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「なにかがへんだな」と心に持ち続けながら生き抜いていくのも時には悪くない。それもまた考える為の糧になる。〜橋本治な覚書(2)。

一応橋本治な覚書を改めて書こうと思った動機の一つはこんな
メモ書きをしていたからだ。

そろそろ『光る君へ』の余波とかイベントなんかが在る中で
橋本治に関する記事が絶えてないので、そろそろ週一くらいでノートの
虫干しならnoteで、でもしてみますかね。

なので、リミットは6月末までにあと四回くらい、なのですが。ハテ、どう出ますか。

 因みに過去二回はこんな感じ。

言うは一刻の恥、言わぬは末代の抑圧。ここは橋本治のメモワールを
数えつつ、まずは埋蔵量(処理済でセレクトされてる文章)がどの
くらいあるか検算してみた。〜橋本治な覚書(0)。|torov

主体性のない、体感を失ってしまった男は平気で過剰反応するし、
そのことに金輪際気がつけない。団塊的な物知らずで、平気で
それが罷り通ると思っている枯尾花の正体はたいがいこれ。
橋本治『革命的半ズボン主義宣言』からスタート。
〜橋本治な覚書(1)。|torov

 そんな橋本治が小林信彦や氷室冴子などと共に縁のなかった賞レースの
時節柄でもあるので、そこをまくらに。


まあ昔から「日大女」のいる限り、影指す文藝春秋の喧伝に
光明は差さない。他へと雪崩れていくだけ、と格言めいてて
芥川賞、直木三十五賞の予想はしないのが常なんですが、
たまさか記事を捉えてしまったので。
(ま、リードになった人は賞を取れないの原則は健在だろうて、で
今回はやはり尾崎世界観が釣り餌でしかないのだろう)

第171回直木三十五賞の候補になりました|岩井圭也

直木三十五賞の文藝春秋物が有利なのは確かですが、岩井圭也の方は
noteやってるわけね。
 なんか「活字ラジオ」とカマしてるだけで、薄ら寒さを
感じられますが、営業面的に推される「寒さ」もまた感じられるあたり。

 「川島明の辞書で呑む」にも出てた麻布競馬場の方がまだ
見覚えがあるし、出版元も文藝春秋なので受賞したらパブリシティ的にも
今後の直木三十五賞受賞者としては美味しいな、とは思いますが。

【期間限定】新刊『令和元年の人生ゲーム』第一話が無料公開中!|麻布競馬場

一部無料公開はしてますねえ。

 一番ないと感じられた「田原俊彦的「哀愁でいと」枠」
は光文社のツミデミックかな。M.Kインタビューで更に
ありえない「重松清現象」パターンになること間違いなし。

柚木麻子は6度目ノミネートか。いい加減晒し物の呪縛から
逃れさせてやりたいだろうが、万城目まなぶを解放した直後
だからなあ(審査員は全員留任だし、このあたりを解釈(介錯)出来る審査員としては乏しい)。

 あとはキラキラ犯罪者めいたKADOKAWA(しかも野性時代とかあのへん)の頭脳ゲーム系に賞を与えられる審査員の布陣ではないなー、とは感じる。KADOKAWAで光文社の変則ラインを敷いている感じだろうけど、
この一枠はないなと。
(作者と光文社との対談がゲームでキャッキャウフフしてる感じで即座に「気持ち悪っ」とそっ閉じしてしまいました)

 ま、文藝春秋から確実に一作、柚木麻子の直木賞候補奴隷からの
解放でニ作同時があるか。それ以外はブチ蒔けられた
スコアの中からダン池田が必死に「哀愁でいと」のスコアを
探さないといけない状態になる、といふ姑息的な予測に留めて、
と致します。

 芥川賞は川上未映子が審査員に加わる、という何の効果も
ない凋落ぶりで、こちらは従来通り予想はしません。


 で、本題としては年号シリーズ系の整頓整理をネタに応じて連ねて
みる一興、が当初の目標てしたが、なかなかノート写経の集まりが
悪かったもので。


 でもまくらをそうしたからには、こうした連綿なら続けられるか。


 まあ「なにかがへんだな」と心に持ち続けながら生き抜いていくのも
時には悪くない。それもまた考えるための糧になる、といふことで。

「理解しないものは滅びるしかない、というのが遂に89年の指し示すところである」と、女の時代でもあった89年に、中国からルーマニアに至る情勢は言っているのだけれど。

橋本治『'89』
(マドラ出版,1900,914/ハ)p190

 知らないとすると、「こわいなー」である。いつか破局が訪れて、
訪れられた人達には、その破局を受け入れるための用意がまったく出来て
いないことになる。「勝ち組」という言葉を使いたいなら使ってもいいが、
「へんなことばにはへんな言葉なりの根っこがある」ということぐらい
知っておくべきじゃないかなと、私は思いますです。

橋本治『さらにああでもなく、こうでもなく』
(マドラ出版,2001.02,914/ハ)p251-252

 そしてここから一年もしないところに9.11同時多発テロは
起こるのだけれどもね。


しかし、「勝ち組・負け組」という考え方は、「思考の平等」という
大原則を侵してしまうのです。なにしろ、「負け組の言うことには
耳を傾けてもらえない」です。

橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』
(集英社新書,2005.11)p16.はじめに

 で、ここから「ヘンダーランド」のテーゼが出てくるあたりが
『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』の面白い
展開なんですが。

「なにかがへんだ」は分かっている。「どうへんだ」も分からなくはない。しかし、それを分かっても、どうなるわけでもない。これが「なんにも出来ない構造」です。しかし、「なにかがおかしい」は、はっきりしている
のです。

橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』
(集英社新書,2005.11)p188

やはり「ヘンダーランド」で一本、だよな。
~ひまわりが出てくる前の「孤独感」と「一人前」~|torov

まあ時間がない割には纏まったでしょうか。
「なにかがへんだな」と心に持ち続けながら生き抜いていくのも
時には悪くない。それもまた考えるための糧になる。
〜橋本治な覚書(2)、でした。

次回はもう少し残りの構成を考えて臨みますか。





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