大ピンチは大逆転のためにあるVOL-2

いつもぎりぎりだ。私の人生を変えた高校3年生の時の話しを3つしたいと思う。

私は、高校時代、陸上競技部でやり投げをしていた。やり投げだ。やりを投げていたのだ。よく投げやりになるなよと言われたよ。中学時代はピッチャーで4番だったのに、やり投げをした。その理由は・・・やめておく。だから当時は、今から想像もつかないぐらいマッチョだった。ベンチプレスは100キロ持ち上がったし、スクワットも100キロは楽勝だったのだ。

高校一年生から有望で、早くも一年生の秋には、県大会にでて、入賞できそうな勢いだった。結果は県大会で9位。入賞は8位までなのだが、1年生だからまーまーだよね。そして、2年生の春。私は成長した。距離も伸び、もしかしたら優勝もあり得る位置にいた。そして、結果は9位。監督さんは涙を浮かべながら、こっぴどく私のことを叱った。2年生の秋。腰が痛い・・・結果は9位。まさに9位の男だ。キウイフルーツみたいだよ。
1989年、高校生活最後の春。腰が痛い。1投目、2投目と大失敗。大ピンチ!あとがない。3年間何をしていたのだろう?あんな苦しい練習をして、一生懸命頑張って、それで、この結果?許せない。自分が許せない。腰が痛い・・・悔しい。くそー!そして、最後と思い、やりを持ち、スタート地点に立った。1回目と2回目の失敗は明らかにやりの先が上を向きすぎたから。私はある方法で練習中に何度か、大投てきをした経験がある。ベスト記録に近い。腰にも負担が少ない。そのある方法は、失敗するととんでもなく距離が出ない上、成功率は5%ぐらい。
そんなことは、ゴルフでいうと、チップインとか、サッカーで言うと、コーナーキックが直接入るとか。それぐらいのこと。どうせ最後だ、やってみるか!完全に勝負に出たよ。渾身の力を込めて、投げたよ。
やりは、弧を描き・・・描いてない、ライナーだ。私はライナー投げをしたのだ。そして、なんと奇跡の大逆転!大逆転だ!ありえない!奇跡だ!まじか!
私は関東大会に出場した。念願の関東大会だ!嬉しすぎる!

関東大会で敗れ、インターハイには出れなかった。この3年生の総体で、私は12投したことになる。県大会の前のブロック大会で3投、県大会3投、決勝で3投、関東大会で3投。12投で満足なのは1投だけ。12分の1。その1投が出るまでピンチの連続だったよ。でも大満足!

そして、受験勉強に入った。まじで時間がない。どうしても浪人したくなかったので、必死に勉強した。全然成績が上がらない。

1989年10月26日平成でいうと元年、私が心の底から愛したプロ野球選手、原辰徳がホームランを打った。日本シリーズ第5戦、3連敗からの大逆転劇の最大の演出が起きる。18打席連続のノーヒットから、19打席目にしてでた原辰徳の満塁ホームラン。東京ドームは大興奮!というか私が大興奮!マジで勇気が湧いた。第7戦でもツーランホームランを放つ。この日本シリーズ原辰徳は22打数2安打6打点2ホームラン、打率.091。私は、勇気が湧いた。19打席のホームランのために、18打席の凡打が必要。それが、流れを大きく変える演出なのではないかと思ったよ。2本しか打ってないのに2冠王だよ。

原辰徳のおかげで、俄然受験勉強に力が入るようになった。

年末になり、年が明ける。そして、2月に入り本番直前。やっとわかってきたような気がした。7校受けた。正直に言おう。1勝6敗だ。受かったのは、ほぼ第一希望の大学。ほぼと言うのは、記念受験が1校あったから。大体大学受験というのは、入りやすいところから始まる。そして、だんだんと難関校へと移っていく。まー気持ちいいように落ちたね。落ちまくり!受験は20日間に及んだと思う。その20日間が私にはとても貴重だったのだ。私はその20日間の間に学力が超伸びた!びっくりするぐらいわかるようになったのだ。高校野球で、1試合1試合チームが強くなっていく・・・あんな感じ。最後の合格発表で、またもや崖っぷちからの大逆転を成し遂げた。奇跡であり、まぐれだ。運がいい。息をするのがやっとくらい嬉しかった。6校落ちたがゆえに、大逆転で勝ち取った大学できちんと勉強しよう!そう思えた。

私は、原辰徳が大好きだ。だから部屋には、いまだにポスターが貼ってあるし、原辰徳のバスタオルを使っている。そして、原辰徳が奇跡の満塁ホームランを打った7年後の10月26日は私の結婚記念日になったのさ。
諏訪商店に入社するまであと7年❗️

今回の教訓はちょっと深いよ

「大ピンチは、大逆転のためにある。だから大逆転には大ピンチが必要だ。ふんばれ!でも、そんなことにならないように普段から努力しましょう。」

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