な服が白くなって、可哀想だとRとMに非難された。

 さて、今までのキャンドル作りや懐炉作りは全くと言っていいほど子どもを対象にしたものだったが、このラウンジというのが唯一大人向けという紹介がされていた。

 文句の通りラウンジには大きなロッキングチェアや洋卓、ソファと共に、様々な本とコーヒーマシンがあって、静かな空間になっていた。

 早速私はコーヒーを淹れて、ロッキングチェアに腰を落ち着けると、程よく身体が揺らいで良い心地になった。なんだか一眠りでもしたい気分だった。

 折角なので本を物色したが、私より先にHも真面目に本を眺めていたのが印象的だった。昔は読書が趣味だったらしい。

 本は種類は多岐にわたっていて、植物や園芸、エッセイから洋書、文学、図鑑などが好きなように並んでいた。そこで私はたまたま手に取った鳥に関する本の中に興味深い記述を見つけた。

 啄木鳥きつつきの脳にタウタンパク質の凝集が見られるらしい。タウはニューロンの軸索のチューブリンに結合して軸索を安定化させるタンパク質である。アルツハイマー病 (AD) を発症した脳ではこのタウの異常なリン酸化、凝集が見られ、神経原線維変化を引き起こす要因となる。啄木鳥もああも頭を激しく木に打ち付けていると、AD様の特徴が見られるのが面白く感じた。ADではアミロイドβの凝集に次いでタウの蓄積が起こるが、啄木鳥ではアミロイドβの蓄積はどうなのだろうか。また、タウの蓄積は脳の損傷なのか、それとも脳を守るためのものなのか、実際に認知障害が見られるのだろうか。アミロイドβはちょうど私のやっている研究の分野であるので色々な興味が湧いた。しかしこの啄木鳥に関する記述はほんの一ページの一角に過ぎなかったので私の興味の追随はそれより先に進みえなかった。

 本より論文を読む方が良いだろうと思うことが増えた。ある程度専門性が高まると、本はわかりやすいか情報が浅すぎる。特に医学的なことは本の主役になりにくい。大体医学的なことに付随する──特に薬の技術や特許の話が多い──人間ドラマを主軸にして本にするから専門知識を得るには向かない。どうも高度に狭い分野の話では分が悪いようだ。そういう興味と諦念の両方の感覚で本を閉じた。

 私は再び椅子に座って、少し思案した。

 もちろん本は本でいいところが沢山ある。知識を得るほかに、物語に感服したり、世界に没入したり、新しい視野を得たりすることができる。...それでは日記は?この日記に何の意味があるのだろう。冗長で、心を動かす何物も含んでいない。これは単なる述懐に過ぎない。有難い情報はもとよりない。矢張り私の安楽のためのみに書かれるものなのだろうか。

 ……意味は物事に先行するのだろうか。必要は発明の母というが、私は必要を持って此を書いていない。しかし意味の付随しない物事は無いだろう。では意味に物事が付随しないことがあるだろうか。意味があって、それが全く想像にさえ存在しないことはあり得るだろうか。私の小さな頭ではそれはあり得ないと考える。あるとすれば、完全な無である。それが悟りである。しかし無でさえも、やはり無意味という意味を有している。つまり意味は物事に先行しない。必要とは発明の空想であり、発明は必要の母というように、それらは全く同時に起こるものである。

 私は無に駆られてこれを書いているというのが正しい。書いた以上、その存在に意味が付随している。それがどこにあるか、どんなものなのかといえば、読む人間によって自動に、無意識に生じるのだろう。この日記の意味は各人が勝手に見出すのだろう。

 私は既にこの作品に色をつけている。各人はそれを見て、或いは見進めて、青に見たり、緑に見たりするのだろう。その色がこころの一部になるのだろう。そうして出来上がった色合いを人間活動に発揮するのだろう。作品の全ての第一の意味はここにある。見るだけで、無意識でも、何の心の運動もなくとも、その色はこころに取り込まれる。そうしてその人間の一部になる。これだけで、作品全てに十分意味があるといえるだろう。

 私が作品の色を語れば益々ますます野暮になる。そもそも作品の全ての色を見ることはできない。それを知ろうとすることは、いちいち絵の具を引き剥がして、ここに何色があるだとか、こんなふうに塗られているだとかを言い尽くすように愚かな事である。各人が見えるように見ればよい。それを生に発揮すれば良い。

 椅子が揺れる。私は盆槍ぼんやりとして身体を椅子の揺らぎに任せている。暖炉があるが、薪が入っていないのが残念だ。Rはスマホを弄っている。外では雪が降っている。

椅子の軋む音を聞いて少し音を忘れていたことを思い出した。何だか女達が喋っていたのが聞こえている。コーヒーを啜る。私は暫く椅子に揺られていた。

 


七、 煙る暗夜

 部屋に戻ると、混む前に風呂に行っておこうということになった。着替えとタオルを提げて、また寒い道を歩いた。空は薄暗くなっている。

 脱衣所に入ると、まだ誰も人がいないようで早く来た甲斐を感じた。肌を抜いで、Rより先に風呂場へ出た。

 風呂場はシャワーが十ほど並んでいて、中くらいの浴槽と、露天風呂が一つずつあるだけのものだったが、人が居ないので広く見えた。

 身体を手早く洗ってから、風呂へ浸かると、いつの間にかRも身体を洗っていた。洗い終わって、振り返ったRを見ると、筋肉が隆々と盛り上がっていて、中々鍛え上げられているのがわかった。Rは背が低いが、筋肉が付いているので見目が悪く無い。

 「いい身体だな」と私がいうと、Rは自慢げにしていた。何かの企画で一年ほど厳しく鍛えたそうだ。私は肋の浮いた私の胸部を少なからず意識した。

 湯はそこそこに熱い。道中が寒かったからか、余計に熱く感じる。5分も浸かる前に、私とRは立ち上がって露天風呂へ向かった。

 硝子戸をゆっくり開けると、隙間から湯煙が外へ漏れ、音の反響しない幽闃ゆうげきの境界に誘うように揺れる。冷たい空気が温まった身体をそろりと沿うように流れてくる。身を縮めて外へ出切ると、暗くなった空が、仄かな電灯に照らされて、湯煙とともに石畳と境界を失っている。まるで風呂の地続きのように雪景色が広がっている。外とも内ともつかない景色に、長方形の露天風呂が縦に伸びるようにあって、短辺側が、すなわち目の前が開けっ放しになっていた。木の板で四角くに区切られた雪景色は、額に入れた絵のように我が目に映った。

 湯に這入ってみると、外が大変寒いので丁度良い温度になっていた。なるべく身体を無抵抗に漂わせて、雪景色の方へ目を向けると、眼前の枯木は湯煙に消え、空気と湯の界面が滲み、ささめ雪が降っているのか立ち上がっているのか判別できなくなる。身体ごと意識が浮上して、湯煙とともに立ち上って、現世との輪郭を失ったようにふわりとするうちに、雪のように降り注いで湯壺に溶け入る。湯は滑らかに我が体躯を包み、意識を包み、再び湯煙のように立ち上がる。時は春宵ではないが、まるで靄に酔ったような心持ちに至る。温泉水滑らかにして凝脂を洗うという白楽天の句が浮かんだ。

 Rも石畳に両の腕を掛けて寛いでいる。お互いに生まれたままの姿で、かつ靄に酔うとなると、会話は段々と真に迫ったものになってくる。靄のせいで、我々がここで何を会話したのか、詳しいことまで記憶していないが、恋愛事や不安事を滔々とうとうと話していたと思う。

 その中のRの発言について一つだけ、意外に感じたので今でも覚えていることがある。それはRがコロナ禍で中々人に会えないことを淋しく辛いと感じていたことである。Rは多方面に顔を出す人で、いつの間にか多様な人間関係の繋がりを所持している。出来上がった人間関係が希薄になると、その関係を生み出した出来事自体まで薄弱なものになってしまうかもしれないというような発想だろうか。それとも単純に人と人との繋がりが、他人との関係が精神的な安定に寄与するところが大きいくらい自我が小さいのだろうか。

 この淋しさなど私は感じたことも意識したこともない。一人暮らしで寂しさを覚えた試しが無いのだから当たり前だ。

 Rは明るい男であるが、Rの明かるさのその中に、非常に独特で微かな揺らぎを見る事がある。その揺らぎは、私の中で振り子のように段々と揺れを増して、その速度が極限まで大きくなったあと、糸がぷつりと切れるように、しんと音さえしなくなってしまうのではないだろうかという不安に変化する。一切の曇りがない明るいものを見ると、それが消えてしまうことを考えがちな私ではあるが、Rのものはそういう快晴の明るさではない。何となく澱んだところが窺えてしまう。その不安定な澱みが私を一瞬不安にさせる。Rにはそういう固有の摂動がある。この日は白い湯気のせいでそれが特に見えづらくなって反対に私の目にはっきり映った。

 ところで、このRの不安がどのように吐露されたかというと、Rが私に、

 「何か不安事とかないの?」と聞いたのだ。今思えば、Rは私の生きにくいのを知っていて、こういう問い掛けをわざわざ寄越してくれたのかもしれない。きっとそうだろう。Rはよく知っている。そういうRの誠に似た優しさと相対しながら、その時の私は、旅行の活気に煽られていたにも関わらず、靄に酔っていたにも関わらず、湯煙がこころを浮かび上がらせていたにも関わらず、迷った振りをしてそれっぽい言葉を並べ立てたのだ。私自身も私の我がこれほどまでに屈強なものだとは考え得なかった。道理で生きにくい。

 ...私は悩みをたくさん抱えているのである。今世の不安や懊悩を一心に抱える気分で始終迷っているのである。絶望の谷に向かう瘋癲ふうてんの人を自らに投影するくらい敢えて苦しんでいるのである。太陽を求めながら陰に潜んでいるのである。陰を求めながら太陽を浴びているのである。矛盾した男なのである。

 私は裸でいるのに腹の底までを見せ切らない私を恥じた。馬鹿々々しくなって、頭が熱くなるのを感じたと思う刹那、何だか頭と言わず髪の毛まですっかり固まってしまった気がした。頭を触ると、外気に晒された髪の毛が、そのままの形ですっかり凍っていたことに気が付いて、二人して大声で笑った。

 それなりにして我々は湯を出た。


八、 その晩

 湯を出てから身支度の多かったRを置いて先に部屋へ戻ると、女達も丁度部屋へ戻ってきた。どうやら女湯の方も空いていたようだ。

 行きに買ってきた酒や軽食を洋卓の上で出して、湯を沸かしたり、使わない荷物を片付けている間にRも戻ってきた。そしていよいよ我々はひたすら贅沢な暇を堪能する時間を迎えた。こんな田舎まできて、何処でも帰るような酒を飲みながら何処でもできる話を肴にするのは贅沢だ。しかも飯はカップ麺ときている。

 そもそも何故この旅行にディナーが付属していないのかというと、いかんせん此処の宿泊代が法外に高いところを、学生割引とディナー抜きにすることで何とか常識的な値段にして、やっとのところで此処までやってきているのである。それではせめて此処まできた証に雪の降る景色を見ながらとでも思ったが、窓が割と人に見られる位置にあるから、先刻からカーテンは全く締め切られていて、本当に何処でも変わらないような酒の集いとなった。

 四人で乾杯をして、それからは適当に飲み食いを始めた。時刻はまだ七時であった。

 くだらない話をしながら、酒をぐいぐいやると、私はそこそこに良い気分になる。ありがたいことに、私の身体はある程度酒に耐性があるようで、飲めば飲むほど非常に楽しい気分になる。常に顔が緩く綻んでしてしまう。普段からしかめ面なのもあるが、Mには後に「そんなに笑う人だっけ」と揶揄されてしまったくらいである。霞に酔うと暗愚あんぐな気分になるが、酒に酔うと明朗な気分になる。心の底のほうにある浮気の衝動が、何も気にせず楽しく生きてみたいというふわりとした願望が、酒の酩酊とともに現れてくるのかもしれない。特に旅行先や何かの催事になると、元から気分が良いので殊更爛漫な感覚になる。日々でも常に酩酊していられれば良いとさえ思うが、常に明朗な場合でも不安や懊悩というものは次から次へと現れるだろうから、酒によって時折明朗になるくらいが良い塩梅なのかもしれない。私は時に眼前の日々に何も考えていないような女どもが羨ましくなるが、この女どもはそれぞれ私の知り得ない不安──それは時に私の持ちうるものより巨大なものかもしれない──を持っているのだろう。なんとなく都会に生まれた私のような人間が田舎に閉じ込められたくなることと、田舎に生まれた人間が都会に出たがることと似ている。生涯那須に永住すると苦慮することがあるだろう。あの女の機械的なところはこういう点から来ているかもしれない。俗界万斛ぞっかいばんこくの反吐皆動の一字より来るというが、俗界万斛の苦慮皆静の一字より来るだろう。

 また酒は何よりそういう難しい差異や苦慮や反吐を纏めて酩酊という一つのエネルギー準位に遷移させてくれる特別な活性を持っている。それが有難い。それが嬉しい。この世界のなかで、カーテンによって区切られた小さな世界の中で、私は酒の力を借りて彼等三人と同一の酩酊界に居することができる。そこに貴賎はなければ大小もなく、長短も、明暗までもない。故に酒は尊い。

 ほどほどに酔いが回ってきたところで、Hが私に目配せをした。私はこの時まで悉皆忘れていたが、RとMに就職祝いを渡すことになっていたのであった。この時のために態々Hと相談して、名入りの手巾とボールペンを買っておいたのだ。

 此れを二人に渡すと、かなり驚いていたが私とHの考えていたより喜んでくれたようであった。

 酔いは次第に深くなった。22時頃になるといよいよ酒が無くなった。Rは案の定という顔で、もう少し買っておけばよかったと言った。際限ない酔いの後に待っているのは、靄の場合は酔狂だが、酒の場合は果たして苦悶である。明朗は悪心の副作用を置いて去ってしまう。眩い陽気は闇夜に消える。もう少し酒があったら後は苦しかったろう。我々は危ないところでベッドへ潜り込んだ。

 少し眩暈がする。黒い天井を見上げると、今日の光景が見えては回転する。

 東京で迷って、博物館を巡って、喋舌る女を見て、新幹線で鮨を食って、ビニールハウスで懐炉を作って、靄に酔って、それから酒を飲んだ。その中に女がいた。もう少し喋ればよかった。

そう考えているうちに私は眠りに落ちた。


九、 夢の中

 私は一人雪道を歩いていた。細やかな雪が森々と降り注いでいる中を、厚い外套を着て、黙々と歩いていた。飄然ひょうぜんと歩いているように見えて、私の意識は判然一つに固まっていた。確然しっかりとした目的地を据えて、一本道を歩いていた。

 雪はあるが太陽が僅かに出ていて明るい。まだ人の気配はしなかった。だいぶ早朝のようだった。私は雪の中を暫く歩いて、見慣れたビニールハウスの前に辿り着いた。

 躊躇いもなく、中へ入ると、奥に案の定女がいた。来るべき客のために、また洋卓を拭いていた。私は驚いたような風をして、ごめんなさいと謝罪した。もういるかと思ったから、とここへきた理由を弁明した。女は微笑して私がここにいるのを了解してくれた。

 私は植物を前にしゃがみ込んで、あたかも用事のある人のように暫く葉の緑色を眺めていた。それから女の方をかえりみて、

 「随分朝早いですね」と云った。

 「いえいえ、お互い様ですね」と女は返事をした。

 「お連れさまはどうされたんですか」

 「みんなはまだ寝てますよ。折角だからと思ってきたんです。お姉さんがいると思って」

 女は冗談を受けて微笑した。

 「お姉さんは、ずっとここにいるんですか」

 「そうですよ」

 「ハーブが好きなんですか」

 「そう言うわけじゃないんです。ここに勤めて、ここを担当してやってるだけですから、たまたまです」

 「へええ、羨ましいです」

女は同意せずに、不平を隠したような表情をした。私は立ち上がって、洋卓の席に着いた。女は洋卓の上にあった甘酒を補充していた。パックの既製品のようなものから瓶に注いでいたので、私は思わず苦い顔をして、

 「手作りじゃないんですか」と笑いながら言うと、

 「内緒です」と女も笑っていた。

それからパックの余りを二つの紙コップに注いで、一つを私にくれた。

 私がそれを一口啜ると、女もマスクを外して、それを飲んだが、この女の顔が異様に端然としていて、美しかった。もう暫く眺めていたいとおもったが、女はすぐにマスクを戻してしまった。私が女に「地元はどこなんですか」と聞くと、Rが女の側にいて、いつの間にか女と睦まじげに喋っていた。そうして女がまた甘酒を啜るためにマスクを脱いだと思ったら、その鼻下から下顎にかけてが先刻とは全く違う顔に変わっていた。そのうちRと女の喋る声が、だんだんと大きく、メロディアスに変化してきたと思うと、聴き馴染みのある通知音に変化した。目を開けると、暗い世界に、私のスマホが二時五十九分を知らせるアラームを鳴らしているのが見えた。

 不思議な夢だと思った。盆槍した頭でおさらいすると、頓珍漢で思わず微笑してしまった。アラームは星が見たくて寝る前に私が設定したのであった。三人を起こさないようにゆっくりと起き上がって、外に出てみたら、生憎曇天で星は見えなかったので、私は喟然きぜんと溜息を吐いて再び眠りについた。


十、 柘榴

 翌朝は7時に目が覚めた。まだ三人とも眠っていて、起きたのは私だけであった。
 私は顔を洗ったり、着替えたりして三人の起きるのを待っていたが、中々目覚める気色が無いので散歩へ行くことにした。
 外套を羽織って外へ出ると、橙色の際から、段々薄ら青白くなる空の地にウールのような雲がまばらに見えた。建物の裏側へ回って、遊歩道のようになっている道を少し歩くと、小川が隣に見えた。昨日のものと思われる足跡がある。路に細い木が蹴上になった階段があらわれはじめ、私は少し丘のように盛り上がった斜面を登った。暫く歩くと、平らで開けた場所に出た。木立の隙間から濃い橙色の閃光が目を差した。この時は何故だが昨晩見た夢のことをすっかり忘れていて、ビニールハウスのところへ行こうなどとは頓と思いつかなかった。

 結局当たりには何も面白いなかったので路を引き返し、例のラウンジでコーヒーを飲んで部屋へ戻った。三人は以前眠っていた。Mに関してはくの字に曲がって毫も動かなかった。昨夜のまま散らかった洋卓を片付けていると、Hがようやく起き始めた。それから残る二人も起きた。

 我々はまず朝風呂へ入った。相変わらず支度の多いRより私は先に風呂場を出て、出たところにあった休憩所で足組みしながら新聞があったので読んでいると、二十分後くらいにようやく三人が戻ってきた。

 さて、この宿泊はディナーのないプランだと言ったが、モーニングのビュッフェは付いていたので、勇耀我々はレストランへ向かった。

 取次に席へ案内されると、この宿に来て初めに諸々の説明を聞いた広間にビュッフェが展開されていた。早速様子を見ると、なかなか質の高いビュッフェになっていて、朝食らしい料理、すなわち鮭の切り身だとか、ベーコン、サラダ、スクランブルエッグ、トーストとジャム、フルーツ、カレーなどの、思いつく限りの朝食という感のあるものが並んでいた。どれも非常に旨そうだったので、これまた美しい陶器の皿に盛り付けると、相当な量の朝食になった。私は不断ふだん朝食を喰わないので我が胃腸も青天の霹靂だろう。加えて冷たい牛乳も飲もうとしているのだから、霹靂どころか竜巻かもしれない。

 よそったものを順番に食ってみると、やはりどれも美味だったので、沢山の量があっても訳なく食えた。それからコーヒーを取りに行って啜っていると、突然給仕が、Happy Birthday と書かれたチョコレートの乗った二つのアイスをビュッフェとは別に運んできてくれた。そういえば今回の旅の目的が誕生日祝いだと言うことを伝えていたので、わざわざ祝いの物を用意してくれたのだ。そう言う気配りのできるところに私は単純に感心した。同時に私の腹腔内は竜巻を凌駕して、目出度いアイスの降るファフロツキーズに見舞われることになった。

 私たちは部屋へ戻って、昨日作ったハーブティーを飲んだ後、身支度をして、雪遊びをしに外へ出た。全く子供然としたことだが、雪を丸めたり、投げたりしてふざけ合った。雪は粉のように水分が少なくて丸めるのには苦労した。出来上がった頭くらいの雪玉を坂になっているところへ転がしたら、雪を纏って大きくなるかと思ったら、些か小さくなった。
 それからカフェに行ってカフェラテを飲んで、話をしているうちに那須塩原駅へ戻るバスの時刻になった。

 そうしてまた新幹線に揺られて、我々の那須旅行は幕を閉じた。

 帰りに本八幡駅へ寄って飯を食って、それからニッケコルトンプラザに寄ってプリクラを撮った。そして案の定腹を下して苦悶した。こうして思い返すとこの旅はトイレに始まりトイレに終わることになった。
 
 この所謂コルトンは我々にとってあまりに郷愁の含む、馴染み深い場所であるが、そう言う場所を、懐かしくも縁の浅い四人が歩いていると、妙な気分に頭を囚われる。今自分がどういう世界に立っているのかわからないほど浮遊する。同時に今足をつけている便所の床の些細な固さを強く意識する。何故この四人なのか、何故この時なのだろうか。運命の仕合わせを不思議に思う。あのゲームセンターは中学生の時分に毎日のように通ったところである。あの映画館で姉と映画を見たこともあった。皆んなで飯を食ったファミレスはもう無い。そう言う記憶の中に彼等の姿は乏しい。しかし今同じ場所にいる。たった二日間を共有している。

 我々がこの旅の中で何をしたかと言えば、何もしていないと言うのが正しいだろう。無駄な時間であったかと言えば、それも正しいと言わざるを得ないだろう。しかしこの無駄の中に、柘榴のように細かく密に有難い意味が詰まっている。ありふれた厚い上皮の中に、宝石ような輝きを持っている。宝石は少し言い過ぎたかも知らん。ただし磨けばガーネットくらいにはなるだろう。
 ところでガーネットは赤の他にも様々な色の輝きを持つらしい。




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