Y君の話

 大晦日になって千葉の実家に帰った私は夕飯を済ませてから少し外へ出たのである。寒さはいよいよ肌を刺すようになり、いくら着込んでも意味のないようにさえ思えた夜は、あと三十分余で新年を迎えようとしていた。
 家の門を開けて一歩外へ出ると、そこには一人の男が立っていた。細い目を持った多少幼い顔に、長い髪を後ろで束ね、枯れ草のような色のコートを着てややもすると不審者ともつかない男が、私を待つような素振りもなく立っていた。Y君である。彼に神社へ参拝へ行こうとは言ったが、家の前で待ち合わせしようとは伝えていないので私は少々驚くとともに、彼がこういう妙なところを持った人だったということをすぐに思い出した。


 私がこうして彼と会ったのは今年の夏以来であった。友人とくだらない話をしていた時に呼び出して、江戸川の河川敷で花火や焚き火を一緒にやったのである。
 Y君は小学生の時分から仲のよかった男である。クラスこそ同じになった記憶がないが、当時家が近かったことが起因して、毎朝彼の家に寄ってから登校した時期もあった。私の家の前や神社、公園などでよく一緒に遊んだもので、進路を違えた高校からもその関係は継続されている。

 我々はお互いに少し挨拶をして、神社へ向かって並んで歩きだした。久しく話していなかったので少し会話の乱れる感はあったが、次第に彼は平生の通りに話を始めた。ぽつりぽつりと呟くように、人混みにかき消されるようなほどの小さな声で話すのが彼の癖で、私はいつも注意深くそれを聞く。 
 話振りから彼の近況を把握すると、彼はやはり彼のままで、今も職業につかず彷徨いているらしかった。私は安心と好奇と軽蔑とが混じった白い息を吐いた。
 神社へ着くと、まだ年明けまで時間があるから一人しか参拝の列に並んでいなかった。凝として待っているのも寒くて大変だから、コンビニで飲み物を買うついでに歩いて時間を潰した。大晦日ということもあり街は車通りがなく、代わりに外で過ごしている人が多く見えた。

 Y君を妙なところを持った人と名状したように、私は彼の生活の一部に黒いところを認めている。その妖しい光は、中学一年生の頃くらいから段々と彼の周りを蠢き出した。先に申し上げたように、当時のY君の住むアパートは、私の家から近い位置にあり、歩いて二、三分で済んだ。またY君と私は同じ部活で、朝の練習もあったから、自然我々は顔を合わせる機会が増え、次第に一緒に登校するようになった。そしてすぐに毎朝、私の家を出てすぐの小さな交差点で待ち合わせするようになったのである。私は当時から真面目な性質だったから、朝早くからY君を待って、五分や十分も遅れてやってくる彼を見るのが例であった。彼の奇怪な部分はここに見え隠れしており、私はそれを自らの足で見に行くことになる。
 朝を過ごすうちに、彼のやってくる時間は段々遅くなり、遂に彼を待ちくたびれるようになった私はY君の家に直接行くようになったのである。しかし、私が催促するように彼の家を訪ねても、彼の現れる時間は待ち合わせるよりも遅くなる一方で、私の待つ時間は延びるばかりなのである。毎朝おおよそ同じ時刻に、最上の四階にあった彼の部屋のインターホンを鳴らして、母親が挨拶に出た後、私は冷たい石の階段に座って待っていた。特にすることもないので、ただひたすらに十五分や二十分、三十分も彼を待っていた。時計を持っていなかったから、登校時間に間に合うかどうか心配することもあった。あまり来るのが遅い時に、悪いと思いながらも堪えきれずに再びインターホンを鳴らすこともあった。そして漸くやってきた彼は、澄ました顔で尋常に挨拶をするのである。そうして、いつもと同じ通りに登校するのである。
 こうした彼の遅刻はとどまることを知らず、いつの間にか私は、彼の母親に先に一人で登校するように勧められるようになった。そうしてついに私は彼の部屋を訪ねることもなくなり、待つこともなくなったのである。彼の不登校も同じ時期に始まった。

 コンビニへ向かう道中で、Y君は私に、キャンプはどうだったかと尋ねた。キャンプというのは、秋頃に中学時代の友人と神奈川へ行ってやったものであった。私は電話で彼をそれに誘ったが、彼はただやめておくといって来なかったのである。私は写真を見せながら、色々の笑い話を聞かせると、彼は満足したように微笑した。そして江戸川であれだけ遊べるんだからさぞ楽しかっただろうという批評を加えた。
 引っ張り出そうとすると益々殻に閉じこもってしまう彼の性質を、それでいて殻の外の世界に興味を捨てきれない彼の性質を、私は鏡を見る如くに痛切に、間近に感じて忌んだ。
 コンビニでウイスキーと水を買って、神社へ戻ってくると年明けまであと十分余りになっていた。
 Y君は近くのベンチに座り、ポケットからラム酒の小瓶と紙コップを取り出して、にやにやしながら飲みはじめた。酒もコップもわざわざ家から持ってきたのである。私もそれをにやにやみながら隣へ座った。
 このベンチは、確か小学生の時からここにある。よく自分たちの気にいった位置に動かしておいて、翌日になって定位置に戻されていることがあった。多くの場合子供だからわざわざベンチには座らないで、適当な石段の上に座っていたのだからそこまで愛着はないベンチであるが、Y君を含む私たちの視界にはよく馴染んだ青い色のベンチである。

 ベンチに座る我々の視界に映るあの石段は、よく駆け回ったり飛び降りたりした特別の遊び場であった。
 Y君もよく律儀な走り方で速く駆けたものだった。これはまた彼の異な部分を説明するものであるが、この神社で男女を交えて放課後に遊んだ際には、段々と彼の気性が昂奮して、鬼ごっこの途中で上に来ている服を脱いで、橙色のタンクトップ一枚になって駆け出したことがあった。夏の暑い時期ではあったが、大人じみた恥じらいも得つつある発達段階にある私たちにとって、彼の行動と笑顔が、可笑しさとともに何か恐ろしい部分を含んでいるように感じられた。そばにいた女どもはそれを真面目に揶揄って批判したから、Y君はすぐに落ち着いて服を着て、それからは何かあると笑いの種にされているのであった。
 もっと極端な話をすると、ある時に彼は、カッターナイフを態とらしく通学カバンの1番外側に忍ばせて登校してきて、下校の途中になって私にそれを見せつけたことがあった。それからなんの理由もなく、微笑しながらカッターナイフの刀身をかちかち音を立てて露にして、凝とその銀色の光を見つめていた。その時の彼には今にも震え出しそうな不安定さがあったことを記憶している。

 また同時に、今も参拝に並ぶ人をちらちら気にしているように、とにかく生真面目な男というのが今も昔も変わらない印象の一つである。私やその仲間がぶらぶら歩いているときに、手や足で蟻などの小さな虫を潰すと真面目に怒ることがあった。それくらい憐れみを持ち、規則や規律からはみ出すことをこの上ない苦に感じることができる、特別純な精神を持った男であった。


 だからこそ彼の心に萌す暗い部分が、彼を奮い立たせる精力を吸い取って干からびさせるのである。彼は彼を騙して明るい精神を装うことができない。
 私は彼に最も近しい人間として、彼の暗く濁っていく様を間近に見ていたのである。そして私は彼の苦しい時期に、彼にとって最も親しい人間として、無意識のうちに影響を与え、その黒い部分を彩るように際立たせたのである。辛くも私とY君の関係はY君の尊敬からなり、私の軽蔑から成立している。したがって私は現在の不甲斐ない彼を寛仮するほかないのである。
 そうして彼は今も日々をただ盆槍過ごしている

 酒を飲む気分にはならなかったが、私もこのベンチに腰掛けて、ウイスキーの小瓶を外套のポケットから取り出して一口だけ飲んだ。このベンチに座って懐かしい気もあるが、隣には全く見知らぬ人がいるような気もある。何となく妙な心持ちもある。Y君がラム酒を一杯くれた。飲んでみると、慣れてないこともあり口に合わなかったからすぐに水を沢山飲んだ。
 そうしているうちに年が明けた。

 参拝の人は七人くらい並んでいた。まだまだ人がやってくる気色があった。
 私はY君と横並びで列に並び、順番が来ると参拝をした。お賽銭をしてから二つお辞儀して、二つ手を叩いて、一つお辞儀をする。適当なものだが、隣のY君はもっと適当であった。適当であったというよりも、彼の注意は参拝にはなかった。寧ろ後ろに待たせている人間にあった。丁寧に正しい所作をこなして新年の多幸健康を祈るよりも、意識の平均は遥かに後ろに並んでいる人を待たせないことの方にあった。だから私よりも素早く立ち退いて、あとからゆっくりやってくる私をいまかと待ち侘びていた。彼は自分の矛盾に気づいていない。私と彼の違いはここに全て顕現している。

 それから私たちは神社を出て、近くの妙行寺に歩いて向かった。二人とも信仰に疎く、宗教のしの字も知らないのであるが、妙行寺の方が人がたくさん来て賑わうからなんとなく行くのである。着いてみると、コロナ禍も相まって例年よりは穏やかであったが、神社よりは矢張り人が見えた。門を潜ると、若い男女が境内の灯りを利用して写真を撮っていたのを見て思わず二人して笑い出した。我々は先刻と同じようにお参りを済ましたが、例年ある甘酒の配布が無いのが多少寂しくもあった。特に見知った人とも会わなかったので再び門へ向かうと、先程写真を撮っていた男女がまだ写真を撮りながら戯れあっていた。

 私が翌日に朝から予定を持っていたこともあり、その日はそれぎりにして帰路についた。彼のことについてはあまり仔細まで聞かなかったので知ることはできなかった。それでも帰路の途中で彼に今年の目標を聞くと、
「バイクの免許でも取ろうかな」
といって例年と同じようなことを言って洒然としていた。
 口から漏れた白い息が冷たい空気の中を割いていった。沢山着込んだ人々が年の終わりと新しい年の始まりの間を歩いていた。橙色の街灯が新しい年の街を照らしていた。いつも通りの空に星が疎らに輝いていた。
 隣から足音は少しもしなかった。彼とはよく出かける先で散歩をするが、彼はとても静かに歩く。まるで一人で歩いているように錯覚する。道の感覚を失う。彼とともに歩いていると、まるで八幡の藪知らずにでも迷い込んだような気分になる。

 ───彼に接近しようとすればするほど、彼はどんどん遠ざかってしまうのである。気付かれないように彼方此方へ逍遥つきながら彼に向かって、手の届くあたりまで近づいたときに、不図手を出して彼の腕を掴もうとすると、彼はするりと手を抜けて、いつの間にか以前よりも遥か遠くへ消えていってしまうのである。そうして私は隣で歩いていたはずの彼を悉く見失ってしまうのである。彼に萌した黒いところが一面に繚乱するのである。

 私は彼の暗いところがどこに起因するのかを知っている。一口に言えば、父母が不仲で、ことあるたびにしょっちゅう喧嘩をしていたそうなのである。そうして彼がいよいよ不登校になるときに、彼の父母は離婚という一途を辿ったのである。私はこれをどう知ったのかを記憶していないが、彼の口から父母に囚われる精神の苦痛の話を聞いたことを盆槍覚えている。彼の周囲の大多数の人間はこれを知らない。知る義務も必要もない。彼が朝待ち合わせに遅れるのも、これが理由の一つなのであると私は考えている。

 私が彼の放蕩について寛仮してやらずに、思い切り殴り飛ばすことができたら、また彼が固く握った拳で激しく殴り返してくれれば、どれほど私たちは幸福だろうと思った。そしてどれほど世のためになるだろうと思った。
 小さな交差点で別れたY君は新年の闇の中へ消えていった。今は引っ越して家は別の場所にあるから、幼いあの日々とは別の方角へ歩いていった。私はその背中を見ることなく家へ帰った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?