勝竜寺城~細川ガラシャゆかりの城
勝竜寺城は、京都府長岡京市にある城跡です。江戸時代初期に廃城となったため遺構は少ないですが、近世城郭の原型になった城として重要です。
足利義昭を奉じて入京した織田信長は、三好三人衆の石成友通が籠る勝竜寺城を攻略。同城を細川藤孝(幽斎)に与えました。
藤孝は、小規模な砦であった勝竜寺城を大規模な城郭に改修。勝竜寺城は天守や石垣を伴う近世城郭の先駆けとなりました。一般に近世城郭の祖とされる安土城よりも5年も先行しています。
現在、勝竜寺城跡は公園として整備されていますが、建造物は残っておらず、模擬櫓や天守風資料館が建っています。
発掘調査の結果、石垣に転用された石仏などが見つかり、一か所に集められています。
現在見学できる石垣。下半分くらいが当時の石垣で、上部は積みなおしています。
また、曲輪全体を囲む土塁も見られます。北東隅には、石垣で補強された高さ4mの土塁が見つかっています。
西辺の土塁は、天守があった主郭よりも高くなっています。主郭に攻めかかる敵兵を、横から攻撃するための「横矢掛かり」という仕組みです。
勝竜寺城は、明智光秀の娘・細川ガラシャが細川藤孝の嫡男・忠興に輿入れした城です。また、山崎の戦いに敗れた光秀が逃れ、最期の夜を過ごした城でもあります。
勝竜寺城を逃れた光秀は、敗走の途上で落ち武者狩りに遭い、殺されました。
現在城址公園があるのは、勝竜寺城主郭周辺のみ。かつての城の遺構の大半は破壊されています。
しかし、現在の神足神社の近くには、勝竜寺城の空堀と土塁の一部が残っています。
かつては、この規模の堀と土塁が城の周囲をめぐっていたのです。
最寄りのJR長岡京駅は、京都駅から10分程度であり、訪れやすい城です。光秀やガラシャ、細川父子を偲べる良スポットです。
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