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【書評】木村裕主『ムッソリーニ ファシズム序説』(清水書院)

 第一次世界大戦後にドイツ・イタリアや日本などでおこったファシズム(全体主義)は、第二次世界大戦の惨禍を引き起こしました。その歴史から現代人が学ぶことは多いはずです。

 しかし、ヒトラーの関連書が無数に手に入るのに比べ、彼と双璧をなすイタリアのムッソリーニの評伝は、日本語では意外と多くありません。

 学校の歴史の授業だと、ムッソリーニはヒトラーの添え物のように扱われている感じは否めません。しかし、彼は1920年代にイタリアで独裁体制を確立し、ヒトラーの模範にもなった傑出した政治家でした。

 本書は1996年刊行の古い本ですが、この興味深い人物の入門書としては手ごろに求められます。

 ムッソリーニが青春時代を過ごした20世紀初頭のイタリアは、構造的な問題を抱えていました。

 なぜ、イタリアでは独裁者ムッソリーニを生んだのか。ざっくりまとめると、
①大衆の不満と変革の要求
②愛国主義の高揚
③暴力の蔓延
④既存の権力者との関係
 が焦点となるでしょう。

変革を求める大衆の要求

 統一国家イタリアが誕生したのは19世紀後半。建国以後、急速な工業化が進む一方、農村では小作人や日雇い農民が多数を占めていました。都市部と農村、あるいは豪農と貧農の経済格差は拡大を続け、農民の権利を拡大するための闘争は過激化していました。

 ムッソリーニは、実は社会主義の闘士として政治家としてのキャリアをスタートしました。しかし、第一次世界大戦中に参戦を支持したことで社会党を除名され、ファシストへの道を歩み始めます。

愛国主義の高揚

 イタリアはオーストリアとの間に領土問題(未回収のイタリア)を抱えていました。これはイタリアが第一次世界大戦に参戦する要因の一つとなります。
 
 また、後発資本主義国として植民地の獲得を望む風潮も強まりました。

 ムッソリーニは、こうした自国中心主義や愛国主義を巧みにアピールすることで支持を集めていきました。

低くなった暴力へのハードル

 農村での労働運動にせよ、愛国主義者の左翼弾圧にせよ、20世紀前半のイタリア社会には暴力が蔓延していました。

 ムッソリーニ自身も反対派を容赦なく弾圧していますが、「ムッソリーニ(ファシスト)が暴力支配を導入した」というよりは、「暴力を容認するイタリア社会の風潮に、ムッソリーニが適応していった」と表現した方がしっくりきます。

権力保持者の不見識

 ムッソリーニ率いるファシスト党は大衆の支持を得ましたが、それだけで政権を握れたわけではありません。

 イタリア政界で力を持っていた保守的な政治家たちは、社会主義への警戒からムッソリーニを利用しようと考え、かえって彼の出世を助けることになりました。これはドイツにおけるナチスの台頭の過程に似ています。

 国王大権を持っていたヴィットーリオ=エマヌエーレ3世にも、ムッソリーニを首相に任命した責任があります。君主とファシズムの関係については、日本のケースとも比較検討できるでしょう。

 ムッソリーニが権力を掌握し、破滅していく過程は極めて興味深く、現代日本に生きる私たちにも多くの教訓を残しています。

 

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