ひでー合宿VOL-12
さて、オープンは大反響!そして、1週間した時には閑散としていた房の駅、社員はせーちゃんだけという中、はたしてどうやってやっていこうかと頭を悩ましながら、いろいろ考えた。せーちゃんを休ませ、何日か私が代わりに店舗を運営したけど、これはとても中途半端だ。私は正直、ドライブイン運営の経験から、一人でなんとかなるのではないかという考えがあったのだけど、やはりやることが違いすぎる。房の駅の方が断然やるべき仕事が多い。これは無理だということで、1名社員を増員すると、せーちゃんが壁にぶち当たる。部下の指導というやつだね。せーちゃんがいなくても、休んでもきちんと店舗を回せるようになること。房の駅をとにかく軌道に乗せること。この二つが命題になった。
そして、今回の主役、実は、もう一人悩める戦士、現ナカダイ星野社長が、とにかく売上を上げるために孤軍奮闘していた。彼に第2営業部を任せていた。第2営業部の生い立ちは私が絡んでいた。諏訪商店の営業部は地区に分かれている。内房地区、外房地区、白浜地区、成田地区・・・当時でも15ぐらいに分かれていたと思う。そんな中、なぜか地区外という地区があった。
地区外だからもはや地区ではない!
担当者不在の地区外を私が担当した。でもこの中にきらりと光るお得意先様がたくさんみつけたのさ^^現在私たちの事業会社のひとつ株式会社ナカダイは、この地区外にあったお得意先様だったんだ。おそるおそる電話したのをはっきり覚えている。そして、星野社長が取引を深め、事業承継の話になったのが、今から12年前だった。この地区外の売上は地区外だから低いので、深めながらも新規開拓をいっぱいした。とにかくいろんなところに連絡し、新規をお願いして、なんとか年間4000万ぐらいになり、ほしのん(星野)に引き継いだ。そして、ほしのんは本当に苦しんでいた。そして、彼は催事にハマり出す。ハマるというより、逃げ場というかとりあえず売上が作れる場所を見つけた。でもまったく採算があっていない。そして、悩んで頭に十円玉ができていた(これマジ!)
悩める2人と悩める私で、合宿を組むことにした。私は、上級訓練でならったロジカルシンキングをしっかりと二人に教えた。全ての問題は解決できる!問題の本質をついて、現状把握、原因を追及し、目標設定、そして対策を立てること。このことを3人でホワイトボードにかじりつきながら、サンプラザ市原の9階で、2日間に渡り、考えまくった。
せーちゃんは、目の前が開けたような明るい顔をしていた。ほしのんも、催事でなく、本質的売上につながることをやる覚悟の顔になった。私は・・・考えすぎて気持ち悪くなり真っ青な顔をして寝転んでいた。このころとても体調が悪かった。完全に太り過ぎ。
この時決まったのは、店舗運営のためにマニュアルの作成、そして!房の駅の多店舗化。12年で7店舗。それ以上できちゃったけどね。もう一つは、第2営業部が第1営業部を抜くこと。そして、ふたりに課された課題は、30億づつの売上をつくること。
二人は、賭けをしていた。どっちが先に10億いくかみたいな賭けだったともう。負けたら、ハワイの家族旅行ご招待というやつ。せーちゃんが勝ったけど、まだ行ってないようなきがするな。まーいいか。
20年前のこの合宿が諏訪商店を飛躍的に成長させたのだと思う。完全に二人はツートップのフォワードタイプ。私は、中盤から結構荒めのパスを出していたのだけど、そのうちキーパーからのゴールキック的パスに変わり、今では、監督的立場、あるいはオーナー?的立場から声というパスに変わっていった。このふたりがいなかったら今の諏訪商店はない。せーちゃんが結構インパクトあって前面に出ること多いけど、このほしのんもなかなかすごいやつだよ。最近太っちゃたけどね。そーそーほしのんは実は同級生なんだ。私は、中学校の時、野球で、私はピッチャーで4番、キャプテンだったのだけど、最後の試合で、ほしのんに4番の座をとられたのだ。この時とても悔しかったのだ。でも私はほしのんの努力も見て納得もしていた。冬の間、めちゃくちゃバット振ったり、走っている姿を見ていた。私が諏訪商店に入社する時、ほしのんがフリーターをしていると知った私は、声をかけたんだ。そしたら、ロン毛の真っ黒な男が面接に来た。それがほしのんさ。
そして、今は、株式会社ナカダイ代表取締役なんだ。本当によく頑張ったとおもう。
そして、ここでの教訓は
「飛躍は、ピンチから始まる。そして、時間は何もかも変える力を持っている」
写真は、25年前、私とほしのん。体型が・・・今の二人と正反対
そして、社長になる年には、私は人生最高の体重を誇っていたのさ。
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