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Stereotype
ステレオタイプ 【stereotype】
①原版からとった紙型に,溶融した鉛などを流し込んでつくった複製版。
② ものの見方・態度や文章などが型にはまって固定的であること。
(Wedbio辞書より)
ステレオタイプ、聞きなれない言葉です。
今日は②の意味について、感じたことを書き綴っていきます。
今日はTwitterで、「いいね」が30万件ほどついた
俺物語のスタートライン。
最近よく自分が課題として感じたこと。その課題をどう乗り越えたか。などと聞かれる…
毎回思い出してみるがそれっぽいものを想起してもやっぱり課題っていうほどのものでもないかなーの繰り返し。
でも聞くところによると、課題を乗り越えることで成長というものは迎えられるらしい。
うーん。。。(思考停止w)
なぜこのような事態に陥っているか。
先ほどようやくその一つの答えが出た
結論から言う
いつも言われてたこと
ある日、その一瞬において、何かを思い出したりすることはありますか。
一年前までは毎週のように顔を合わせ笑い合っていた友と、端末を通して会話するようになる。
まるで昨日まで一緒にいたかのように会話して、終わった後には遠い昔のように感じる。
人付き合いのみならず、日常においても
「社会というものに慣れていくには、
もう少し時間がかかる」
最近はそう思うことが多いです。
さて、今
自己責任で決めていく。
私たちの人生には多くの選択肢が存在すると考えています。
例えば、「明日何時に起きるのか」「どの服を着ていく」「夜ご飯は何を作るのか」など毎日数えきれないほどの選択肢に溢れています。
その中で大切にしたいこと、
それは、
「全て自己責任で決める」ということです。
なぜ全てを自己責任なのか。
それは、自分のやることなすこと全て、他人が背負ってくれることがあるはずがないからです。人間、誰しもが責任逃
成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことだ
私は失敗して怒られることが嫌いだ
失敗して怒られないようにいつも安全牌な仕事しかやってこなかったし、先が見えない新しいことには挑戦しようとも思わなかった
そうやって過ごして相手の信頼を得てきたし、今いる場所に充分満足していた
でも、自分にとって得られる喜びはとても小さくて新たな発見はなかった
だから新たなことに挑戦する友達はカッコいいなと思ったりした
最近将来について考えるようになって、今まで
思い通りにならない今
社会では多くのことが矛盾に満ちていると思う。さらに言うと矛盾しか生まれてこない。
どんなことにしてもそう言える、何かが起こった時、1番にすることは、「どう対処するか」ではなく、責任の所在を明らかにし、それを吊るし上げる。そんな人がどんなに多いことか。
そのような場面に遭遇した時点で、「自分自身がしたのだ」「自分自身の責任だ」と気づく必要がある。そんな気がしている。
大切なことは、悲し
意思あるところに道は開ける
Where there's a will,there's a way
私はこの言葉が好きだ。
みんなも知っている有名な言葉だ。
この言葉を知ったきっかけは高校1年生のときに友達と映画館で観た『ビリギャル』だ。
偏差値30のギャルが1年で偏差値70まで上げて慶應大学に合格する話。この話の中で塾長が試験前の主人公に送った言葉だった。
私はこの言葉、この映画に、見事に影響を受けて、いや受けすぎ
変わるきっかけとして
新しい環境に飛び込むことは誰しも怖いことだと考えている。
新しい土地へといくよりも、その地で一生安住したいとも考える人もいる。
なぜか、その方が楽だからである。
新しい環境へと足を踏み入れたとしても人間にはそれに適応しようとする能力が備わっていると感じている。
子供の頃よく見ていた好きな戦隊アニメが終わる際、新しい戦隊シリーズには抵抗を感じる。だがこれらを抵抗を感じつつ、強制的に受け入