歴史家トゥキュディデスの見た疫病
ギリシャの歴史家トゥキュディデスは、アテネとスパルタの間の戦争であるペロポネソス戦争を叙述した『歴史(戦史)』を著しました。
彼の文体は時に難解ですが、非常に理知的であることで知られています。トゥキュディデスには「人間心理には普遍性があり、どの時代も似たようなことが繰り返される」という信念があったようです。
政治的対立から悲惨な戦争に至ったアテナイやスパルタ、その他ギリシャ諸都市の動向が、後世への教訓のようにつづられています。
アテナイを襲った疫病
トゥキュディデスの冷徹な筆致がよく表れている箇所は、『歴史』第2巻に見えるアテナイの疫病の記述です。以下は、小西晴雄訳『歴史』(ちくま文庫)によります。
疫病は、ペロポネソス戦争前期の紀元前429年ごろに発生しました。
疫病の正体は?
トゥキュディデス自身もこの疫病に罹患し、さらに多くの患者を目撃しました。以下のような詳細な病状が記されています。
・突如として高熱を発し、目に炎症を起こす。
・舌や喉が出血を呈する。
・強い咳、くしゃみ、嘔吐。
・胃のけいれん。
・肌に小さいただれや腫瘍が発生する。
・体が異常に暑く感じ、激しい喉の渇きを覚える。
・大多数は7~9日目に死ぬ。
・7~9日目を持ちこたえても、激しい下痢で衰弱して死ぬ者が多かった。
・回復しても四肢や視力に後遺症が残った。
これらの記録にも関わらず、その病名は分かっていません。混乱した市内の惨状を、トゥキュディデスはこう描写します。
アテナイ人の心に残した傷
疫病の惨禍は、アテナイ人の精神にも影響を及ぼしました。
私たちは数年前からコロナ禍を経験し、社会の混乱を目の当たりにしました。現代人から見ても、トゥキュディデスの記述にはハッとさせられるものがあります。
冷静な目で民衆の恐慌と諦念の模様を書き留めたトゥキュディデスの知性に、驚嘆を覚えずにはいられません。
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