見出し画像

「名言との対話」12月25日。ダン・池田「草を刈る人、野の果てを見ずという。見なければいいのか」

ダン池田(だん いけだ、本名・池田 啓助、1935年4月11日- 2007年12月25日)は、日本のバンドマスター・ラテンパーカッション奏者・指揮者・タレント。

中央大学中退。1969年、「ダン池田とニューブリード」というバンドを結成。フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』のカラー放送開始と同時に専属バンドとなり、『オールスター家族対抗歌合戦』・『スターどっきり㊙報告』・『オールスター水泳大会』、『ズバリ!当てましょう』などに出演。『NHK紅白歌合戦』(NHK)では1972年~1984年まで13年間に渡り指揮者を務めた。ひげがトレードマークの人気指揮者だったので、名前と笑顔と優れた演奏は私もよく知っている。

1985年、告発本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』を出版し、70万部のベストセラーになった。芸能界の内情を暴露したことで追放される。田原俊彦、近藤真彦、松田聖子、早見優、柏原芳恵など当時のビッグアイドルの恋愛やタブー話を書いた。

30年間にわたり、芸能界の裏も表も、上も下も、内も外も、すべてを知り尽くしたダン50歳の池田の日記を編集した本だ。「はじめに」には、芸能界に「天誅を加える」と書いている怒りの書である。

600人の新人歌手がデビューし、翌年まで残るのは5人。その翌年には1人か2人。それがアイドル・ゲームだ。ダン池田からみて点が辛いのは、石田あゆみ、早見優、シブがき隊、チェッカーズ、サザン・オールスターズ、今陽子、八代亜紀、松田聖子、千昌夫、坂本九。高いのは、石川さゆり、都はるみ、山口百恵、中森明菜、細川たかし、五木ひろし。カネで左右される賞の内実、オーディデョン番組のインチキさなどを執拗に暴露する。

芸能界という伏魔殿で、バンドマスターは、侮辱され、恥辱にまみれ、屈辱の毎日を送る。有名にはなったが、家一軒持てない。飼い殺しのハムスターだ。バンドで400万円の収入があっても、18人で配分するから、バンドマスターは50万円以下となる。先輩のスマイリー小原、チャーリー石黒などの悲哀もでてくる。ダン池田によれば、マスコミは低俗、視聴者はバカ。だからテレビはアホ製造機だとなる。

芸能界を語りながら、太宰治「世間でよいといわれ、尊敬されている人たちは、みなウソつきでニセ者だ」(「斜陽」から)などこういう言葉がときおりでてくる。ダンは読書家だった。

過去を振り返らない。バンドマスターは捨てて、自分の食い扶持は自分でかせぐ。行く手には海が洋々と広がっている。「日の光をかりて照る月たらんよりは、自ら光を放つ灯火たれ!」という森鴎外の言葉のとおりに生きていこうと決意の船出だった。

冒頭にあげた言葉には「手もとの楽譜だけを見ていればいいのか。ちきしょう。いまに見ていろ!」と続く。その結果、芸能界の怒りを買い、追放の憂き目にあい、ディナーショーなど単発での仕事をマイペースでこなしたり、芸能事務所を設立して演歌歌手をデビューさせたりした。また住まいのあった埼玉県で開業したバー「ダン池田の店」でマスターをつとめていた。

出版から20年以上経って、ダン池田が亡くなったときの、新聞記事が今回読んだ古本に挟んであった。芸能レポーターの梨元勝は「われわれでも10知っているうちの7しか話さないが、ダンさんは全部言っちゃった」とインタビューに答えている。追放されたダン池田は、「日記を出版社の社長に出さない?って酒の席で口説かれた。してやられた」と話しながら、「後悔はしていないよ」と語っている。男の意地だろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?