ナウシカを読んだ

 一月二月の殆どの時間をあばれる君の動画制作に充ててしまったから、二月は相当不景気だった。二月の初めでこれはいけないと思って手持ちのお金を勘定したら、公共料金を踏み倒しても500円しか猶予がないことがわかった。無論仕送りはない(僕が僻んでいるからだ)。12日に3月のカードの支払いが確定し、カードが使えるようになる(とは言っても未来の自分に借金をするだけだが)のでそれまで凌がなくてはならなかった。
 幸い体を鍛えている友人が捨てる予定だった鶏の皮をくれたから何とかなったが、かなりひもじい思いをした。(あばれる君の方はなんとも言えない。悪くはないが決して良くもない)


 そういうわけで3月はバイトを色々している。つい最近は結婚式場の皿洗いに行ってきた。このバイトは僕のような若者のやる仕事ではないようで、面接の時には大いに惨めな気持ちにされたが、実際に行ってみてもやはり惨めだった。僕くらいの歳の人は綺麗な服を着てサービスにまわっているのだから。しかし式が中締めとなって、少しの間休憩となった時に、一緒に皿を洗っていたおばさんが、余ったウエディングケーキを切り分けて持ってくれた。そうして僕に「サービスの人は食べられないんだよ」とこっそり言った。僕はこれはこれで何だか悪くないと思った。ケーキは矢鱈甘かった。
 一番ベテランのおじさんは、サービスの人がもうすぐ抜けて足りなくなるから、スカウトが来ると僕に言った。だからそのうち僕もサービスに回されるかもしれない。そういう仕儀に至ってみると、僕はさっぱり惨めな気持ちを払拭できるのであるが、あの特別甘いケーキが恋しくなるだろうと思った。


 また、先日からは集中力と運動の実験の被験者をやっている。
 いろんな装置を体につけてペダルを漕ぐ運動をして、息が上がったところで記憶力のテストだとかをやらされる予定だ。この前は予備段階で体力測定と記憶力のテストの練習などをやったが、その時にやった身体測定で、2月の不摂生で4kgも痩せたことがわかって大いに慄いた。担当の人も体重計の画面に数字が出てからなんだか長い間眺めていたからよっぽど驚いたに違いない。また、記憶力のテストの練習でも、自分の記憶力の低下具合に驚いた。無作為に20個くらい単語を言われて、それを覚えてすぐに復唱するのだが、1回目は5個くらいしか復唱できなかった。
 人間なかなか丈夫なものだと思っていたが、やはりそうでもなさそうだ。
 
 さて、こういう波乱の生活の中で先日実家に帰った。スマホを変えるのと、友人と飯に行くためだ。
 地元の友人とはたまに無性に会いたくなる。地元の友人は純粋で、正直で、僕のように暗くて僻んだ人がいない。K君やHなどは特にそうである。だから会いたくなる。彼らは神経の発達していない代わりに心が綺麗で美しい。
 まあ中には暗い人もいる。Yは暗い。そして頭を使う人のようだが、あまり要領を得ていない。僕なんかはとっくに一周も二周も過ぎ去ってしまったような精神の話をよくする。あまり感激するような話をしない。そういった意味で純粋である。だから会いたくなる。


 そういうわけでHらとYと飲みにいってきた。飯屋まで歩いて行く途中で、Yはガラケーで求人の写真を撮っていた。彼は前会った時は漫画を描くと意気込んでいたのだが、どうやらニートらしいので少しく幻滅してしまった。Yに連れて行かれた飯屋はすこぶる素敵な場所だった。そのあと公園で飲んでいたら3人くらい懐かしい友人が来た。嬉しくて飲み過ぎた。情けなく吐いた記憶がぼんやりある。他の記憶はない。酒で吐いた試しがないから思い違いかと思ったが、翌日ふと靴を見たら吐瀉物様の液体でひどく汚れていたから吐いたようだ。


 Yは紅茶やコーヒーをくれた。僕は手ぶらだったから帰りにあげると言われてから記憶がないが、翌朝リビングのテーブルの下に落ちていた。拾ってみると猫が齧った跡があった。


 少し時間が前後するが、実家に着いて第一に思ったことは、父の白髪が増えたことだ。(父の好かない点は多少あるが、最近父に似てきたと思うことが多くある。特に視線の動かし方や、立ち方、何気ない発話である。油断するとくしゃみもそっくりになってしまう。ぼくも歳を取ったら白髪が増えるのだろうか)
 それから第二に家が汚いと思った。なんだか退廃的な気分がした。両親は色々と妥協をする歳なのかもしれない。


 リビングでのんびりしていると母がナウシカの全巻をくれた。この間買って読み終わったからあげるという。折角だから読んだ。前々から読みたいと思っていた。母の趣味は良いと思う。良いものを知っていると思う。そう思っていたが、僕がナウシカの5巻を捲り始めたときにアニメを見始めた。恐らくドクターストーンと、スライムの何かと、美少女の何かである。これは少し意外であった。あまりに暇なのかもしれない。


 ナウシカの読後感は極めてAKIRAに近い感じだった。映画版を見ただけでは全く思わなかったが、荒廃した世界観がとても似ている。宗教や超能力の様相も似ている。どちらの作品も人間と技術の連関は大きな支柱の一つだが、ナウシカはこれをより中性的に、俯瞰的に眺める視角と、そこに西洋観、童話観、ナウシカという強い人間像が色濃く映し出されていたと思う。
 物語は非常に緻密で素晴らしかった。全7巻に高密度で展開されていて、無駄も矛盾も特にない。
 批判的な目でみると、やはり宮崎さんは漫画の人じゃないから、漫画としては出来の良いものとは思えなかった。非常に読みづらく、何が起こっているのか、誰がどう思っているのか、などなど、かなり漫画特有の技法については淡白未熟で貢を捲りながら惜しいと思う点が多くあった。名作ということに変わりはないが、内容の程度よりも知名度が高くないのはこういう点がネックなのかもしれない。しかしカラーで巻頭に載っていた水彩で描かれた一枚絵はやっぱりとても良かった。思わず嘆然とした。


 ちなみにぼくも似たようなお話を考えたことがある。千年前に人の兵器によって世界が滅んだあとで、先代の遺した遺産が云々のお話(正確には森の話と兵器の話とで二つに別れている)だ。ナウシカには所々ぼくと似た、もしくは同じイメージのものが出てきた。しかしながら、全体の物語の質で言ったら到底叶わないと思ってしまった。ナウシカは解像度や再現度が非常に高い。ぼくが考えたものを今の形のまま磨き上げて光らせたところで、ナウシカに酷似した劣化版になってしまうだろうと思って何となくひょろひょろとなった。


 物語に登場する強い女性が印象的だった。クシャナとナウシカである。二人は相反する人物として登場するが、どちらも徳義心があって、芯があって、鋭い美しさがある人間である。
 ナウシカの人間像は宮崎さんの理想観念がちらちらした。終盤ではナウシカはあまりに完璧すぎると思ってしまったぐらいだ。物語に登場する森の人のように超然としすぎていて、人間味が果てしなく遠く、童話上の人物であるという事実が僕の頭の中で強調されてしまった感は否めない。
 ぼくもこんな清くて、純真な強い人になりたい。到底もう遅いことはわかってしまったから、一つの理想像として、ナウシカという女性の姿はいつまでも胸の中に秘めておきたい。



 今月末に岐阜へ行く。漫画のための資料集めと観光である。東名高速のSAの写真も欲しいのだが、レンタカーは金が掛かるのと、運転できるのが半年運転していない私しかいないからやめにした。撮影のために実家で姉のカメラ(Nikon D5200)を借りてきた。桜が散っていないことを祈る。

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