積極的勘違いVOL-10

ドライブインに行くときにいつも通る道がある。新生交差点。そこを右折する。この場所いいなー店出したら面白いだろうな〜漠然と考えていた。いろいろ空想する。店の名前は・・・蛤の里とか、でも海じゃないしな。当時社長の父に相談したが一蹴された「あそこはダメだ」
田んぼだったその場所が、1年で埋め立てられてしまった。いよいよ何か建つのかな?1年経っても何もできる気配がない。あるとき、メーカーの方と同行営業をしているとき、その方に言ってみた。
私「ここの場所いいと思うんです。お店を出店してみたいんですよね。」
営業の方「地主知ってるよ。電話しといてあげる。」
そして、まずは交通量調査をしてみた。夏の暑いとき、正の字で、車をカウントしていく。文書館にいって、国土交通省のやっている調査と合っていることを確認した。人口の調査もした。地図をひろげ、商圏を決めて、その人口を町長名ごとに拾っていく。年代、性別等々カテゴライズもした。
いける!確信めいたものが湧いてきた。社長に相談すると、半年前一蹴された提案は「あそこはいい場所だ。農産物直売所をやろう」に変わった。社長である父はいつも覚悟を見ている。想いがあるのか、その覚悟があるのかを見ているのだと思う。決まったら早いのはいつものこと、地主さんに改めて会いに行った。とんとん拍子で話がきまる。初めて勉強のときにしか出てこなかった公証人役場に行き、事業用定借の契約書を作った。この時の経験もとても生きている。
図面も決まってきた。色々なところに視察に行き、お手本となる店舗を見て回る。さて、ところで・・・店長誰にする?と言う話になった。なんと決めていなかった。自分でやる気持ちであったが、店舗ができる翌年に社長になることが決まっていた。
そういえば、その年に社長になると決まったのは3年前だった。
経営会議の場で、
社長が「あと3年で引退する!」と宣言したのだ。
私「わかりました!あと3年でその実力を身につけます」と返した。
10年後ぐらいに衝撃の事実を知る。「あのとき、お前じゃなかったんだよ。ワンテンポで常務を入れるつもりだった。」
積極的勘違いとは時に素晴らしい力を発揮するもんだ。
ということで、社長になる前年に店舗ができる。私は店長になる覚悟があったのだけど、流石に社長兼任店長なんてそんなに甘くない。ここで、母の一言が突き刺さる。「聖二をよんでこい。」
無理だ。だって、半年前に、せーちゃんが努めるスーパーの社長がわざわざやってきて、
スーパーの社長「お宅の次男坊を、幹部として育てたい。諏訪商店に帰る予定はあるのですか?」
諏訪商店の社長「次男は次男の道を歩みます。どうぞよろしくお願いします。」
母「よろしくおねがいします。」
こんな会話がなされたのだ。まるで娘さんをくださいみたいな感じ。無理だよって母に言った。「お前(私は)はあのとき、なにも言っていない。」
母は、私がそのとき何も発言しなかったのは納得していないと勘違いしていた。積極的な勘違いだ。確かに私は承諾していない。というか会話に参加できてないだけ。だからって理屈通る?でも母は譲らない。今、うちにこないと、ずっと先になる。タイミングとか全部今しかない。この一点張りだ。私も、せーちゃんがきてくれたらどんなに心強いか。せーちゃんに電話をする「話がある・・・○月○日に浅草のれいの焼肉屋で待ち合わせよう。」せーちゃんは父とか母の病気だと思ったらしい。
そして、その日が来た。焼肉屋の2階で4人で会った。ん?4人じゃない。もう一人いるぞ。せーちゃんが女性を連れてきた。

せーちゃんと諏訪商店で合流するまであと2ヶ月

ここでの教訓はこうだ
「積極的勘違いが何かを動かす時がある。方向性があってればだけどね。」

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