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「内省力」というスキルが、ベンチャー中途採用の人材要件にぶっ刺さっている件。

SAKIYOMIはカルチャーフィットを何よりも大切にしている。これはいずれのベンチャー企業においても共通して言えるだろうが、やはりSAKIYOMIもそれに類してめちゃくちゃ大切にしている。

が、やはりその言語化に難航している。端的で、綺麗で、シャープで、わかりやすい「それ」がずっと見つからずに、でも自分たちは感覚的にはその「それ」を掴んでるから、面接の中で見極め続けて、でもそれが候補者に事前に伝わることがなく、また候補者を紹介してくれるエージェントにも伝わり切ることがなく、困り果てていた。

が、2023年12月11日(月)。ある小さな転職エージェントと打ち合わせをしている中で綺麗なワードを届けてもらうことに成功した。僕が「こんな会社で、こんなことを大事にしていて、こんな人と働きたいんだ」ってことを40分近く熱弁した後に、「樋田さんが、SAKIYOMIさんが大事にしていらっしゃるそれって…」というまとめをしてもらえた。

『内省力』

自分の中でスッと腹落ちした感覚があった。おそらくこの文章は転職エージェントの皆さんにも、これからSAKIYOMIに応募していただきご一緒する可能性のある皆さんにも、そしてSAKIYOMIで働いているメンバーにも見てもらうことになるだろうから、以下説明していく。

①アンラーニングの重要性

大前提として、中途採用においては候補者の「アンラーニングスキル」がものすごく鍵になってくる。特にベンチャー企業においては絶対に外せないし、外してしまうと大事故を起こしかねない。

環境の変化が目まぐるしい現代において、常にアンラーニングができるのか否かはとても重要だ。理由はシンプルで「昨日の正解が今日の不正解になる時代だから」である。

樋田が敬愛する坂井風太さんも常々言っていることだが、組織崩壊の一要因として「生存者バイアス」という概念があげられている。

(超絶余談だが、坂井さんのTwitterは人事であればフォローmustレベルです。解像度が高すぎて恐怖すら感じます。)

「アンラーニングができない」というのは、すなわち生存者バイアスにかかりやすいということであり、組織が健全に発展していくにあたって大きな弊害になりうる。

特に環境的に整っていないことが当たり前のベンチャー企業において「前職はこうだったからね!」「私は前職でこんなことをやったから!」というバチバチの生存者バイアスにかかり、アンラーニングができず、「優秀な私を活かすことのできない整っていない会社が悪い」という陰湿な陰口でも叩かれようもんなら、その後に訪れるのは静かなる組織崩壊以外の何者でもない。

そう考えると、やはりアンラーニングができるか否かがとても重要な観点となるわけで、その起点になるのが「内省」をし、己の成長にとって最も大切なことを分類わけし、素直に間違えを認めたり、最適解を選び取れるようになったりすることが超絶大事。

逆に言えば、内省力の低さは、生存者バイアスからの逸脱機会を極端に減らしてしまうが故、入社後の活躍が見込めない人材となってしまう。だからこそ「内省力が重要である」という結論に至る。

②キャリアプラットフォームへの一歩

SAKIYOMIは雇用形態に依存せず、SAKIYOMIで働くことでキャリアが豊かになる状態を目指しています。そのためにも、多様な挑戦機会を用意し、それを全社的にバックアップする体制で日々仕事に臨んでいます。

これはあくまでも事業成長をし続け、会社として成し遂げたい「SNSを活かした多様な働き方で、ニューエコノミーを創出する」というビジョンに通ずる事業展開を行っているから実現しているという要因がありますが、一方でやはり個々人が自分のキャリア、そして自分以外の誰かのキャリアに対して真剣に向き合える素養が必要になってきます。

だからこそSAKIYOMIでは、3ヶ月に1回開催する全社総会でもキャリア形成に関するワークショップや座談会、対話機会を用意したり、日常的なコミュニケーションの中でも「キャリア」という単語が頻発したりと、常々自身のキャリアの解像度を上げ続けるための機会が用意されています。

しかし、このキャリアに対しての高い解像度を求めようとしても、世の中的にそれを実現している方はそれほど多くないという現実もこれまでに受け止めてきました(というか、これまでの採用活動の中で、大半の人たちを「キャリアへの解像度が低い」という理由で不合格にし続けてきた結果わかったことでもあります)。

おそらくSAKIYOMIの中で求められる「キャリアへの解像度」というものの基準は世の中的に高く、それは後天的に身につけられるものなんだろうと。だからこそ、自分たち自身がこれから一緒に働く人を探し出す中で注視せねばならないのは「過去」そして「現在」の物事に対して、どれだけ解像度高く捉えて日々を過ごしているのか。という観点であるという着地になったのです。

それはすなわち、日々の仕事の中で、会社組織の中での振る舞いの中で、どれだけ「内省」できているのかという部分にも通ずる。逆に、それをおざなりにしてきた人であれば、これからSAKIYOMIの中で「これからの自分のキャリア」「誰かのキャリア」と向き合うことを善とする環境に放り込まれたとしても、それをやり抜くことはできない。もしくは、そのおざなりにした結果が他の誰かに伝播してしまい、結果としてこれまでに作り上げてきた文化や風土が崩壊してしまう。

だからこそ、内省力の高さを選考過程の中で注視しなければならないんだという結論に着地しました。

「SAKIYOMIだから」という話でもない気がする

「内省力」の重要性に関しては、おそらくSAKIYOMIだけに通ずる話ではないと思う。数多のベンチャー企業において注視せねばならない観点だろうし、逆にこれをおざなりにしてしまうと、いずれのベンチャー企業であろうと危険因子を取り込むこととなり、組織崩壊への一途、衰退への一途をたどり始めてしまうことは違和感ない。

「内省力」自体の解像度を今後より高めていく必要があるんだろうが、ひとまず現時点において僕自身が採用において大切にしたいカルチャーフィット要素を綺麗なワードに落とすことができたため、走り書きになったがここに落としておくこととする。


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