諏訪寿一

大切にする、カタチにする、高めるが私自身の理念です😃 | いすみ市岬町で週ニ農、2拠点…

諏訪寿一

大切にする、カタチにする、高めるが私自身の理念です😃 | いすみ市岬町で週ニ農、2拠点生活👨‍🌾|食品の製造、卸、小売とグループ経営 | M&A歴5回 | 中小企業診断士 | 味噌ソムリエ | G検定2021#2 | E資格2022#1|株式会社諏訪商店代表取締役

最近の記事

ミセスK-VOL16

真面目な話が続いたので、ちょっとだけ面白い話。Kさん。Kさんは、経理だった方で、私が社長になり、先代の時から結構長い間経理をしてもらっていた。Kさんは基本、いつも超丁寧言葉なんです。 この人がね。ちょっと面白いんだ。Kさんは、よく私のところに報告に来る。そりゃ〜経理だからね。社長に報告に来るよね。トントン!失礼しますと入ってくるのだよ。そしてあーでもないこーでもないと報告を受けるじゃない。ここで、いつも注意していたことがあるんだ。どうでもいい報告のついでに、重要な報告をサラリ

    • 2度目のピンチ_VOL15

      順調だった会社は、2007年世の中の食品偽装の問題が直撃した。 ミートホープ食肉偽装事件、赤福賞味期限先延ばし事件、石屋製菓賞味期限改ざん事件、そして2008年大きな事件が起きた。いわゆる毒餃子事件。日本中で冷凍餃子を食べた人が食中毒を起こす。それは、中国の餃子工場で、ある社員が殺虫剤の成分を故意に混入させたという事件だった。そして、これをきっかけに中国産がだめ!という世の中の風潮になった。 完全に食品に対する信頼が地に落ちたといってもよいと思う。私たちの業界とは違うと思って

      • 感謝って難しいVOL-14

        社長になって意気揚々といろいろ進めているうちに、やはり社員の方々との関わりに少しづつ悩み始めるようになる。基本、厳しいかんじでやってきたし、俺がいなかったらどうなっていたんだ!みたいな自負もあった。先代のやり方に対するだめだし、社員にもっとできるだろうという想い。ちょっとうまくいって天狗になっていたのかもしれない。 私は、その当時社員の誕生日に手紙を出していた。いろいろ書くのだけど、結局は、もっと頑張れという趣旨のもの。でも、ある時、あるセミナーで組織診断みたいなものをやっ

        • 社長になる(整理整頓編)VOL-13

          2003年、房の駅1号店ができた翌年、私は社長になった。本当によくなれたと思う。32歳だった。社長になった年、先代は62歳。私が社長になったその日から、先代は会社に一回もこない。一回もだ。すべてが私に任された。これってすごくない?一回も来ないんだよ! その辺は、自分の父親だけども、本当にすごいと思う。普通は執着するし、口はだす。しかし、そういうことが一回もなかった。 引継ぎはなんと実印を渡されただけ。だから、わからないながらにも、登記を変えたり、銀行に改印届を出したり、連帯保

        ミセスK-VOL16

          ひでー合宿VOL-12

          さて、オープンは大反響!そして、1週間した時には閑散としていた房の駅、社員はせーちゃんだけという中、はたしてどうやってやっていこうかと頭を悩ましながら、いろいろ考えた。せーちゃんを休ませ、何日か私が代わりに店舗を運営したけど、これはとても中途半端だ。私は正直、ドライブイン運営の経験から、一人でなんとかなるのではないかという考えがあったのだけど、やはりやることが違いすぎる。房の駅の方が断然やるべき仕事が多い。これは無理だということで、1名社員を増員すると、せーちゃんが壁にぶち当

          ひでー合宿VOL-12

          走りながら考えるVOL-11

          せーちゃんを焼肉屋に呼び出した。4人での話し合い。そしてせーちゃんは女性を連れてきた。焼肉がきてたのか、食べ終わってからか、忘れてしまったが、私が切り出した。「前にも話したと思うけど、今度店をやるんだ。だから店長をやってほしい。」静寂が流れる。「できるはずないじゃん。だってこの前、社長によろしくお願いしますって言っちゃったじゃん」 父も母も黙って頷きながら聞いている。頷く場面ではないと思うけどね。せーちゃんは、諏訪商店に入る意義とか、理由とかそういうことを聞いてきた。父は口籠

          走りながら考えるVOL-11

          積極的勘違いVOL-10

          ドライブインに行くときにいつも通る道がある。新生交差点。そこを右折する。この場所いいなー店出したら面白いだろうな〜漠然と考えていた。いろいろ空想する。店の名前は・・・蛤の里とか、でも海じゃないしな。当時社長の父に相談したが一蹴された「あそこはダメだ」 田んぼだったその場所が、1年で埋め立てられてしまった。いよいよ何か建つのかな?1年経っても何もできる気配がない。あるとき、メーカーの方と同行営業をしているとき、その方に言ってみた。 私「ここの場所いいと思うんです。お店を出店して

          積極的勘違いVOL-10

          白いカラスVOL-9

          諏訪商店に入社し、1番の問題点はやはり卸のDNAが邪魔をして、商品が店頭に並んだ後のことを考えてないことだった。勉強して学んできたことを毎日、ドライブインで試せる環境は本当にありがたかった。そして、社内で皆に伝えたくなる。私は、若い人たちだけど、勉強会を始めた。高校の時、陸上競技を通して、人は成長すると言うことを学んだので、時間はかかるけど、絶対会社は良くなると信じて根気良く始めたよ。若手の勉強会と言ってもほとんど年上だけどね。そして、会社全体での研修を始めるようになる。半年

          白いカラスVOL-9

          ピンチは突然やってくるVOL-8

          入社して、最初の夏、ドライブインでの販売をせーちゃんに手伝ってもらった。たしかお盆の間で超忙しい時だったと思う。そんなある日の1日の出来事をお話ししてみたいと思う。 その日は、確か8月のお盆とても忙しい日、朝早く起きて、お店で売る商品をトラックに積んで、場所の違う工場に向かう途中、せーちゃんに新聞の大切さを説明した。特に日本経済新聞。 私「毎日、新聞を読め!世の中のエグゼクティブはそうやって情報を得るんだ。毎日の積み重ねが大切なんだよ」 なんて、わかったようなことを言ってい

          ピンチは突然やってくるVOL-8

          いよいよ諏訪商店にVOL-7

          いよいよ諏訪商店に入社した。1996年のこと。前の会社を1995年の12月に退職し、諏訪商店に、1996年3月1日に入社した。前の会社を辞めたのは、中小企業診断士の2次試験に受かり、3次試験は2週間会社を休まなくてはならなかったこと。あと妻にプロポーズし結婚を考えていたこと。この2点。 そして、2か月間何していたか?というと中小企業診断士3次試験いわゆる実習研修を2週間受けた。新宿のしょんべん横丁のすし屋と、どっかのなんとか銀座商店街の2つ企業診断をしたよ。 あと、せーちゃ

          いよいよ諏訪商店にVOL-7

          生意気な若者VOL-6

          素敵な大学生活も残り1年就職活動が始まる。その当時大学4年生からスタートしたと記憶している。さて、私の就職活動。これはもう就職活動とは言えない。だってその目的は、企業視察だから。中小企業診断士の勉強していた私は、いろんな商業施設や商店街を見にいった。そして、就職活動は、いろんな企業を見たくて、とくに、当時大手コンビニと取引していた会社の物流施設を見学して興奮していた。だから、採用担当者と話していてもピントがずれまくり。まーそんなことはいいとして、めでたく数社内定をもらう。私が

          生意気な若者VOL-6

          心の傷VOL-5

          大学生の時、いくつかのアルバイトをした。スーパー、イタリアンレストラン、カルテの整理、荷物運び、そして株式会社諏訪商店。 1番面白かったのが諏訪商店、一番辛かったのも諏訪商店 1番モチベーションが低かったのが、イタメシ。 どっちの話からしようか?やっぱりイタメシから。ここの店長がなんか好きになれない。私は、まだ上司に左右されてしまう力のない男だったし、何も知らなかった。パルメザンチーズも知らなかったのだよ。私は心の中で「パスタっていうな!スパゲティーだろ!しかもなんでパスタは

          心の傷VOL-5

          人生の変え方VOL-4

          バラ色の大学生活がやってきた!1年前は、陸上競技でプレッシャーに押し潰されそうになりながら、苦しい練習に耐え、受験勉強も本当に頑張った。そんなことから全て解放されまくれ、晴れて大学生!そして、下北沢に一人暮らし。バラ色だ。本当に楽しかった。特に1年生、2年生の時は、毎日が本当に楽しかった。飲み会、テニスサークル、合コン、アルバイト、合宿、ゼミ、なんでもありだ。そして、下北沢の私の部屋には友達がよく遊びにきたよ。サークルの友達、高校の友達、クラスの友達、そして知らない人・・・知

          人生の変え方VOL-4

          危機察知能力VOL-3

          私は、おそらく他の方々より、危機を察知する能力が高いと思う。人は、私のことを前向きというけど、何かに向けて力を発揮する時は、大体が危機を察知し、自分をあえて追い込んだ時。 どうして、そうなったのだろう?ちょっとエピソードを二つ。 中学時代、正確にいうと2年生の時。私たちの前を他の中学校の不良が自転車で前を通り過ぎた。よくいるじゃない?市内で有名な不良。私の友達が小さな声で「いきがってんじゃねーよ」と呟いた。もう一人の友達が、でかい声で「いきがってんじゃねーよ!」と叫んだ。不良

          危機察知能力VOL-3

          大ピンチは大逆転のためにあるVOL-2

          いつもぎりぎりだ。私の人生を変えた高校3年生の時の話しを3つしたいと思う。 私は、高校時代、陸上競技部でやり投げをしていた。やり投げだ。やりを投げていたのだ。よく投げやりになるなよと言われたよ。中学時代はピッチャーで4番だったのに、やり投げをした。その理由は・・・やめておく。だから当時は、今から想像もつかないぐらいマッチョだった。ベンチプレスは100キロ持ち上がったし、スクワットも100キロは楽勝だったのだ。 高校一年生から有望で、早くも一年生の秋には、県大会にでて、入賞

          大ピンチは大逆転のためにあるVOL-2

          面白いは良いことだVOL-1

          前回、うちの家族の紹介をしたけど、一番しっくりくるエピソードがあるので、ちょっとしてみようと思う。私、14歳の春の出来事。 布石はあったのだ。 父「お母さん!あれ持ってきて。」 母「あれって何!」 父は昔から単語がなかなか出てこない。母はボケるといけないと思って、きちんと父に単語を言わせたいのだ。いつもの通り真っ赤な口紅に煙草をふかしている。 父「あれだよ!あれ!」 母「だから何!」 父はむっとした表情で悔しさともどかしさで何とも言えない表情で、声を荒げて大きい声で言った。

          面白いは良いことだVOL-1