夢現

 社会に対する経験の不足から、以下に記そうとしている仕事の話についてどれくらいまで公にしていいのかわからない未熟な私であるから、これは良いがこれは不味いというようなことがあれば是非ご教授頂きたいのであるが、今から数ヶ月前のそういう出来事について書こうと思っている。単に備忘録ということの他に、最近何についてもやる気のない私を奮起する材料にするとともに、何か面白い話を提供できれば、以下に示す私の挫折も良い経験に昇華出来ると考えたのである。

 私は『聲の形』や『不滅のあなたへ』を代表作とする漫画家・大今良時を心より敬愛していて、漫画を描くならこの人の描くような漫画を描きたいと常より考えている。大今先生との出会いは、高校の時分に、友人から映画を観に行こうと誘われて観た映画版の『聲の形』である。実を言うとこの時、世間の流行に反発する私の若い精神もあってかアニメ映画というものを少し次元の低いものだとばかり考えていて、観覧はさはど乗り気でなかったのであるが、私はこの映画に大いに感服した。それから私はすぐに原作の漫画を買い揃えて、穴が開くほど読み込んだのであった。以降大今先生は私の作品観の主軸になるほど私にとって大きな存在になり、すっかり傾倒し切って今日に至る。
 週刊誌の企画で直筆サイン色紙が一名様に当たるというのを見たときは、葉書に成る丈の思いを込めて応募をして、驚くべきことに私の元に届いた名入りの色紙は私の部屋の一角に埃一つなく丁寧に飾られている。

 さて、そんな私の元に一通のダイレクトメッセージが届いたのが事の始まりである。
 私は大今先生に傾倒するあまり、pixivに投稿している習作のほとんどが大今先生のキャラクター関連のものなのであるが、それを見たとある会社の某さんがそんな私のpixivのアカウントに向けて以下のような話を持ち出した。
 京セラと大今先生が協同して京セラPRアニメの企画(だいぶ前に既に公開されている)をやるに至ったことに関連して、そのアニメのスピンオフの漫画を描く人、特に大今良時の画風に寄せられる人を探しているので、そのらコンペに参加しないか。
 というのである。私は寝ぼけ眼でたまたまこのメッセージを確認して、忽ち覚醒して青ざめた。添付されていた資料を見て、状況を整理すると、つまり大今先生が原案をしたキャラクターを、僕が描けというのである。
 しかもさらに私を慄かせたのが、参加の可否の返信の期限があと数時間に迫っていたのである!私はすぐにでも回答を用意しなければならないことになった上に、寝起きときている。私はこの時、驚愕と歓喜と恐怖の複雑な感に眠気をかき消されたことを記憶している。
 
 私が躊躇したのは、第一にこの仕事があまりに畏れ多いということであった。私が最も尊敬する大今先生の考えたキャラクターを、はたしてオフィシャルに私が描いていいのだろうか。私は単なる素人、それも絵の仕事で金銭のやりとりをした事すらない、毛すら生えていないズブの素人なのである。コンペの参加と、正式に仕事をやることになった場合の報酬の金額が、私の実力に全く釣り合っていないのである。そういう点で私はすぐにやる気にならなかった。
 第二に思い立ったことに、書かれた今後の予定を見てスケジュールの都合が私の頭によぎったが、どうせやるなら他の一切を後回しにしてやるしかあるまいと考えたので、その懸念はすぐに払拭された。
 しかしやはりすぐにコンペに参加するぞという気持ちにはどうしてもなれなかったので、とにかく一旦落ち着いて信頼のおけるIに電話を掛けた。情報を漏らさないように注意してから相談すると、Iの返事は存外簡素かつ冷静なもので、なぜやらないのかという事だった。

 確かに断る理由がないという着地点を得て、私は急いで返信を送るとともに、コンペ用のネームの提出が、確か二、三日後とかであり、とにかく数日の缶詰は必至であったのでカップ麺やパンを買い込んでから、十分に気合を入れて椅子に座った私は、とにかく添付された資料などをよく読み込むことにした。
 話題のスピンオフ漫画については既にプロットが決まっていて、コンペの時点ではある一部分のさわりの所のネームを切ってから指定されたコマを清書するというものだった。ネームに起こす部分のストーリーを見ると、まず一見してすぐに描くべき物量が多いことがわかった。1ページに三段じゃ間に合わないだろう。しかもそれでいて重要なシーンがあって大きなコマを確保したい。そしてその重要なシーンというものが、表情の難しい気付き、感激などの複雑な顔を写すべきなのである。これはどうしても技量が求められる作業だと思った。しかし私の頭の中では所々曖昧ながら文字を映像化したものが確かに出来上がりつつあった。
 こういう経験が初めてであった私は好奇心から提出先のリンクやらを見ていると、私は既にコンペに参加している人のためのフォルダを見つけた。その中で、もうネームをアップロードしている人がいた。私はそのファイルを何となく開いてしまった。
 私の失敗はまさにここにある。また同時に私の技量の不足はここに大きく現れた。
 その人のネームファイルを開いてみると、そこにはほとんど完璧なネームがあった。私はこの構成を見た瞬間に、私の中で出来つつあった構成の画面が一瞬にしてこの形に凍結した。これ以上のネームを作らなければならないのに、すでに私は私の生み出せるもの以上のネームを見てしまったのである。
 それから私は三日間ほど寝る間を惜しんで凍結された画面の融解を試みた。完璧に思えるネームの粗を探した。
 しかし私のネームはついに初めに見たものを超える確信を持つことができなかったのである。

 それでも何とか出来上がったネームを送ると、すぐに赤色がたくさん入った修正箇所付きのネームが返されてきた (こういうデザインや創作の仕事をする人間は偉いと思う。自分の作ったものに対して担当や上の人間に凡ゆるケチをつけられ、こちらの努力も知らずに、すぐにまた提出なり修正なりを非人道的な期限を設けられて急かされるのである。しかも最もタチが悪いのが、提出したものについて、最初の一度は大袈裟に褒めてくるという事である)
 私はまだ仕事の中途でなんだか自分というものの能力の低さに嫌気がさしてしまったが、それでもネームを直して送ると、清書すべき箇所を指定されて、また同様に完成したものを送ると、私の仕事はそこで終了となった。

 それから何週間か経って、別の作家にお願いすることになりましたという連絡が来た。私は特にこの案件について希望を抱いていなかったが、全く期待していないというわけではなかった (実際提出されたネームファイルの中には、私より不味いのもいた。また、現在公開されている漫画についても、私は完全な納得をしていない)。また同時に初めて私が行った仕事に対する結果の報知でもあった。私は少し悲しく空虚な感に襲われた。私はこの数日間、模糊としている私の夢というものに最も近づいた自覚があった。夢と呼ぶべき見た目でもないようなものに、何となく名前がついたような気がした。そうしてそれが立ち上がって、歩き始めたと思うとすぐに転んでしまったのである。棚に飾ってある色紙に書かれた私の名が、私がただのいち読者にしかなり得ないのだというように映った。
 そのまま眠ってしまいそうな頭のまま、形式ばったメールを読み進めると、最後に、コンペには大今先生も参加され、似せた絵を描けるかということが重視されたされたようですとあった。私は大今先生は原案だけであろうとばかり思っていたが、コンペの審査にも参加されていたのだ。あのときの葉書に描かれた読者としての私ではない、何者かであるいち人間としての私が大今先生に少なからず届いたのである。
 私の仕事は失敗に終わり、一つの挫折として記憶されることになったわけであるが、こうした変化は、その事実自体に意味はないが、私にとって大きな意味を持つことは確かである。 


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 機会についても少し補足することがある。私は大体のことに対して消極的で、以上のような仕事のことについても全く自分から動こうとした試しがないくらい、面倒臭がりで、挑戦を避け、待っているだけで自分から歩いていくことのできない人物なのであるが、こういう愚図にもチャンスというものが絶対にやってくる。その能力の程度に見あった大小はあれ、生きている限り機会というものがどんな人間にもやってくる。これは言い切って構わない。そして何かを成すべき人間は、その機会が自分に有用なのかを見定め、有用ならば是非ともそれに食らいつく能力を持っている。
 機会というものは単簡に出来上がったものでない。食らって毒に当たることもある。針がついていて、釣り上げられた挙句苦しい思いをすることもある。釣り上げられたからこそ良い思いをすることもある。
 実際に何かを成せる人間というのは、無闇矢鱈に動ける人間というより、機会を必死に探す人間というより、こういう見定めと食らいつく能力が高いのだと思う。そうして人はこの類稀なる押し引きの能力を運や勘とも呼ぶのだろう。 
 機会はどうしてもやってくるのだから、少なくともこの力は賽やスピリッツのようなものではないだろう。
 このときの私は上述した機会に食らいつくだけの力、すなわち技量が残念ながらなかったというだけのことである。

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