受難に見舞われた名画たち②
前回はこちら。
「夜警」を襲った3回の襲撃
「モナ・リザ」以外では、レンブラントの傑作「夜警」もたびたび襲撃を受けています。本来は早朝の場面を描いた絵画ですが、表面のニスが黒くなって夜の風景のようになったため、「夜警」と広く呼ばれています。
1回目は、奇しくも「モナ・リザ」盗難事件と同じ1911年に起きました。一人の男がナイフで切りつけましたが、その時は軽微な損傷で済みました。
2回目は、1975年9月14日、精神疾患のある男がナイフで絵を襲い、ジグザグの切り傷をつくりました。この時の修復作業には8か月もかかりました。
3回目は1990年のことで、酸の入ったスプレーをかけられましたが、大きなダメージはありませんでした。
何度も盗まれるフェルメール
フェルメールの絵画は現存点数が少ないわりに、盗難にあった回数が異常に多いです。
これまで、「恋文」が1971年、「ギターを弾く女」と「手紙を書く婦人と召使」が1974年に盗まれました。
「手紙を書く婦人と召使」は1986年にも盗難にあっています。
名画を盗む動機としては金銭面だけではなく、政治的要求を通すためのテロもあります(そもそも、絵画を換金するのは難しい)。
1974年に起きた2件の盗難は、アイルランド独立運動の武装組織、IRA(アイルランド共和軍)のメンバーの犯行でした。
上記の3つの絵は辛うじて取り戻すことに成功しています。
1990年3月18日には、ボストンのイザベラ・ガードナー美術館でフェルメールの「合奏」など13点の美術品が盗まれました。
この時盗難にあった13点の美術品は現在も行方不明となっています。
その他の「受難」
戦火によって焼失するケースもあります。
グスタフ・クリムトはウィーン大学の依頼により、大学講堂の天井画を制作しました。クリムトが描いたのは「法学」「医学」「哲学」のそれぞれの学部を表す絵画でした。
この作品は退廃的なものだったためスキャンダルを引き起こし、大学に飾られることはありませんでした。
これらの絵は個人や美術館の所蔵となりましたが、第二次世界大戦期にナチスに没収され、その後戦火に見舞われて焼失しました。
スペインの巨匠ベラスケスの作品「鏡のヴィーナス」は、1914年3月10日に襲撃を受けました。
犯人は、サフラジェット(過激なフェミニズム活動家)の一人メアリー・リチャードソンという女性でした。ナイフで切り付けられた「鏡のヴィーナス」には痛々しい傷跡が残りましたが、修復されています。
芸術作品は脆弱で、物理的な力が加わると簡単に壊れてしまいます。私たちが多くの美術品を観賞できるのは、非常に幸運なことと言わなければならないでしょう。
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