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山と景色と歴史の話

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#歴史

秩父「城峯山」と平将門【山と景色と歴史の話】

秩父「城峯山」と平将門【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了してきた英雄がいる。
彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。
関東地方における平将門もそんな1人だ。
埼玉県は秩父地方の城峯山周辺に残る“将門伝説”を紹介する。

弱きを助け強きを挫く――民衆の味方「峠」は室町時代に作られた国字(和製漢字)だという。
確かに、奈良時代末期の成立とされる『万葉集』を眺めると、「峠」に該当

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奥武蔵「顔振峠」と源義経【山と景色と歴史の話】

奥武蔵「顔振峠」と源義経【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了してきた英雄がいる。
彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。
なかでも源義経は全国各地に多くの伝説を残している。
埼玉県の奥武蔵に残る〝義経伝説〟を紹介する。

武蔵野の奥にある山地
武蔵野台地が尽きるあたり、埼玉県の飯能市西部から秩父郡南東部にかけての地域を「奥武蔵」と呼ぶ。
この地名は比較的新しく、第2次世界大戦前

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駿河と相模の国境「足柄峠」と金太郎【山と景色と歴史の話】

駿河と相模の国境「足柄峠」と金太郎【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了してきた英雄がいる。
彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。
神奈川県と静岡県の県境「足柄峠」付近一帯に残る“金太郎伝説”を紹介する。

日本の東西を繋ぐ場所
「足柄山」という山はない。
古くから親しまれているこの呼称は、特定の峰を示すものではなく、神奈川県と静岡県の境にあたる「足柄峠」付近一帯の山地を指している。

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下野「唐沢山」と藤原秀郷【山と景色と歴史の話】

下野「唐沢山」と藤原秀郷【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了してきた英雄がいる。
彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。
下野国の英雄で、現在の栃木県佐野市の「唐沢山神社」に祀られている藤原秀郷を紹介する。

「道の奥」(陸奥)への入り口
古代日本の律令国家は、全国を「五畿七道」に区分する。
五畿は畿内ともいい、大和国、山城国、摂津国、河内国、和泉国の5ヵ国のこと。その他の諸国

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東海道随一の景勝地「薩埵峠」と山岡鉄舟【山と景色と歴史の話】

東海道随一の景勝地「薩埵峠」と山岡鉄舟【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了してきた英雄がいる。
彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。
現在の静岡県静岡市清水区由比に位置する「薩埵峠」の歴史を振り返りつつ、その東麓にある「望嶽亭藤屋」に幕末から語り継がれる伝承を紹介する。

万葉集にも詠まれた難所
駿河湾にせりだした急峻な断崖絶壁は、古くから人々の往来を阻んできた。「薩埵山」の古名は「磐城

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奥武蔵「顔振峠」と渋沢平九郎【山と景色と歴史の話】

奥武蔵「顔振峠」と渋沢平九郎【山と景色と歴史の話】

幕末の戊辰戦争のさなか、現在の埼玉県入間郡越生町黒山で、官軍に追いつめられた1人の賊軍兵士が自決する。
その首は越生の高札場に晒され、胴は黒山の人たちの手で全洞院に葬られた。村人たちはその壮絶な最期を讃え「脱走の勇士」(だっそ様)と崇めたが、やがてこの兵士が渋沢栄一の妻・ちよの弟である平九郎と判明する。

激動の幕末に幕臣・渋沢栄一の見立養子(相続人)となったことで、数奇な運命を辿ることになった男

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秩父長瀞「宝登山」と渋沢栄一【山と景色と歴史の話】

秩父長瀞「宝登山」と渋沢栄一【山と景色と歴史の話】

埼玉県秩父地方の「宝登山」「武甲山」「三峰山」は、それぞれ「寶登山神社」「秩父神社」「三峯神社」を擁し、いにしえより〝神の山〟として崇められてきた。かつて渋沢栄一が「長瀞は天下の勝地・寶登山は千古の霊場」と讃えた、関東屈指の観光地・長瀞エリアの「宝登山」と「長瀞」の歴史を振り返る。

千古の霊場・宝登山
秩父山地には珍しい独立峰の「宝登山」は、東麓に寶登山神社、山頂には奥宮が鎮座し、古くから信仰の

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秩父のシンボル「武甲山」と渋沢栄一【山と景色と歴史の話】

秩父のシンボル「武甲山」と渋沢栄一【山と景色と歴史の話】

埼玉県を横断する荒川の上流部、秩父市と隣接する秩父郡4町(横瀬町・皆野町・長瀞町・小鹿野町)を合わせた地域を「秩父地方」と呼ぶ。
「秩父」の名は『続日本紀』の和銅元年(708)正月乙巳の条に武蔵国の郡名として載るのが初見だが、「ちちぶ」の語源には諸説あり、武蔵国成立以前に置かれた知々夫国造に由来するとも、幾千もの山がそびえ立つので「千々峰」(知々夫)と呼ばれるようになったともいわれている。

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相模湯河原「土肥椙山」と源頼朝【山と景色と歴史の話】

相模湯河原「土肥椙山」と源頼朝【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了し、心の拠り所となってきた英雄がいる。

彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。

神奈川県の西端・湯河原周辺に残る“源頼朝伝説”を紹介する。

「相模国」の誕生未開の地とみられていた東国が、ヤマト王権の支配下に組み込まれたのは5世紀頃だといわれている。

当時の神奈川県域は、県央部の相武国、県西部の師長国、県東部の武

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奥多摩の山々と畠山重忠【山と景色と歴史の話】

奥多摩の山々と畠山重忠【山と景色と歴史の話】

いにしえより地域の人々を魅了し、心の拠り所となってきた英雄がいる。

彼らの波乱に満ちた生涯は人々の口から口へ、様々な伝説・伝承に彩られながら語り継がれてきた。

秩父から奥武蔵、そして奥多摩にかけての山々を歩くと、鎌倉時代初期の武将・畠山重忠にまつわる伝説によく出会う。

今回は奥多摩を中心に“重忠伝説”を紹介する。

奥多摩の“奥”は『奥の細道』の“奥”​森林美と渓谷美であふれる秩父多摩甲斐国

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