じぶんのクセをすきになる【2-4】トラウマとコンプレックスの飴を舐める
トラウマとコンプレックスの飴を舐める
こんにちは、とつゆうです。今日もクセすきワークをやっていきましょう。
さて、三日目のワークはこんな感じでした。
前回はワークの出題までに色々な大事なことが書けすぎてしまって、僕の実践編まで書けませんでした。ということで、今日は僕の実践編です。今日はワークの出題はないかもしれません。僕の実践を通して、自分との違いを感じて、その感覚を受け取って味わってみてください。
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ということで、やってみます。ふー、毎回緊張しますね、これ。それもそうですね、自分の命を守るために居心地わるくしていたシステム自体に向き合ってみるんですから。緊張もするはずです。
僕の心が、「ここに触れないで!」って言ってきてます。でも触れちゃいます。ふっふっふ。もう僕は誰かを傷付けるということも、自分を傷付けるということもないと分かっているので、怖くなくなっています。でも緊張はしますね。クセすきベテランくらいになるとそんな感じになってきます。
うーん、どの出来事にしようかな。みなさんに伝わりやすい例がいいですよね。すぐにそういうふうにすぐ考えてしまうのも、僕のクセですね。
僕が一番気になっていて、掘ってみたいと感じてるトピックにしましょう。単純に最も心がイガイガした感じがする出来事にしましょう。そうしましょう。それがきっと一番、伝わるはずです。
僕が思い出した中で最も気になっているのは、お母さんの自慰行為を手伝ってあげた思い出でした。自慰行為なんですかね、僕とのセックスなんですかね。それさえも分からないです。でも挿入していないのは確かなはずです。そんなことできないくらいに小さい頃だと思います。その記憶があったら、覚えてるはずです。多分。
そのときのことを思い出してみると、僕はそれが何なのかさえよく分かっていなかったような気がします。でも、何だか嫌な感じがしてることだけは何となく蘇ってきました。
僕はスーパーの袋から取り出されてきたきゅうりを持たされて、何できゅうりなんだろう、ってすごく不思議な気持ちになっています。あ、いつも食べてるやつだ。くらいの感覚です。これ美味しいよね〜、って。それがなんで、ここに?
薄暗いホテルの一室の、真っ白なベッドに突然現れた新鮮な野菜。面白いところなのかもしれませんが、そのときの僕は全然面白くなかったんですが、でもやっぱり今思い出したら面白いです。ちょっと笑っちゃいます。
あぁ、トマトもあった気がしてきました。ホテルの暗い一室を、橙色の光がふわっと弱く照らしています。顔は見えないくらいです。そして、側面の壁に沿って配置された真っ白なシングルベッドに並ぶ、瑞々しい緑と赤の野菜たち。何だかかっこいいですね。面白いです。このまま小説が書けちゃいそうです。
いや、野菜のことはどうでもいいんです。でも、どれだけ鮮やかに思い出せるかがすごく大事なので、やってみました。描写してみました。もう一度その出来事を追体験するくらいの気持ちでイメージすることが大事です。思い出して、感じること自体が目的なんです。
あぁ、何だかすっごくイヤな感じがしてきました。胸がぎゅっと苦しくなってきました。逃げ出したい気持ちになってきました。とても居心地がわるいです。すぐにでもこのシーンから脱出して、外に出て煙管を吸いたいです。でも、続けてみます。
僕はぐっと堪えてます。あなたのために、お母さんのために何かの働きをしていることは僕にとっての喜びでもあるんだよ、というような感じです。
そういう振る舞いをして、お母さんが気持ちよくなることを手伝っています。しれっとした顔をしてます。全然平気な顔をしています。でも、今思い出してみると、全然平気じゃないです。全然嬉しくないです。全然楽しくないです。
そして、三日目のワークは「このとき、僕が何もしなかったどうなるか?」を想像してみることでした。
僕の場合は、お母さんを放っておくということです。気持ちよくなりたそうなお母さんを放っておきます。僕はゲームでもしてます。そのときやりたいことを一人でやってます。何も解決しません。何も行動しません。そうしたら、どうなっていく感じがするでしょうか…?
そうしたら僕はどうなっていくかというと、お母さんに見捨てられるかもしれないという感じがしました。お母さんは、僕のことも放っておき始めるんじゃないか、というような感覚がしました。
もしかしたら、そのとき泊まっていたホテルの部屋から出ていっちゃうかもしれません。そうでないとしても、僕のことはもう構ってもらえなくなっちゃうかもしれません。お母さんだけ向こうをむいて一人で寝始めちゃうかも。
そのとき僕は、ひとりぼっちになってしまいました。僕の身体はどんどん萎んでいって、小さくなって、米粒みたいになっていて、やがて誰も僕の存在を見つけることさえできなくなってしまう、というような感じがしました。本当のひとりです。孤独です。闇の中です。
そのとき僕は小学校にもう行っていたんでしょうか?多分、まだだと思います。そして両親はすでに離婚していたので、僕には母親しかいませんでした。大切なつながりが、母親しかなかったんです。
生まれたときには、みんなそうです。母親か、父親か、しかいません。そして、もたれかかることができる存在は、両親がいても実際はそのどちらかだったりすることが多いと思います。
そして僕の場合は、それが母親だったんですね。実際母親に見捨てられちゃうと、僕は何もできないわけです。一人で生きていくことすらできないわけです。そりゃそうです。まだ幼稚園にも入ってないくらいですから。命の危険です。
そう、これって前回お話しした内容です。命が危険だよ、って言ってるんです。母親とのつながりを損なうことは、僕にとって危険なことだったんです。狩猟採集時代に、熊に襲われて殺されることと一緒です。
だから僕は、母親とのつながりを保たなければいけないという不安から、防衛本能として、母親の期待(だと勝手にこちらが思い込んでいること)に従うことにしたんです。何も感じていないフリをすることにしたんです。
しかも、こんなに幼い頃ですから。すごいですよね。ほぼ無意識に、こういうことができてしまうわけです。それは、子供でも大人でも変わりません。
むしろ子供の頃の方が、持っているつながりへの危機感が強いことが多いですから、より強烈に命への防衛本能を働かせてしまうわけです。無意識から突き上げてくるように、意識にも知覚させないままに、自動的に行動してしまうんです。すごいですね。
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はい、どうでしょうか。僕の事例はこんな感じです。
僕の場合は、過去のイライラから思い出した出来事に関して、そのときにとった行動を実行せずに放っておいた場合、僕の存在は「萎みまくって小さくなっていって、そのまま誰にも見つからない。ひとりぼっちになってしまう」という感覚がしました。
そして、その出来事の対象の相手とのつながり、つまり母親との関係性を「損なってしまう」というような感覚がありました。
感じて頂けたでしょうか?僕はすっごく感じました。怖くなりました。それが伝わっていればいいのですが、でも伝わってなくてもいいです。だって人のクセって全然違いますから。
あなたにはあなたの、感じ方のクセがあります。共感できることが大事ってことではないんです。あなたがあなたの感覚を感じ取れること自体が大事なんです。それだけでいいんです、本当は。
今回僕は幼少の頃の記憶になっちゃいましたが、どんな出来事でもいいですよ。どんな出来事でもできます。それについて、自分がイライラしたり、不安になったりしたのであれば、必ず自分の根に辿り着けます。
信じて下さい。それを信じることが、まずすごく大切です。そのことを疑っていたら、感じることはできません。しっかりと自分の感覚を味わうことはできません。
どんな些細なことであっても、自分の感情が動くならそこに何かがある、ってことです。それを信頼してあげるということです。自分の身体と、精神に全幅の信頼を置いてあげるわけです。それが、クセをすきになるためのすごく大事なコツです。
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こういうことは、「トラウマ」って呼ばれていたりしますよね。「トラウマ」とは、ギリシャ語で「傷」という意味の言葉です。これを精神のこととして言い始めたのは、ユングにも影響を与えた精神分析医のフロイトさんです。
もう少し分かりやすく説明すると、トラウマとは「現在にまで影響しているような過去の傷」というような出来事や記憶のことを指しています。
この「トラウマ」って、すごくショッキングな出来事のことを指しているような感じがしませんか?今では、そういう意味で用いられているような気がします。
でも、実はトラウマって、もっともっと多種多様なんじゃないかって思っています。要すると、すごく浅いトラウマもあるんですね。それが「イライラ」とか、「なんか不安だな〜」とか、そういうこととして現れてるんです。
怒ったりしてるとき、不安になっているときは、必ずその人のトラウマ=傷に何かが触れています。または、触れてしまいそうと予知しています。過去に傷んだ箇所が、うずくんです。ここに触れたら痛いよ、って心が警告を出してくれているんです。それが怒りや不安という防衛本能として現れているということです。
トラウマに近いところにある言葉として、「コンプレックス」という言葉がありますよね。これは最初は多分、ユング心理学で有名なカール・ユングさんが精神分析で用い始めた言葉です。
最近だと「顔がコンプレックスでさあ〜」なんていう意味で使われていたりします。でも、元々の精神分析での「コンプレックス」は、ちょっと違う意味でした。
「コンプレックス」は日本語で「集合的無意識」と翻訳されています。面白いですよね。意味分からなくないですか?集合してる感じの無意識、ってことですよね。日本語をきいただけでは、よく分からないです。
これも、「傷」と似ています。傷とはつまり「自分の命が危ういと感じる体験」のことです。それが傷であり、トラウマの正体です。
人間は一度それを味わうと、次からは必死でそれを避けようとするわけですね。で、そういう「命の危険」的な体験を積み重ねると、それはもう反射的に避けれるようになってくるんです。みんなこれを、違う形でやってきています。
僕の場合は「グループの空気を読む」とかですかね。もう、無意識にその危険を避けるための行動ができるようになってしまっているんです。
そう、傷がうずくんです。同じ場所を傷つけられそうになっている、というような感覚なんですね。集合していくんです。そしてその「命の危険」的な体験がたくさん集合することによって、無意識の危機管理能力が形成されるんです。これが「集合的無意識」です。コンプレックス、ということです。
なので、先ほどの「顔がコンプレックスなんだよね〜」と言っている人も、間違っているようで、合っているところがあります。
その人は「顔が美しくないと、生きていくのに不都合だ(自分の命にとって危ない。大事な人を失っちゃうとかもそうですよね。)」という体験をしたことがあるということです。
それが傷になっているわけです。トラウマになっているわけです。コンプレックスとは集合体のことなので、それもコンプレックスを形成している一つのトラウマということです。
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ということで、四日目は、三日目のワークを僕の実践編ということでお届けしてきました。
どうだったでしょうか?何かを感じて頂けたでしょうか?僕の感覚を感じてもらえたかどうかではなく、あなたは自分のことについて何かを感じましたか?ということですよ。僕に共感しなくてもいいです。自分のことを、僕のことを通して感じてみて下さい。
すでに昨日やって頂いた方も、今日は僕のやり方を踏まえて別の出来事でやってみて頂いてもいいかもしれませんね。同じ感覚にたどり着く感じがしたら、すごくうまくできている、ってことです。全然そうじゃなくてもいいですけどね。違う感覚にたどり着いたなら、それこそ、その人のクセがそこにあります。気になります。
そう、そいうえば昨日、ここまでのワークをやってみただけで、心がすごく楽になったというメッセージを頂きました。本当に嬉しいですね。流れてますね。誰かがその流れを受け取ってくれて、自分の流れをつくることに役立ててくれていることが伝わるのは、本当に嬉しいです。もっともっと書いていこう、という気持ちになります。
ということで、明日こそ次のワークに移っていこうと思います。では。
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