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戦争まで引き起こした「イエロー・ジャーナリズム」④~ピュリッツァーの新聞革命

前回はこちら。

 ここで、ピュリッツァーが《セントルイス・ポスト・ディスパッチ》や《ニューヨーク・ワールド》の経営の過程で生み出した画期的な紙面づくりの手法を紹介しよう。

新しい読者層

 当時、新聞の読者は上流階級・知識階級が中心だった。しかし、移民から一代でのし上がったピュリッツァーは、労働者や移民など下層階級にも活字の需要があることに勘付いていた。この頃にはアメリカへの移民が急増し、1880年にはニューヨークの総人口の約40%が外国生まれであったという。


 ピュリッツァーは《ワールド》紙を安い価格で提供し、かつ紙面の見栄えをよくした。そして、すべての社会階級にも読んでもらえるよう、暴力やセックスといった幅広い内容の記事を扱い、目立つ大見出しをつけて人目を引いた。イラストやカートゥーン(漫画)が多用され、単語や文章構成も比較的わかりやすかった。これらは英語が不得手な移民にもアピールしたことだろう。さらに、金持ちや権力者の不正を暴くキャンペーンによって大衆の心をつかみ、大成功を収めたのである。

辣腕編集者のアイデアとは

 ピュリッツァーを支えたのは、有能な編集者モリル・ゴダードである。彼の功績の一つに、日曜版に別冊の付録をつけるという手法を考案したことが挙げられる。日曜版は広告も多く出稿されるため、とりわけ読者獲得競争が激しかった。日曜版付録には色刷りのコミックや、「電気針と猿の脳の実験」「科学で心臓を洗う」などの胡散臭い似非科学記事、風変わりな殺人事件のような下世話な記事が掲載された。

 1895年ごろには、《ワールド》紙の発行部数は25万部を誇るニューヨーク最大の新聞に成長していた(ライバルの《ヘラルド》紙は20万部弱)。

ピュリッツァーを支えた信条

「ニュー・ジャーナリズム」を確立したピュリッツァーは、次のような言葉を残している。

「民衆以外のいかなる者にも奉仕しない」
「これまでのどんな法律、教訓、規則よりも、新聞で暴露されるかもしれないという恐怖の方が、犯罪、不道徳、悪事を防ぐのに役立っている」


 ピュリッツァーには、自分の新聞が社会を良い方向に導いていくという確信があったのである。前述の「ペニー・プレス」の記者と同様の考えなのが興味深い。

(続く)

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