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じぶんのクセをすきになる【2-5】無気力なじぶん、こんにちは



 じぶんのクセって、どうやったら好きになれるんでしょう?僕は嫌いなクセだらけです。朝起きられない自分、仕事で毎回失敗をしてしまう自分、大切な人の期待に応えられない自分…。「こんな自分になりたい」なんて思うんだけど、いつもそれを邪魔してくるようなクセばっかり。嫌になっちゃいます。

 でも、実はそのあなたのクセ、唯一無二の才能に紐付いています。あなたの身体の声を、心の声を、きいてみませんか。そこにきっと、答えはあります。この本を読み終えたらきっと、読む前よりも自分のことがもっと好きになっているはずです。

ーー内容は、クセを受け入れて生きること、じぶんの才能の知り方、個性の感じ方、自然体な生き方、深層心理学、そんな感じ。

 何とか書籍にできるまで、無料で公開し続けます。いや、本当は無料じゃありません。お金を払う前に内容を読めるようにしておきます。

 この原稿を読んで下さった方は、書籍代がわりに下記の僕がやってる個人会社の銀行口座へ1,650円(1,500円+税)を振込、またはこの記事下部のnoteのサポートから払っていってください。でも、読んでも払わなくてもいいです。そうしたら、後から気が向いたときに払ってください。1ヶ月後でも、1年後でも、10年後でもいいです。料理をぱくっと食べてもらえただけで作った側は嬉しかったりします。その代わり、後から払うかもしれません的な暗号として、そっとスキを付けていってやってください。

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 お金をもらえると僕のやる気が出ます。誰かが読んで、何かを感じてくれたことが伝わります。返ってきて、循環します。お金を支払った人と、それを受け取った人の二人の環に、新しい流れが巡ります。そして僕がまた書きます。いや、本当は払ってくれなくてもたぶん僕は書き続けます。でも、やる気が出るのは嬉しいです。


じぶんのクセをすきになる

▽ 目次(原稿が進むほど詳細になっていきます)
第一章 クセと才能って、何のために生まれたんだ?
 ・みんな違ってみんないい。の裏返し
 ・クセの正体は『自然体の偏り』
 ・お金を受け取るクセ、受け取らないクセ
 ・クセとダーウィン
 ・クセの東洋医学。あとちょっと体癖について
 ・一人で生きていけると勘違いしていく僕たち
 ・偏りながら生活するために
 ・「憧れる」あの人にはなれない
第二章 クセを通して才能を聴きとるー実践編
 ・怒れなくなっていく
 ・「分ける」ことが「分かる」こと
 ・あなたの命を守ってきてくれた怒りと不安のクセ
 ・トラウマとコンプレックスの飴を舐める
 ・無気力なじぶん、こんにちは
 ・処世術の発動に気付いてあげる
 ・反射神経で行動するのを辞めてみる
 ・無償で与え続けるることで流れが生まれる
第三章 偏り切りながら、全体性の輪を拡げていく
 ・クセに偏りながら、全体性の輪を拡げ続けること
 ・お金が生み出す不安のクセ
 ・偏見は、偏見でしか壊せない
 ・ユング心理学
 ・メンタルモデル
 ・MBTI
 ・体癖


無気力なじぶん、こんにちは


 こんにちは、とつゆうです。今日もクセすきワークを一緒にやっていきましょう。五日目ですね。

 四日目は、僕の「イライラした出来事」の追体験を通して、あなたの感覚を味わってもらいました。どうでしたでしょうか?何かを感じてもらえましたか?あなたの心の中にあるクセのうずきを感じてもらえましたか?
 僕のことはどうでもいいんですよ。あなたの中にある動きを感じることに集中してくださいね。それだけでいいんです。いつも、それだけが大切です。

 それを大切にしていれば、相手の感覚をしっかりと受け取ることもできるようになります。相手を通して、自分を見るんです。
 だからいつも相手に、興味津々になれるんです。じぶんのクセをすきになると、本当に心の底から、誰にだって興味を持つことができるようになっちゃいます。「相手に興味を持つ」ことができる人は、「じぶんに興味を持つ」ことの達人なんです。

 僕たちは、いや僕は「相手の立場になる」ことが大切だとこれまで散々と教えられてきました。それが人への優しさなんだよ、って何度も言われて育ってきたような気がしているんです。でも、優しさって本当にそうでしょうか?愛って本当にそうだったんでしょうか?

 言葉を使うということは、相対化する、ということです。相対的な何かを必ず表現しているんです。例えば「相手の立場になりなさい」と言われたときには、「自分の立場」というものが相対化されてますよね。「自分の立場になるのをやめなさい」ということと、ほとんど同じ意味ですよね。

 言葉は必ず相対的なんです。相対する何かを言いたがっているんです。それを捕まえてあげることです。その人の言いたいことを、言葉そのままに受け取るのではなくて、心で受け取ろうとするんです。

 だから「相手の立場になる」ことが大切なわけじゃないんです。びっくりですよね。そして「自分の立場になるのをやめる」ことが大切というわけでもないんです。相手のそこにある心のメッセージを感じ取るんです。それを受け取ろうとするんです。

 そしてそれを受け取るためには、本当の意味で相手に興味を持っていなければできません。というより、心のメッセージに耳を澄ませていられたら、いつだって他者に興味を持てます。

 それは同時に、じぶんに興味を持っているということだからです。その二つが同時に成り立つということです。相手の立場になるわけでも、自分の立場になるわけでもない。そういうことについて感じてみるんです。それが本当の優しさや愛ということなんじゃないかなって思います。

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 ということで、五日目のワークを出題します。

 【クセすきワーク五日目】連想した五つの出来事のメモを見てください。そのうち三日目で取り上げた出来事から、直感的に一番遠そうな出来事を選んで下さい。

 そしてその出来事に関して、三日目と同じように追体験をしてみてください。ただし、今回はセリフを括弧でくくって、紙に書くようにしてみて下さい。それが前回との違いです。

 ワーク:丁寧に出来事のシーンを頭の中で再現して追体験しながら、以下の問いに回答する。

 問い:「そのシーンに出くわしたあなたは、その時にとった行動をとれません。何もできません。そのまま、その状況を放っておくことしかできません。

 その状況が一向に解決しない場合、あなたの存在はどうなっていってしまう感じがしますか?その時に言いたくなっているセリフを、括弧でくくって紙に書き出して下さい。

 また、そのとき怒っている相手がいる場合は、相手とのつながりはどうなっていってしまう感覚がしますか?その時に言いたくなっているセリフを、括弧でくくって紙に書き出して下さい。」

 ということで、五日目のワークは、三日目のワークでやったことを別の出来事でもやってみる、ということです。

 ちょっとしつこいような感じがしちゃうかもしれませんが、やってみてください。というか、ここがほぼ全てなんです。一番大事なところです。ここを超えたら、もう殆ど終盤です。なので大切なことだと思って、意味は考えずにやってみてください。

 それでも、「またかー」って言って、これになんの意味があるのかなぁなんて不安になる人もいるかもしれません。そういう人こそやってみてください。このワークに抵抗感があったり、やる意味がないんじゃないか、っていう気怠い感覚が強いほど、必ずそこに何かの意味があります。

 命の防衛本能と一緒ですね。抵抗感があることほど、強く自分を守ろうとしている、ということです。「億劫さ」や「面倒さ」も一緒です。
 億劫になること、面倒になることで、より意味のあることをやりたいと思考しているということです。面倒さは、「体力を余計なこと(意味のなさそうなこと)に使わないようにしよう」という防衛本能なんですね。

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 それでも意味があると没入しやすいという人もいるかもしれないので、ちょっとこのワークの構造を説明しながら、僕も考えてることを整理してみますね。

 三日目に、このワークは「感覚の震源地を探る」ことがテーマですという話をしました。その震源地がどこにあるかが、人のクセであるということです。それによって、どんなことに怒ったり、不安になったりするかが全く異なっているということです。

 そしてその震源地を直接覗き見ることはできない、ということも話しました。なぜならそれは意識と無意識のちょうど間くらいのところに踏み込んでいくことだからです。無意識はいつも意識から巧妙に隠されています。直接観察することはできません。

 でも、その輪郭を捉えていくことができる方法があるんですね。それが「共通点を探る」ということです。意識のところまで浮かぶ上がっている出来事の、共通点を探るんです。そうしたら、根本にある原理が少しずつ分かってきます。

 だから、五つの出来事を挙げてもらいました。でもリストアップするだけでは少し足りていなくて、そこから根本に降りていってあげる作業が必要になります。感じきってあげるということです。

 なので今日のワークでは、それを別の出来事でやっていこう、感じていこう、ってことなんですね。

 慣れてきたら、もう自分でできるようになっちゃうと思います。でもこの本を読んでくれている大体の人がクセすきビギナーであることを想定してこの原稿を書いてますので、そこに合わせてワークを設計させてもらっています。

***

 では、僕もサンプルとして今日もやっていきますね。自分のクセとの違いを感じ取ってみてください。

 僕は昨日は、母親との性体験のことについてワークをやってみました。その体験と最も遠い気がする出来事は、あれですかね。「自分が置いた物の位置が変わってる」ってやつですね。一番最初にイライラした出来事で思いついたやつでした。

 全然幼少期の記憶じゃないですし、何ならすごく最近のことです。
 そして僕としては、母親との記憶に比べてすっごくなんてことのないような出来事な気がしてます。だって別に、本当はそんなにイラっとしたとも思ってないくらいですもん。全く忘れちゃってたくらいです。それくらい大したことじゃないと思ってることです。この出来事が、自分の内面にとって重要なことに結び付いているなんて、到底思えません。些細なことです。

 ということで、思い出してみます。
 
 僕は縁側の椅子に腰掛けて、いつものようにコーヒーを飲みながら朝の文章を書いています。縁側に置いている移動できる自作の棚に、本と古道具を並べています。その配置が、今朝は微妙に違っているぞ。

 この本は、お客さんが来たときにこんなふうに見えると一番カッコいいし楽しんでもらえそうだと考えながら、手前に置いていたはずだった。
 そしてオブジェは、お客さん側に車の形をした木のおもちゃを、そして僕の側にはあの展覧会で買った作品をこの向きで置いていた。それが今の僕の一番のお気に入りで、ルンルンとしていた。

 その配置が、変わっている。猫かな。または同居人のパートナーだろうか…。
 あ、猫のブラシも置いてある。まただ。これは向こうのダイニングのあそこに置いときたいから、毎回戻してるんだけどな…。

 あぁ、イライラとしてきました。舌打ちが出てきました。こんなことにイライラして舌打ちしちゃう自分が、すごくイヤです。
 そしてその舌打ちがパートナーにうっかり聞こえちゃったりしたら、もっとイヤです。あぁ、じぶん、器小さすぎです。イヤだイヤだ。
 でも、まだグリグリと攻めますよ。突進していきます。ふっふ。

 それでも、僕は何もできません。元あった場所に本と物を戻すこともできません。パートナーに、僕のお気に入りの配置について建設的に相談を持ちかけてみることもできません。そして煙管を吸って落ち着くこともできません。
 もっとイライラしていきます。このまま放っておいちゃったら、僕はどうなってしまうんでしょうか。僕の存在はどうなっていってしまうんでしょうか。

 爆発しちゃう感じがしてきました。うわあああ、って叫びたくなっちゃう感じがしてきました。でも、叫んでも何も解決しません。
 僕は叫んだあと、いじけちゃうような感じがしました。「はい。もうどうでもいいでーす!全部どうでもいいでーす!」って言いたくなってきてます。

 もう全てがどうでもよくなってきました。棚に並べてる物とか、本とか、どうでもいい。くだらない。別に元から並べなくてもいい。いっそのこと全部捨ててやろうか、もう。棚ごと。もうそれくらい自暴自棄な気持ちが出てきました。
 ヤバいです。大丈夫か、自分。あの、捨てないでねお願いだから。

 でも何も解決しません。全部捨てたくなっても、捨てれません。どうでもよくなっても、状況はそのままです。その状況に向き合い続けなければいけません。逃れられません。

 すると僕は、生きる力がなくなってくる感じがしました。無気力になっていきます。だって、好きなものを好きにできないんだもん。じゃあ、何をする意味があるっていうんだ?そういう気持ちです。

 もうベッドで永遠にYouTube見てたい気分です。ふて寝です。永遠に無気力に過ごしたい。

 そうなってしまったら、どうなるでしょう。ここまで感じてみます。いけるところまで、どんどん感じていきます。まだいくんです。根本の方にどんどん降りていってあげます。

 …そうしたら、僕はもう誰かと一緒にいることはできなくなる、という感じがしました。一人になっちゃいます。本当に一人です。ベッドで永遠に動画を見て、UberEatsでご飯を時々食べて、トイレ行って。それだけです。そんな自分が誰かといられるわけがない。

 おお、すごくいいセリフが出てきました。「そんな自分が誰かといられるわけがない」というセリフです。これは僕の存在がどうなってしまうかを表しているセリフになっていますね。

 じゃあ「そんな」って、どんな自分なんでしょう。うーん…。

 無気力で何もできていない自分、絶望的に何かが欠けてしまっていて、それをどうしても埋められない自分。そんな感じがします。

 鬱になったときの僕みたいな感じがします。多分、鬱っぽい波が来ることは性質として避けられないはずなのに、そうなってしまう自分の欠けというか、欠陥みたいなことだけになってしまうと、誰かといられなくなってしまう感じがします。

 その時の相手とのつながりについてのセリフは、こんな感じです。「欠陥だらけで無気力な自分になってしまったら、もうあなたは僕と一緒にいてくれなくなる」という言葉が出てきました。

 本当はそんなことないんですけどね。僕の思い込みなわけなんです。頭で考えたらわかるんですけど、心はそう易々と通してくれません。無意識の力はすごいですから。トラウマとコンプレックスが放つ引力と斥力はすごいわけです。
 この駆動力によってエネルギーを出して生きている人がたくさんいるくらいですから。自分で抗うことはとっても難しいんです。

***

 はい、ということで僕のワークはこんな感じでした。

 昨日のワークでは僕の存在は最後には「僕の身体はどんどん萎んでいって、小さくなって、米粒みたいになっていて、やがて誰も僕の存在を見つけることさえできなくなってしまう」という言葉が出てきました。

 そしてお母さんからは「見捨てられてしまう」というような感覚を持ちました。

 おおお、何だか似ていますね。今日のワークの結果と似ていませんか?今回のワークでも「パートナーと一緒にいられなくなってしまう」というのが、つながりへの感覚でした。僕のセリフでした。

 僕も本当にリアルタイムで、これまでやったことがない出来事をとりあげてワークをやってみています。だから今日感じたことも、すごく新鮮なことしか書いていないです。だから僕自身もかなり、びっくりしています。すごく驚いています。

 お母さんとの出来事の記憶と、最近のちょっとイラっとしたくらいの些細な出来事が、根に降りていくと、繋がっているんですね。
 完全に繋がったぞとは言い切れないまでも、何となく僕の感覚の震源地の輪郭が見えたというような感じがしませんか?

 どうやら僕の場合は、「相手の期待に応えれてますか?」みたいなこととか、「僕の欠陥がバレていない?しっかりと調子のいい自分になれてる?そうじゃないと一人になっちゃうよ。孤独になっちゃうよ。欠陥が出てこないように、調子よく過ごそうね。」みたいなこととか、そういうことを無意識が恐れて、反射神経的に行動しようとしてしまうみたいなクセがあるみたいですね。すごく面白いですね。

 これが、共通点をとっていくことのすごさです。僕が直接質問して対話できればひとつの出来事でも相手のクセを捉えていくことはできるんですが、共通点をとるワークをすれば一人でじぶんだけでクセと出会うことができるんです。すごいですよね。

***

 ということで、五日目のワークでした。いかがだったでしょうか?自分でもやってみてくださいね。

 そうそう、今回から「動作」もワークの中に入れ込むようにしてみました。
 頭の中だけで感じるのって難しいんですね。言葉になって初めて無意識が意識になります。人間は何かを知覚できます。

 そう、身体感覚に基づいているんですよね。人間の心って、身体って言い換えてもいいんじゃないかってくらい、心と体って切り離せないものなんです。

 あともう一つ理由があって、ワークとして動作がある方が分かりやすいかなと思ったからです。動作を指定されていると、意味を考えすぎずにできます。自分で考える必要のある範囲が減ります。

 だから、今回は「括弧をつけたセリフとして、紙に書く」としてみました。ですが、方法はなんでもいいです。自分に合うやり方をぱっと思い付いた人は、それでやってみてください。

 ワークでは僕の「一番のおすすめ」を書いておきます。紙に書くのって、すごいんです。身体性が伴ってるんですね。だから何か違う自分のやり方が思いつかなかったら、ぜひ僕のオススメでやってみてください。すっごく楽しいですよ。

 ではまた明日。

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