【書評】網野善彦「『日本』とは何か」(講談社学術文庫)
網野善彦氏の語る「網野史学」は、広範な学識と柔軟な発想力に支えられています。
私たちが普通に使っている「日本」「日本人」という言葉は、実はあいまいさに満ちています。北海道や沖縄が近代以前は日本の国制のもとになかったことは常識です。しかし、本州・四国・九州が同質な文化を持っていたことを意味するものではありません。
日本は閉鎖的な島国か
日本は四方を海に囲まれているため、大陸から独立して文化を育んできたようなイメージがあります。しかし、過去の人間は現代人が想像するより高度な航海術を持ち、さかんに海を越えて行き来していたことが例証されます。
戦前のことですが、伊予の漁民が太平洋を北上してカナダまで行ったり、紀伊の漁民がオーストラリア沿岸まで行ったりしていたという、驚くべき事例も挙げられています。
東と西の違い
網野氏はまた、西日本と東日本が異なる文化をつくっていたことを論じます。例えば、学校教育で「年貢=米」という知識が定着していますが、実際には鉄、絹、綿など広範な製品が荘園の年貢として納められていました。
そして、西日本の荘園は米が比較的多く、東日本には絹・綿、糸・布など繊維製品が多いという傾向が見いだせるといいます。
「百姓=農民」ではない
近代以前の日本は農耕社会で、人口の大半が農民だったというイメージは根強いものです。網野氏はこれを真っ向から否定します。
「百姓」とは「様々な仕事」を指し、農民だけでなく漁民や商業民なども含まれます。石高の少ない土地は貧しいという偏見を持たれがちですが、他の産業で栄えていることもあり得ます。
日本史の教科書には、土地を持つ百姓を「本百姓」、土地を持たない百姓を「水吞」と呼んでいます。「水吞=土地を借りている貧しい小作人」のイメージがついて回ります。
ところが、能登半島の旧家・時国家に伝わる文書の読解を通じて、「水吞」は「土地を持たなくても生活できるくらい豊かな商人や職能民」を指していることが判明しました。
海に面した村で「水吞」の割合が多いのであれば、それは小作人の多い貧しい村ではなく、交易従事者の多い豊かな小都市と解釈すべきなのです。
2000年に刊行されており、さまざまな批判もあると思いますが、まだ意義の失われていない書物だと感じました。
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