匂い、駅、懐旧

 いつから相乗りになったのか知らないが、隣に座っていたこの男を、降りる間際になって何気なく見たときに、彼がスマホを眺めながら頭を上下にうんうんやっていることに気が付いた。さっき迄視界にちらちらするものがあったから、何かと思ったら、この男の頭だったようだ。ただこの事実に気が付いたのが降りる直前だったのが幸いである。

 南流山駅で私の方が立ち上がって、この男と別れた時ようやく、あたりの茨城県の匂いがしなくなった。
 武蔵野線へ乗り換えると、我が母校の制服を着た人が目に入った。その風貌は懐かしいというより、寧ろ、その人がもはや唯の他人であるという線引きになっているだろうということを感じさせて、私の背中をうっすら寒くさせた。あの制服はもはや私を覚えてはいまい。

 それからニ十分余で西船橋へ着いてプラットホームに降りたときには、学生がたくさん見えた。若い人の活気の匂いがした。世の中は何時の間にか日常に戻っている。茨城県にいると気が付かなかったが、世間はとっくに今までを取り戻しているようだ。私は少々辟易した。


 駅の構内へ出ると、いくつか出店があって、ぽつりぽつりと人集りができている。確か父母の記念日などに手土産を買ったのは此処の店である。幼い頃に幕張へ行くために駅員を訪ねたのは此処の窓口である。花火大会の後で悲しい記憶を作らせたのは此処の角の陰である。棧の会が終わって別れたのは此処の階段付近である。そんなことを考えながら、あたりを見回すと、学生が、大人が、子どもが、ぐるぐる目まぐるしく私の目に飛び込んできた。飛び込んだと思ったら、また離れて、景色の中へ消えた。するとまたすぐに飛び込んでくる。そうして消える。私はそれを刹那の間に繰り返すうちに、時間に取り残された人のように動けなくなった。いや、明らかに時間に置いてけぼりにされた人そのものであった。今にもその場で泣き出しそうな気分だった。自分を囲む全ての景色が、私の溶け入る隙のないほどに滑らかに流れているのを感じた。どこにも割り込むことが出来ないで、踏み止まってしまったその間に、私は私の匂いが嫌というほど鼻を強く刺激したことが悲しかった。この回転する世界の一角で、この茨城県の匂いを落としてしまうまで動く気力が湧かなかった。

 駅から実家に着くまでの道のりは愉快だった。半ば酔狂でもあるが、こうして取り残された立場から見るとかえって新鮮な景色だった。いちいち美しかった。何だか急に旧友に会いたくなった。いつもの道を、今の我々で歩きたくなった。最近人と会うことが多いせいか、会わないことに対して寂しく感じる。とても寂しい。人はやっぱり人が好きだ。自分の存在を認めてくれる人が欲しい。自分の心を見せて仕舞える人が欲しい。私もそんなしがない人間の一人である。
 そして、これはつい最近知ったことだが、周りにはそういう人間がたくさんいる。皆んなそうである。溌剌で陽気だと思っていたあの人は、暗くて陰鬱な曲ばかり聴いている。陰で隠れて泣いている。病を宣告されている。思いもしない悲痛な過去を引き摺っている。私はむしろ幸福な方だと感じてしまったほどに。


 そういうことを、今はまだ言わないままで、この夕焼けを見ながら、旧友と歩きたくなった。
 

 実家に着くと、誰の声もない。静かに居間の戸を開けると、母がうつ伏せになって、絨毯に突っ伏して眠っていた。あんまり豪快に寝ているから、声がかけられなかったが、私が荷物を下ろすとちょうどむくりと起き上がった。
 それからすぐに夕飯を出してくれた。実家の箸は先の黒く変色している。茶碗は洗いが甘くて糊化した澱粉の薄い膜ができている。わざわざそれを指摘したり、洗い直したりして母を辱めることはしない。だまったままで、米をよそって食べた。

 明日晴れたら、旧友を誘ってみようかしらんと思ったが、法外な量のレポートに追われていることを忘れていた。くさいものを見つけてしまった。まずこれをやっつけなくちゃならない。

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