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社長になる(整理整頓編)VOL-13

2003年、房の駅1号店ができた翌年、私は社長になった。本当によくなれたと思う。32歳だった。社長になった年、先代は62歳。私が社長になったその日から、先代は会社に一回もこない。一回もだ。すべてが私に任された。これってすごくない?一回も来ないんだよ!
その辺は、自分の父親だけども、本当にすごいと思う。普通は執着するし、口はだす。しかし、そういうことが一回もなかった。
引継ぎはなんと実印を渡されただけ。だから、わからないながらにも、登記を変えたり、銀行に改印届を出したり、連帯保証を私に変えたり、全部自分でやったよ。。。ちょっとした事件もあったけどね。
だから、思い切っていろんなことをやった。今でも、M&Aとか事業承継をするときの基本がある。それは、「整理整頓」私は、社長に就任したその日から、整理整頓に着手した。え??なにそれ?事業承継と整理整頓がなんの関係あるの?と思うかもしれないけど、これはもう私のノウハウだよ😊
今でいう、デューデリジェンスを本能でやっていたことになる。「資産目録」というのを作り、勘定科目ごとにどこに何があるかをひとつづつ確認していたったよ。この口座はこのハンコ、小口現金はどことどこ。土地の権利書はどこにある?借入金は?保険は?一人一人の給与、リース、売上も経費も、伝票ひっくり返して、把握したんだ。ぜーーんぶ確認し、一覧表にしたんだ。まーまーな厚さになったのと、それで会社を把握できたと思う。
そして、そんなことが一通り終わってから、事務所を中心に必要のないと思われるものに、赤い紙を貼っていった。まずは一人30枚を21日間30人でやった。毎日、赤い紙を張られたものが事務所から出していく。全部で、18900枚の赤い紙が貼られたことになる。そのうちの9割が捨てられた。貼るものがなくなってくるとだんだんとやけくそになる。カレンダーは事務所に3枚必要ないよねとか、ボールペンは一人1本でいいよねとか、ホチキス一人1個要らないよねとか、とにかくいらないものはどんどん捨てられた。そして、最後引き出しの中にあるものがどんどんなくなり、そして引き出しも捨てられた。
基本的にみんな協力的だったのだけど、やっぱり最初は、抵抗勢力もあったよ。
営業部長が、社長は鬼だ!と言い出す。「先代が掲げていた、額を捨てるなんて、それはできない!」と言い出すので、
私「その額になんて書いてありました?」
部長「それは・・・・そういう問題じゃなくて・・・」
私「捨てます。だって何十年もあったのに覚えてもいないじゃないですか!」
部長「じゃー社長はわかるのか?」
私「毎日朗らかに、整理整頓!って書いてありました。」
もうコントだよ。整理整頓という額を整理整頓のために捨てたのさ。そんなことをいろんな場所で、営業所、倉庫、冷蔵庫、ありとあらゆる場所でつづけたのさ。赤い紙は、ものすごい量になったともう。そして、捨てるはずなのに、捨てられないものの最終置き場が、成田にあった。そこは、旧営業所で空き家になていた。判断できなくて、もったいないと思うと、みんなそこにもっていってしまう場所があったのだ。最後の仕上げは、その倉庫を空にすること。その倉庫にある40トンのごみを捨てた。こんなことを半年ぐらい続けていたよ。
そして、その後だ。こんなところに空き家当然の倉庫があるからみんなここに持ってきちゃう!ということで、この倉庫をたたき売った!バナナのたたき売りに近い。不動産屋さんもびっくりしていた。

不動産屋さん「いくらで売りたいですか?帳簿上は3200万ですよね」
私「いくらでもいいです。地盤悪くてずぶずぶなんで」
不動産屋さん「800万だったら買えるかな・・・」
私「600万でいいです。」
不動産屋さん「そんな安くていいんですか?」
私「だってゴミ箱になってるんだもん」

このほかにも、使ってないゴルフ会員券数か所、リゾート会員券数か所、使ってない土地、含み損を大きく抱えた土地、使ってない店舗、使ってない設備、パソコン、売ったり、除却したり、捨てたり、徹底的にやったよ。徹底的にだ。税理士先生もあきれていた。あーでもないこーでもない言うけど、全部、私に論破されてしまう。
ある時なんか銀行の担当者が抵当に入っているはずの建物がないと興奮して私に言ってきたので、言ってやった「毎日、あそこを通っているでしょ!もう解体して半年以上になるのに、それに気が付かないあなたが悪い!」もうはちゃめちゃだ。違う銀行からは、建物3か所解体したのを、知らなかったにしますと言われた。隠ぺいじゃね?って言ったら黙っていた。俺は言ったからねと念を押したけどね。

そして、支出のない損金をたらふく抱えたのさ。実は、この行為はキャッシュフローをめちゃくちゃよくする。損してなんでキャッシュをねん出できるの?ここを理解できる方はそんなに多くない。そのねん出した埋蔵金で、房の駅をどんどん建てたのさ。財務構造の大転換を8年かけてやっていった。借入金を増やすことなく、総資産を増やさずに、8年間頑張ったのさ。

ここでの教訓はこうだ!
「何かを変えたかったら、整理整頓から!モノも思考も。絶対に何かが見えてくる」

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