【気まぐれエッセイ】「かまとと」も「知ったかぶり」もなしで

私は昔からわりと最近までずっと「汚いことを知らない子」だと思われることを、恥ずかしいと思ってきた。

おばあちゃんっこで、周りの大人みんなに可愛がってもらい、箱入り娘は言い過ぎかもしれないけれど、まあどちらかと言えばそんな感じで、守られて大きくなったから。だから「純粋」という言葉が悪口に聞こえてしまうくらい、世間知らずな自分にコンプレックスを抱えてきた。


小学校1,2年生の頃、祖母の家の近所の子どもたちと遊んでいたとき、その中の一人に言われた一言が、なぜだかとてもショックで、私はそのときのことを今もときどき思い出す。

「歩志華ちゃんっていじめられたことないでしょ」

言われたのは、そんな何気ない一言だった。今ならむしろ褒め言葉と捉えるかもしれない。「昔いじめられていたでしょ」なんて言われるほうがよっぽど嫌だ。でも当時の私は、羞恥心と罪悪感が入り混じったような、複雑な気持ちになった。どういう経緯で言われたのかは全く覚えていないけど、「人の気持ちが分からない」と言われたような気がしたのかもしれない。「何も知らないから能天気にしていられるんだよ」と子ども扱いされた気がしたのかもしれない。とにかくすごく、傷付いたのだ。


知らないのに知ったかぶりをするのは恥ずかしいから、なるべくいろんなものを見よう。そんな想いは、成長するごとに膨らみ、中学生くらいからは強烈にそう思っていた。全部を見て知った上で、あたたかい場所に帰ってこようって。


知ってるふりは出来ないけれど、知らないふりはいくらでも出来る。つい最近まで私は、本気でそう、思っていたのだ。でも、生き様って顔にも雰囲気にも振る舞いにも、すべてに出るものなんだね。「知らないふり」は、10代の私が考えていたよりずっと難しいのだと最近知った。

それでも私はやっぱり色んな世界を見てみたかったし、傷ついたこともたくさんあったけど、後悔なんてちっともしていない。ただ「知らない」が故の魅力もあるということに、30代になってようやく気付いただけのこと。好きな男の人の前では特にね(笑)♡

それに自分が傷付く度に、そういう想いをしたことがないことのステイタスにも気付いたし。ホステス時代、完全に生まれ持った見た目で得をしている美女たちに対して私は、幼い日に自分が言われてショックだった言葉を、頭の中で幾度も投げかけた。「男の人から傷付くようなことを言われたことないでしょ。だからそんなに明るく天真爛漫な接客が出来るんでしょ」ってね。逆の立場に立ったとき初めて、幼い頃の自分をちょっと誇らしく思ったんだ。人って不思議。結局どの立場に立っても、捉え方一つでコンプレックスを感じるんだよね。傷付いた経験が人を強く優しくするのも本当だけど、その痛みを知らないことは、別に恥ずべきことじゃない。


今だって本当は知らないことだらけなのに、ある程度大人になると、うっかりそれを忘れそうになる。もう、恥ずかしいだなんて思わずに、知らないことも、これから知っていくことも、知らないままでいることすらも、楽しめたらいいなと思う。心底そう思えてから、うんと心が軽くなって、生きやすくなった。


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